side B

再会は突然に(上)

 憧れはいつしか目標になり、目標はいつしか希望になった。行きたかったところに進めなくても、セレストブルーに焦がれる気持ちは変わらない。

 今日から、新たなステージで高みを目指す日々が始まる。上々の滑り出しで高校デビューを果たしたその日、オレは化け物に襲われた。

 死ぬのが怖くて、逃げたくて、逃げられずに独り震えていたら――


「無事か? もう大丈夫だぞ!」

「あ、ああ……」


 最高にカッコいい最推しが、女友達をお姫様抱っこして現れた。


「小林くん! なんでここに?」

「川岸こそ、丸一日保健室で寝込んでたんじゃ?」

「そう……みたい、だね。〝じきたん〟の警報で目が覚めたらこんなことに」


 川岸が教室の床に降り立ち、オレのもとに駆け寄ってくる。いやいや、お前こそなんでここにいるの?

 担任の葉山先生が、終礼のホームルームで言ってた。保健室は「防災結界」が完備された安全地帯のひとつだって。そこで目覚めたなら、部屋に閉じこもってさえいれば死なないはずだ。

 川岸、なんでお前がここにいる? 絶対に安全な聖域を出たってことは、そうしなきゃいけなかった理由があるってのか?


『なんだこの空気。リア充か? 爆破していいか?』

「そっとしといてやれよ。邪魔するのは野暮やぼってもんだ」


 って――そうだ、りょーちん! びっくりして心臓止まるかと思った!

 さすがは和製コンコルド、サッカー男子日本代表。テラスを飛び越えひょいっと登場、自分よりデカい怪物を飛び蹴り一発KO……なん、て……?

 いやいやいや、いくら何でもおかしいだろ! ここ、地上三階だぞ!? 渡り廊下の屋根を伝って来たとしても高さが足りない。そこから何? この人、女の子一人抱えたまま垂直跳びで上がってこなかった?

 映画の撮影? ワイヤーどこ? これ、どこまで現実ガチなんだ!?


「ところでそいつ、知り合いか?」

「同じクラスの小林くんです。サッカーやってて、中学校ではエースストライカー。強豪校からスカウト来たこともあるんですよ」

「あー、ストップ。このご時世、深くは触れないほうがいいとみた。Y県民との富士山トーク並みにセンシティブな話題の予感がする」

『良平。イエローだ』

「冗談だろ? 山形県民のことだったらどうするんだよ」

『そんなわけあるか、フルーツ王国違いだ!』


 現役のトップ選手、それも憧れの人が目の前でオレの話をしている。そう気づいた瞬間、思考が弾け飛んだ。胸が高鳴り、汗が吹き出し、すごい勢いで血が全身を駆け巡る。

 おぼえてますか? オレ、あなたと会うの初めてじゃないんですよ。

 、夢と希望をくれたあなたにまた会える日を、ずっと夢見ていたんです。


「おまえ、名前は? 下の名前」

「小林公望きみたかです! 公に望むと書いて、きみたか。親が太公望たいこうぼうにあやかって名づけたそうです。けど……」

「けど?」

「オレ――釣りが超絶エクストリームド下手クソなんです」


 だけど、オレの名前を聞いてもりょーちんが何かを思い出す気配はない。新入りの後輩と談笑するように「魚釣りと話題釣りのダブルミーニングか? 面白いやつだな~」なんて返してくる。

 すげーショックだった。分かってるよ、オレなんて取るに足らないヤツだって。でも……その記憶の中に少しでもオレがいないかなって、夢ぐらい見たっていいじゃんか。

 くよくよするな、オレ。早く気持ちを切り替えろ。忘れられたならもう一度、がっつりマークで距離を詰めろ!


「お、面白い!? いや~そんな、あはははははは!」

『お互いペナルティエリアに攻め込むのが早すぎて、コミュ力が核融合を起こしているな。太陽に太陽をぶつけるがごとき陽エネルギーの暴力がここに……』

「どっちもフォワードですからね……」


 もう一人、川岸と一緒にあきれ顔でこっちを見てるのが手代木さんか。クラブ公式動画やインタビューで専属マネの存在は明かされてたけど、まさかAIパートナーだったとは。

 りょーちんとはきっちり敬語で話してるのかと思ったら、友達みたいにラフな関係だったなんてちょっと意外。


『ところでマスター。その黒板消し、どこから持ってきた?』

「汚れが気になってさ。ほら、あれ」

『その手には乗らないぞ。いいか、備品をぞんざいに扱うなどアスリートとして、いや社会人としても下の下! 何をする気かあえてかないが却下だ!』

「そう言うなって。いいから見てみろ」

『黒板の脇、椅子が突き刺さった掲示板か? 何かが激突したような円形のひび割れが確認できるな。それと――』


 そんなしっかり者が、りょーちんにうながされた方向を見て絶句した。オレと川岸もつられて目を向け、そこにあった光景に言葉を失う。


『あれは……血痕けっこんか? しかもまだ新しい』

「おかしいと思ったんだよ、壁に椅子がブッ刺さってるなんて。その上、一番大事なものをこれ見よがしに掲示してるときた」


 壁一面に塗り広げられた、おびただしい量の血。その中心に刺さった椅子の下で、ヒトの頭ぐらいある大きさの赤黒い物体がうごめいている。脈打つたびに体液を吐き出し、板張りの床を染め上げるそれは、紛れもなくヒトの心臓だった。

 視界が揺らぐ。涙がにじむ。前かがみになった身体をりょーちんに抱き留められたその時、抑えきれない感情が胃の中身と一緒に吐き出された。


「うっ、ぐ――げぇえええええ!」

「よしよし、苦しかったな。全部出しちまえ」

「なん、で……誰が、こんなひどいこと……!」

『〈モートレス〉か〈五葉紋〉を持った人間だろう。どちらにせよ、犯人は俺たちが踏み込む直前に手を下した』

「……りょーちん?」

「小林、手を見せろ。じっとしていればすぐ終わる」


 抵抗する間もなく、最推しはオレの両手首をつかんだ。かなり強い握力で振りほどけない。あとの二人も止めようとはせず、事態を黙って見守っている。

 待ってよみんな、オレを疑ってるの? 何も分からない。憶えていない。でも、オレは絶対何もしてない。本当だ!


「川岸、手代木さん――りょーちん、お願い! 信じてよ……!」


 そんな懇願もむなしく、オレにとって長く苦しい時間が過ぎていった。

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