日没まであと四分

 窓のすぐ外を、群れを成したカラスが騒がしくわめき立てながら飛び去っていく。この後、彼女はどう出るだろう。「何も知らない」と言い張るか、「何だと思う?」とはぐらかすか。逆ギレで襲いかかる線も捨てがたい。

 少し距離を取り身構えていると、室内に突然アップテンポなメロディーが響いた。最近、中高生の間で流行はやっている曲だ。


「やっば、音声ありの〈テレパス〉じゃん! ちょっと席外すね!」

「え? お、おい、ちょっと――」

「はろはろ? あのさあ、ウチまだ学校にいんの。用があるならチャットでよろ~、って言ったっしょ? も~、頼むから空気読んでよマジで!」


 早口でそうまくし立てると、工藤は保健室の外に出て行った。さっきは彼女に止められたが、澪に会うなら今しかない。

 私は急いで部屋の奥に向かい、ベッドを囲む間仕切りのカーテンを開けた。


「澪、澪。聞こえているか?」

「う、んん……」

「もう夕方だぞ。いつまで寝ている」


 横たわる幼なじみの顔に、外傷や異常は見受けられない。やはり、自身に直接的な実害が及んだショックで精神を閉ざしているのだろうか。

 以前も話したと思うが、澪と私と両家の家族は発災日から日本政府の証人保護プログラムで護られている。要人並みの警護とはいかないまでも、身の安全をおびやかした者には容赦しない内容だ。

 それでも、ばつせられることをいとわずに襲いかかる者が出た――。国の威信を揺るがし、安全神話を崩壊させるにはその事実だけで十分だった。


「もうすぐ五時のサイレンが鳴る。最も安全なのは町の指定避難所だが、今から向かうのは危険だ。せめて校内の〝防災結界〟がある場所へ移動しよう」

「……」

「起きろ。起きてくれ、澪。私ではお前を背負って歩けない」

「ん、ぅ……」

「起きて、私と一緒に逃げよう。私と二人で生き延びるんだ!」


 医者の娘としてあるまじき対処法だが、私は彼女の肩をつかみ、意識を回復させようと激しく揺さぶった。それでも澪は目を覚まさない。

 そうしているうちに、念話を終えたギャルが部屋に戻ってきた。少し顔色が悪くなった気がする彼女は「リンちゃん、ストップ! ストーップ!」と大声を上げ、私たちを引き離す。

 そこまでは想定内だったが、工藤は個室のカーテンを閉めるとそのまま私の手を引き、外へ連れ出そうとするではないか。激しく抵抗し、机の上にあった『もろびとこぞりて』を投げつけても、相手は手を離してくれない。


「離せ、工藤! 澪を残して避難できるか!」

「あいたっ……天才がバカ言わないの、ここにいたら死んじゃうよ!」

「お前に何が分かる。私にとって澪がどれだけ大事か、お前に分かるものか!」

「ウチにはわからないくらい大事ってことはわかる!」


 ぎゃあぎゃあと屁理屈へりくつの応酬を繰り広げながら、工藤は背後から私の胴を抱え込み、力任せに引きずって部屋の外に連れ出した。

 くっ、こんなところで運動嫌いが裏目に出るとは……!


「みおりんは大丈夫。あとで必ず助けが来るから!」

「誰がお前にそう言った。さっきの念話相手か?」

「誰だっていいでしょ! 今は、今だけはウチを信じてついてきて!」

「澪を護れなかったお前の言うことなど信じられるか!」


 小林の話によれば、この女は奴が犯人を取り押さえた際、凶器となった千枚通しを取り上げたという。だから「護れなかった」という表現は不正確だ。

 私はむしろ、彼女に礼を言うべきだった。友を助けてくれてありがとう、と。頭ではそれが道理だと分かっているのに、プライドがそれを許さない。

 誰が、お前に……お前のようなビッチギャルに、この私が礼など――!


「あー……ったく、めんどいなあ」


 腰に回された細腕の力が、一瞬だけ緩む。逃れようと身をよじった瞬間、視界が大きく傾いた。工藤も私に合わせて身体の向きを変え、そのまま背後から覆いかぶさる形で私の身体を廊下の壁に押しつけたのだ。

 なんてことだ。いつの間にか、両腕を後ろ手に取られている。なけなしの抵抗も封じられた私の耳元に、女がつやめく口を寄せた。


「信じられるか、じゃない。信じろって言ってんの」

「なに、を……っ」

「みおりんもリンちゃんも、自分独りで抱え込み過ぎ。世界を元どおりにしたいって思ってるのは、二人だけじゃないんだよ」

「今さら他人を信じて何になる。今まで誰も動かなかったし、動こうともしなかった。今さら何を頼れというんだ!」


 この女、合気道か何かをたしなんでいるのか? 押さえつけられた両腕が、瞬間接着剤でも使われたかのように背中から引きはがせない。

 工藤は嘆息すると、廊下の左手に向け視線と問いかけを投じた。


「頼れるものは頼れる時に頼っとくべきっしょ。ねー?」

「ご安心ください。澪さんはがお護りします」

「おつおつ~。あとお願いして良きです?」

「はい。良きです」

「あ、やべ。パイセンが変なギャル文法覚えちった」


 職員室と教職員用の昇降口がある方角から、別の声が工藤に答える。理想的な周波数を持ち洗練されたこの声に、私は覚えがあった。


「生徒会副会長――ヒューマノイド、一ノ瀬いちのせマキナ……!」

「入学式の答辞以来ですね、水原鈴歌さん」


 不躾ぶしつけに正体を言い当てられても、ロボット少女は目を細め柔らかく微笑む。背格好は身長一六〇センチの私と同じくらいだ。

 セーラー服に緑のリボン、ひざ丈のスカート、脚を細く見せる黒いタイツ。そのすべてが絶妙なバランスで調和している。服装込みで魅せ方を研究し造られたと思わしき彼女は、明らかにだった。

 その象徴たるパーツが背後から西日を浴び、絹糸のように光る銀色の長い髪。それを清楚ぶった髪型……目の色と同じ真っ赤なリボンを使い、頭の両脇で上半分だけツインテール状に束ねている。

 ちなみに、厳密にはツーサイド・ハーフアップというらしいが、今はそんなことどうでもいい。


「積もる話はまたの機会に。至急、大講堂へ避難してください」

「おけまる! ありがと、マキにゃんパイセン!」


 正直なところ、二人とも信用ならない。ならないが、ここで時間切れを迎えることだけは避けるべきだ。まず私が逃げ延びねば、澪が助かっても生きて再会できない。

 二人に断りを入れ、私は保健室へ戻った。床に転がる一冊の本を拾い上げ、ここへ残していく親友の代わりに、胸に抱えて部屋を出る。


「……分かった。どうやって向かえばいい?」

「ご理解に感謝を。その階段を下り、右に曲がってまっすぐ進めば到着します」

「ちなみにパイセン、日没っていつ?」

「五時三分です」

「あと四分しかないやんけ!」


 先輩へ恐れ知らずのツッコミを見舞うと同時に、工藤が私の手を離した。私たちはすぐに駆け出し、すぐ右にある階段から飛び降りる勢いで下を目指す。

 最下層に降り立つと目の前が開け、L字型に伸びる廊下の途中に出た。一ノ瀬先輩の話では、ここを右折して道なりに進めばいいんだったな。


「走るよ、リンちゃん!」

「分かってる!」


 先ほど拒んだ手を、今度は私のほうから取る。ギャルが一瞬驚いた表情を浮かべ、しっかりと手を握り返した瞬間――窓の外で、サイレンが鳴った。

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