内緒の話

 ショーケース前から左手に伸びる廊下を進むと、突き当たりに職員室が見えた。ここは事務の人と警備員が集まる部屋で、先生方は別のところにいるようだ。

 その手前で右折した先には、ARの案内によれば保健室と宿直室、校長先生の部屋がある。まさかこいつ、入学式前にやらかす気じゃないだろうな。


「よし、ここならいいだろう」

「待てよ水原! 一体何を――うわっと!?」


 天才は呼びかけを無視して先頭をずんずん歩き続け、向かって右手の一番手前にあった引き戸の取っ手をつかむと、ノックもなしに扉を開けた。オレと川岸も引っ張り込まれる形で中に入る。


「声が大きいぞ大林。澪、戸を閉めろ」

「うっ、うん」

「だから小林だって!」


 ガラガラ、と音を立てて木製のドアが閉まった。その内側には【ちゃんと確認しましたか? 戸締まり 火の元 防災結界】と標語じみた張り紙がしてある。


「……ここは?」

「宿直室だ。多くの学校では初めから無いか、倉庫や別の部屋に改装されるなどして廃止されている」

「でも、この部屋すっごい生活感あるよ」

「人の気配を感じるということは、まだ現役で使われていることの証左だ。その性質上、緊急時は生徒が駆け込むことも想定しているはず」

「だとしても、せめてノックはしろよ。奥に誰かいるかもしれないだろ」


 そう言って、オレは室内を見回した。入ってすぐのところには、入口に対して縦向きに置かれたガラスのローテーブルと大きめのソファー。その後ろには折りたたみ式の長机二台とパイプ椅子が向かい合わせに四脚並び、ミーティングスペースのようになっている。

 さらに後ろ、ブラインドカーテンのついた窓際には、電話機が載った事務机。そばにあった移動式の電子黒板や鉄製のラック、壁掛け式の大型ディスプレイにも手がかりはない。

 左手に目を向けると、奥のほうが高い壁でいくつかの個室に仕切られている。きっと、そこが寝室になっているんだ。

 ――と、三人がかりで一通り観察してみたんだが、結局部屋の主につながる有力な情報は得られなかった。


「誰かがいれば、すぐさま奥から出てきて『勝手に入るな!』と怒られるはずだ。それがないなら、誰もいないと判断するのが自然だと思わないか?」

「あのなあ……」

「とにかく、どこか落ち着いた人気ひとけのない場所にお前を連れてくるという目的は達した。覚悟して聞くがいい」


 水原は相方と目を合わせ、静かにうなずいた。ヤツの視線に援護をもらい、川岸がオレに向き直る。

 自慢じゃないけど、こういうシチュエーションは経験済みだ。小学校から中学校にかけて運動のできるヤツがもてはやされた時期、あったろ? あのキラキラパワーによって、オレはこの手のイベントでまあまあ場数を踏まされている。


「小林くん」

「な、なんだよ改まって」


 マジで? やっぱそういうこと? しかも水原が立ち会うのかよ……。

 オレにとって川岸は、サッカー抜きでつき合える友達だ。特に意識することもなく、会ったら話す程度でちょうど良くて、それ以上でもそれ以下でもない。


「突然こんなこと言われても、困ると思うけど」


 よし、決めた。どう反応して何と言おうが、泣かれるか殺されるのはほぼ確定。だったら後腐れなく、はっきり断ろう。友達でいられなくなったら、その時はその時だ。

 初めて見つめた女友達の目は、思ったよりずっとキレイだった。相手が意を決して息を吸い込み、口を開く。えーい、もうどうにでもなれ――!


「お願い、あたしたちに協力して!」

「ごめん川岸、気持ちだけもらっとく! ありがとう!」


 沈黙。なんだこれ、めちゃくちゃ気まずい。しかも話がみ合ってない。

 もしかしてオレ、なんか早とちりしてた?


「気持ち? もらっとく? ……何の話?」

「……あれ?」


 それは相手も同じだったようで、川岸は「何言ってんだこいつ」って顔をしている。水原に至っては頭を抱え、盛大にため息をつきやがった。


「あ~、その……川岸さん、オレのことどう思ってます?」

「普通にサッカー上手いと思うよ。日本代表にはなったことなくても、宮城県選抜チームで全国大会行ったじゃん」

「そ、そっか。そうだよなー、ははははは! ヘンなこと言ってごめん。そんで? オレに一体何をさせるつもりですかお二人さんよ」

「そう構えるな。ちょっと人さがしを手伝ってもらうだけだ」

「なんだよ水原、脅すような言い方して。完全犯罪の共犯ならお断りだぞ」

「何の話してんの二人とも!?」


 天才が横から口を挟む。こいつ、いつも最悪のタイミングで邪魔してくるな!

 でも、ますます理解不能になる話の本題はここからだった。


「私たちは今、あのたい焼き男を捜している。町内に居るのは確実だが、あてもなく捜し回るのは効率が悪い。そこでお前に協力を仰ごうと思い至った」

「え?」

「サッカーという共通項があれば、遠からずどこかでお前と接触する可能性が高い。奴を見かけたら、すぐ私たちに知らせてくれ」

「……なんで?」

「会って話をしたい。いや、話をしなければならないんだ」


 りょーちんに会いたい? 今の今まで一ミリも興味を示さなかったお前が、あの人と話すことなんて何もないだろ。

 オレだって、会えるなら今すぐにでも会いたいよ。でも、この大事な時期に無神経な部外者の接触で心を乱されでもしたら大変だ。

 我が事のように推しを想い、時には遠くからそっと見守る。川岸はともかく、思いやりのかけらもない水原にそんな繊細な行動ができるとは思えない。

 つまり――こいつとオレの最推しは、会わせちゃいけない!


「あの人が何したっていうんだよ。手に〈五葉紋〉が現れたから? 人類史上初めて〈モートレス〉を倒したからか?」

「……なんだと?」


 今から一年前、この町で起きた大事件の中継映像は、午後五時のカウントダウン後に白い光と花吹雪が吹き荒れたところで切れた。そのあと何が起きたのかは動画も音声も残ってないから、本当のことは誰も知らない。

 だけど、あの日大幅に遅れて尾上橋に駆けつけた応援の警察と自衛隊、仙南二市六町と仙台から来た消防の救助隊は、みんな同じような証言を残している。


『一面に広がる赤い海。その中にただ一人、血に染まったユニフォーム姿で両手を広げ、ゴールパフォーマンスのように天を仰ぐりょーちんが立っていた』と。


「今、何と言った。洗いざらい話せ、小林!」


 水原はオレの襟首えりくびをつかみ、手近な壁に押しつけた。川岸が「やめて、鈴歌!」と止めに入るが、まったく聞こえていない。

 珍しく正しい名前で呼ばれた気がしたが、今はそんなことどうでもいい。ただ、いちファンとして二人を止めなきゃいけない――。オレはいつしか、奇妙な使命感のようなものに駆られていた。

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