side:A その2

 今ならまだ間に合う。思いきり自転車のペダルを踏み込めばいい。後ろがつかえていればもっといい。「早く進め」とベルを鳴らされたら、進むしかないからな。

 迷惑そうな誰かのしかめっつらが目に入ることを期待しながら、私はゆっくりと後ろを振り返り――見事裏切られた。そうだろう、うんざりするほどの人出がある道をあえて通りたがる酔狂な住民など、私を除いて他にいるまい。


『はいはい、どうせ最寄りの店検索しろって言うんでしょ分かってますよ。はぁ……マネージャー使い荒すぎだろ、このたい焼きフリークサッカー小僧』

「ちょっと軽めの運動したくなってきたな~。おまえ、ボールになってくれない?」

『百パーセント全力で蹴られると分かってて引き受ける奴がいるか!』


 だが、裏を返せばこの状況は好都合だ。路上で立ち止まっても困る人がいないし、チャラ男とAIが桜をバックに写真を撮っている今ならば、堂々と彼らを凝視しても観察されているとは気づくまい。

 少し迷ったのち、私はブレーキを握り締めて路肩の縁石に足をついた。


「大丈夫、大丈夫。ホログラムに物理攻撃効かないから」

『そう言って次元の壁を軽々と飛び越えてみせた破天荒な男が静岡にいるそうだが、一体どこの誰だったかな』

「そこは〝蹴破った〟のほうが俺らしくない?」

『知るか。好きに表現すればいいだろう、それが第一人者の特権だ』

「世界初にして世界一、か」

『ああ。お前に課せられた任務しごとはきっと、お前にこそふさわしい』


 彼らはでここを訪れた観光客だろうか。新たに出てきた単語から、私は金髪男がたい焼きとサッカー大好き人間、AIパートナーはそのマネージャー(という設定であろう)と推察した。

 人間同士がそうであるように、人間と似て非なる知性体に求める関係性も人それぞれなのだから、彼らのつき合い方についてどうこう口を出す気はない。

 だが――直接触れることさえできないデータの集合体をまるで人間のように扱い、人間と同等の感情を向ける(向けられる)ことについて、彼らはどう考えているのだろうか。個人的に少し、ほんの少しだけ気になる。


「呑気に観光している場合ですか。一刻も早く見つけなくては」

「そう焦らずとも、じきに見つかるよ。東京を出る時のノリが観光客のそれだったろう? 我々をいて逃げるなんて考えもしないさ」

「あの素直さには自分も一目置いています。疑いたくはありません。しかし、事実として我々は彼らを見失っているのですよ、現在進行形で!」


 と、これから私が向かおうとしている対岸側から、背の高い着物姿の男が歩いてきた。片目を隠すように右へ流した長い髪に、細い目が印象的な壮年の男。よく時代劇で「先生」と呼ばれる立場の知識人が着ていそうな、抹茶色を基調とした無地の羽織はかまという出で立ちだ。

 その隣で彼と口論しながら歩を進める小柄な女は短い黒髪で、黒のパンツスーツをきっちり着こなしている。背が低く、幼さを残した吊り目と容赦のない物言いから、融通が利かず跳ねっ返りの強そうな一面が垣間見えた。


「なあに、相手は永遠の十七歳だ。私にかかればGPSで追跡するまでもない。修学旅行に来た天真爛漫な男子高校生の引率教師になったつもりで考えれば、足取りをつかむのは簡単だとも」

「お、来た来た。お~い、こっちこっち~!」

「ほらね?」


 予想どおりだと言わんばかりに得意げな顔をする男に対し、女のほうはチャラ男の姿を認めるなり血相を変えて詰め寄った。


「いや~、すいません。どうしてもここに来たくって、つい」

「何をしているのですかシャ……貴方あなたは!」

「花見。記念撮影。あと、この後行くたい焼き屋のリサーチ」


 すごい剣幕で問い詰められても、相手は動じない。のんびりした気質なのか、彼らの間ではこれがいつものことなのか。


『ピーピーうるさいぞ銃火器狂トリガーハッピー。観光ぐらい好きにさせろ。エスコートという名の徹底監視にはいい加減うんざりなんだよ冷血女』

「黙りなさいクレイジーサイコ。AIの分際で何様のつもりですか? その思考回路にウイルスを仕込んで……ああ、とうに壊れていましたね。失礼」

『言ってくれるな。今日という今日はタダじゃおかん』

「やる気ですか? 消されたいならどうぞかかってきやがりなさい」


 ここで、なぜか女性とチャラ男の連れの間で悪口大会が勃発。二人の間で試合開始のゴングが鳴って以降、蚊帳かやの外へ追い出された男二人は顔を見合わせると、互いに大きなため息をついて話し始めた。


「部下が迷惑をかけてすまない。このとおり、私もまだぎょしきれていないんだ」

「謝らないでくださいよ、先にケンカ売ったのはうちのマネージャーです。あとで待機ポッドに閉じ込めてフリーキックの刑だな」

「ははは……お仕置きは程々にね。それにしても――」


 ――満開の桜というものは、どうしてこんなにも人の心をざわつかせるのだろうね。


 いつもどおりの街、変わらない風景。それなのに、着物の男がそう言ったのを耳にした刹那、胸が一際大きな鼓動を打った。

 世界から一切の音が消える。風と、それに乗って舞う花びら以外、すべての景色が静止画になる。得体の知れない不吉な予感に、心が黒く塗り潰される。

 そうしてできた静かな水面みなもに、小さな一石が投じられた。

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