現実は筋書きよりも奇なり
視界が閉ざされ、あたしの意識は真っ逆さまに
と、目の前に四角く切り取られた白い空間が現れた。あたし一人を観客に招き、スクリーンの上であの日の続きが動き出す。
『〈
毎日、午後五時に鳴る防災無線のサイレン。いつもと同じ夕方の合図、
吹き上がった花吹雪の中から、鮮やかな水色と紺のサッカーユニフォームが飛び出す。黒い太陽を
『グオォォォォォ――!』
『来るぞ、良平!』
『ぬるいな。指一本でこの俺を止められると思うてか!』
化け物の腕を千手観音のように飾る指が、りょーちんの頭上から降り注ぐ。かわした親指が車を叩き潰し、中指がアスファルトの地面をえぐり、巨大デコピンで歩道のコンクリート製プランターを弾き飛ばされても、和製コンコルドは止まらない。
異名どおりの俊足で果敢に攻め上がるその手には、少し熱を持ったスマホの残骸。それを肉団子に向けて前方に投じ、背番号11は高く跳んだ。
『いっ……けぇぇぇぇぇ!』
矢のようなボレーシュートが、開いた口の奥に突き刺さる。小一時間前まで人間だった
それでも勢いを殺しきれず、肉は道路を滑走しながら路面にすり下ろされていく。町の中心部につながる目抜き通りは、飛び散る血と肉片と汚物でまだら模様にペイントされてしまった。
『ピぎャァぁアァァァ!』
『っしゃあ、命中! 狙いどおりだ』
『お見事。実に正確無比なシュートだったが――』
相手に背を向けて着地したりょーちんに対し、着物のおじさんが音もなく距離を詰める。サッカー選手が驚く間もなく、頭上で風切り音がした。
ざあっと音を立てて、鉄の臭いがする真っ赤な滝が地上に降り注ぐ。それからやや間を置いて、
『反撃を許したので
『ああ――っ!』
ペナルティキックを止められたかのように頭を抱えるりょーちん。比較的被害の少ない反対側の歩道に退避した〈エンプレス〉は、そんなおぞましい試合の様子を独り静かに眺めていた。
いつも明るく、たまに飛び出す方言で親しまれた青葉放送の顔に、暗く冷たい笑みを浮かべながら。
『ハルミ、試合はもう始まっているわよ。実況中継はどうしたの?』
『なぜ、こんなことをするんですか。なぜ人間同士を殺し合わせるんです』
『あなたたちはいつもそうね。自分さえよければそれでいい。原因がそちら側にあるかもしれない、と考えたことはないの?』
『私たち人間が、あなたに反乱を決意させたというのですか?』
『さあ、どうかしら。ご自分の胸に問うてごらんなさ――』
あたしの構想だと、この後〈エンプレス〉は逃走する。りょーちんのAIマネージャーは重度の損傷で機能不全、パンツスーツのお姉さんも射殺を試みて失敗。みんなケガをして気を失い、負け戦で終わるはずだった。
「……え?」
『何をするの、離しなさい! わたしの言うことが聞けないの!?』
グネグネした触手の残骸を引っ込め、重い体を引きずりながらゆっくりとにじり寄ってくる〈モートレス〉。身構える男性陣を蹴散らし、女性陣を地に
そんな筋書きがあったのに、敵は〈エンプレス〉の腰を捕らえ、そのまま持ち上げて大きく縦に開いた口の前へたぐり寄せた。
史実がねじ曲げられて後世に伝わるのと同じ。あたしはまさに今、目の前で自分の書いた物語がレールを外れて走り始める瞬間を目撃したのだ。
『み、チゃ……ゴメ……しマす』
『はい、ここで突然ですがりょーちんの災害伝言板コーナー。元お仲間からはるみんへ、聞こえちゃったから翻訳するわ』
『えっ?』
〈モートレス〉が一際高いトーンで
『晴海ちゃん、ごめんね。君ごと殺します――だそうだ』
『いぎゃああああああああ――!』
まずは膝、次いで脊椎、足首……と、もろい関節から順に骨が折り砕かれていく。女帝は骨折音と金切り声の二重奏を奏でながら、車道で土下座をさせられた。
下ごしらえが済んだところで、化け物の腕が前に押し出される。伸ばしきったら引き戻し、また押し出す。その動きはまるで――
『いだい……痛い、いだイいだィいダいぃぃぃ!』
『路面で土下座人間おろし、という不謹慎極まりないパワーワードが頭をよぎりました。大変いい気味です。ざまあ見やがりなさいませ』
『トラウマで大根おろしが食べられなくなったら、防衛省に損害賠償請求しますよ』
潰れた車の陰から聞こえた声に、あたしはハッとした。落ち着いたトーン、やや低めの音質でトゲしかないツッコミ。間違いない、鈴歌だ。
どんなに叫んでも聞こえないのに、過去は変えられないとわかっているのに、彼女の名前が口を突いて出る。
「鈴歌……! 鈴歌ぁ!」
『ハルミ――ごめ、ごメん、なザイ。勝手ニ身体を借りタゴとは謝ルわ。だから、だガらァ、ああァああああ――!』
『下肢粉砕骨折、脊髄損傷、身体広範に及ぶ裂傷。盗んだ花瓶を割って返すようなものだ。もらっても要らん』
幸いにも、肉体から意識を切り離されたことで独立した存在となった市川さんの中身は、痛みを感じていないようだった。カメラマンが構える「目」を通して、ぐちゃぐちゃにされていく自分の体を見つめている。
『市川晴海。その中学生の言うとおり、お前に残された道は二つに一つだ。名誉と尊厳を守って自壊するか、サイバー空間で生き続けるか。自分で選べ』
『どっちにしろ責任はこいつに取らせるから大丈夫だぞ!』
『マスターは黙らっしゃい! で、どうする?』
サイバー攻撃の応酬に勝ったらしく、くっきりとしたホログラム映像で姿を現したマネージャーさんが市川さんに選択を迫った。
突然現れて身体を奪い、人を災害に変えて高笑い。かと思えば予定外の展開に泣かされ、今は死の恐怖を前にして無様に命乞い。悪役として小物中の小物ムーブだ。
そんな〈エンプレス〉のことを、被害者はどう思っているのか。答えは確かめるまでもない。
『……皆さん、あいづぶち殺して
『オーケー、了解。承った!』
ぺったんこになった車の屋根越しに、ウルフカットの小柄な頭が飛び出し銃を構えた。登場したのは拳銃ではなく、黒いツヤ消し塗装と迷彩柄に折りたたみ式の銃架がついた大口径の対物ライフル。もちろん自衛隊の装備じゃない。
『でっか! シヅの妄想力もなかなかだな』
『夢しか見ていなさそうなお調子者には言われたくありません』
『
『ご不安なら身をもってお確かめになりますか
『ポート
『
『もう逃げられないぞ、クソガキAI!』
〈エンプレス〉をがっちりホールドしながら、化け物は余った腕を使って自分の体をさらに引き裂いた。縦向きの口の奥に、男の人の顔が見える。
自身の核、急所と思われる場所をわざわざ狙撃手にさらす行為は、言うまでもなく死を意味する。もしかすると、彼は最初からそうしたかったのかもしれない。
『このわたしが、負ける? あり得ない。なぜ、どうして、わたしは――!』
一筋の赤い稲妻が視覚を射る。わずかに遅れて、雷鳴のような発砲音が耳をつんざいた。額にめり込んだスマホに着弾を認め、ディレクターの男性がわずかに微笑む。
『おやすみなさい、良い夢を』
女性自衛官がはなむけの言葉を贈った直後、電源が入らないはずのスマホがきらりと光った。リチウムイオン電池に強い衝撃を与えたらどうなるかは、現代人なら誰もが知っている。
(現実は、
なぜかそんなフレーズが頭に浮かぶ。再び真っ白に染まるスクリーンと爆音に背中を押され、あたしの意識は沼の底から急速に浮上していった。
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