はじめてのルート分岐

 視界が急に薄暗くなり、対照的に青白く浮かび上がった画面が三つに割れる。

 あたしが『トワイライト・クライシス』作中において、このパターンで現れるよう設定していたのは、戦況を左右する選択肢だ。


【イチかバチかで正面突破】

【窓から中庭へダイブ】


 ほらね? やっぱり。逃げる方向を選べってさ。あたしがここでどっちを取るかによって、話の展開……つまり、現実での運命も大きく変わる。


(どうしよう。どうしたら……)


 分岐に「壁を壊す」がないのは、シナリオの都合でそっちに行けなくなっているから。ここは地上二階の窓から飛び降りるのが良さそうだ。逃げるにしろ、迎え撃つにしろ、狭い屋内ではやりづらいしね。

 問題は、いかにして安全を確保するか。窓から見えないだけで、下では別の化け物が待ち構えているかもしれない。打ち所が悪く大ケガでもしたら、それこそだ。


【補足 セーフモードが有効になっています】

「セーフモード?」


 選択肢ウィンドウの上に現れた〈Psychicサイキック〉のシステムメッセージが目に留まり、あたしは思わず聞き返した。頭の中で再び合成音声が流れる。


【〈Psychic〉は、あなたに命の危険が差し迫っていると判断しました。これより、超高速思考によって現在の状況を把握し、危険を回避するお手伝いをします】

「なになに? どゆこと?」

【あなたの脳と〈Psychic〉が手分けして情報を処理することで、現実世界における体感時間を大幅に引き延ばすことができます】


 セーフモード。正式名称、人機並列処理による緊急思考加速化機能。その存在自体は、頭にマイクロチップを埋め込まれた人なら誰でも知っている。手術を受ける時の重要事項として、病院側から必ず説明があるからだ。

 内蔵AIが「あっ、これ死ぬわ」と判断すると、ユーザーの命令・許可を待たずに自動で立ち上がる危険回避プログラム。思考力と判断力、身体能力の限界を瞬間的に引き上げ、決死の状況から奇跡の生還を可能にする。

 そんなチート技唯一の弱点は、効果時間の長短が精神力の強さに左右されること。なんとなく疲れを感じたら限界が近いサインです。


「ってことは……セーフモード中に決めないとゲームオーバーするやつか!」

【より早いご英断が、より多くの命を救います】


 作者として言わせてもらうと、こういう壁にぶち当たった時はもっとじっくり考えさせてほしい。どれが最善なのか、判断材料が欲しい。時間が欲しい。独りで瞬間的かつ直感的に結末を決めるには、何もかも足りなさすぎる。

 でも、今はそんなこと言っていられない。早く決めなければ自分はもちろん、佐々木先生まで命の危険にさらしてしまう。


(――よし)


 悩んだ末、あたしは【窓から中庭へダイブ】の選択肢に指で触れた。ピコン、と電子音が鳴って仮想ウィンドウが消え去り、超のつくスローモーションで見えていた景色がゆっくりと彩度を取り戻していく。

 窓のほうへ身体を向けるサッカー選手に迫る化け物、という躍動感あふれる構図が元どおりの明るさに戻ったところで、時計の針が動き出した。

 身体を持ち上げられた瞬間、あたしの全体重を支えるたくましい腕が重力加速度の上乗せも相まってウエストへ食い込み、強い圧迫感で吐きそうになる。思わず下を向いた視界に、上から下へ流れていく窓枠の残像が映った。


「行くぜ! テイクオフ!」

『アーイ、キャーン、フラ――イ!』


 ふざけているとしか思えない手代木さんの掛け声に合わせて、和製コンコルドがフレームに足をかけ勢いよく踏み切る。その小脇に抱えられる形で、あたしは保健室の窓から中庭へ向けて飛び立った。


「わああああああ!」

「よ……っと!」


 四角く開けた空間に、太い枝を広げてそびえ立つケヤキの大木たいぼく。あたしたちはその生い茂る枝の中に突っ込む形で、飛び移りに成功した。

 近くに見えた枝先は意外と遠く、窓から三メートルは離れている。並の人間のジャンプではまず届かない。まさかこの人、それよりもっと遠くに跳んだの?

 あり得ない。先生の脚力がどれだけ強くても、MRでそれらしい誇張表現がされていても、とっさにカエル並みの跳躍なんてできるはずがない。


『だが、実際にその目で見た者がいるなら――』


 それがどんな絵空事であれ、目撃者にとっては事実になる。ただ、今は理由も原理も発生条件も科学的に明かされていないだけだ。

 いつかの帰り道、オカルトを信じるか否かで議論になった時、鈴歌にそう言われたことをあたしはふいに思い出した。


『見事なアルティメットパルクールだ。チンパンジーもびっくりだぞ』

「いやー、上手いこといったな。ケガはないか?」

「は、はい。おかげさまで」

『何かツッコんでくれマスター! 完全無視は地味にキツい!』

「そしたら、地上に降りてそこのガラス張りの廊下へ入ろう。指定のチェックポイントは、右に曲がってまっすぐ行った先の――」


 逃げられて焦っているのか、確実に捕まえると気合いを入れてるのか。丈夫な太枝をたどって幹の近くにたどり着くと、今来た方角から怒り狂った〈モートレス〉の叫び声が聞こえてきた。

 先生が急に口をつぐむ。追っ手のだみ声ではない何かに耳を澄ませているようだ。手代木さんも状況を察したようで、周囲を調べ始めた。


「……聞こえる。B棟、三階のあたりに誰か取り残されてるみたいだ」

『こんな時に限って逃げ遅れか。まさか、ついでにそいつも助け出そうぜ! などと血迷ったことを言い出すんじゃないだろうな』

「頼むよ、セナ。俺を助けると思ってさ」

『おーまーえーなー!』


 ずるり、と背後で不気味な音が響いた。保健室の窓からい出た人面ムカデが木に取りつこうともがいている。

 そこに舞い込んだ、要救助者発見の知らせ。先生が来てくれなかったら、あたしはきっと結界が切れていることに気づかないまま死んでいた。あたしも他人に助けてもらって、ここまで来れたんだ。


『お前がよくても、作者が許すと思って――』

「あたしも見過ごせません。お願いします、手代木さん」


 答えを聞くと、佐々木先生はにっと笑ってあたしを横抱きにし、しなる枝を足場に上空へ舞い上がった。木の北側に広がる半屋外の渡り廊下、B校舎につながる連絡通路の屋根に着地すると、すごい速さでその上を駆けていく。


『近くにいる超小型偵察機ドローンから情報が入った。救出目標は一名、声の周波数からして若い男。おそらく生徒だ』

「敵の数は?」

『二体だ。まだなのか、比較的ヒトの原型をとどめている』

「了解。それなら、楽勝だ……なっ!」


 校舎につながる道のうち、一番奥にある通路を右折。階段室の手前で勢いをつけ、教室ひとつ分の高さとテラスの柵を飛び越え、三階へ侵入する。

 そして、そばにいた〈モートレス〉にダイビングシュートという名の飛び蹴り一発。水を吸った海綿のように巨大化した肉のかたまりは、血と悲鳴を吐きながらテラスの端へすっ飛んでいった。


「無事か? もう大丈夫だぞ!」

「あ、ああ……」


 床に降ろしてもらい、あたしも教室内へ入る。机がめちゃくちゃに乱され、壁に椅子が突き刺さり、照明が床に落ちた悲惨な光景の中心に目をやると――


「なん、で――夢じゃないよな、りょーちん……!」


 佐々木先生を別のベクトルからあがめる、もう一人の大ファン。逢桜高校1年C組、サッカー班、小林公望きみたかがそこにいた。

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