side:公望 その1
「――水原」
「言うな」
「サッカーのサの字も興味ないヤツだから、いつか絶対やらかすだろうと思ってたけど」
「少し、黙れ。笑ったら殺す」
「まさか、オレとりょーちんを間違えるとは……ぶはっ、はははははは!」
「くたばれ、この単細胞!」
いつもの冷静さを取り戻した水原は恥ずかしさのあまり、オレの腹めがけ右ストレートを繰り出してきた。おろしたての黒い学ランに拳がめり込むすんでのところで、オレはとっさに背負っていたバックパックを前に抱えて盾にする。
ぼすっ、と鈍い音を立てて衝撃が伝わり、サイドに寄せたファスナーにつないであるアクリルチャームが大きく揺れた。
「おっと! もしかしてオレ、目覚めちゃった感じ?」
「
「違うから。陽気で社交性の権化でコミュ力バケモノなのは合ってるけど、至ってマジメな
そういえば、自己紹介がまだだったな。オレは小林公望、普通科の一年生。同級生から頭ひとつ抜け出る背の高さと名前をもじった「大林」が鉄板のあだ名、元・逢桜中サッカー部の主将で十番。エースやってました。これから高校でも活躍する予定の大型新人(物理)でございます。
そんな感じでおどけてみせて、みんなの生温かい目とツッコミを誘い場を和ませるのがオレの得意技だ。本当に名前間違って
「ま、まあまあ二人とも……」
「川岸も大変だな、高校でもこいつの通訳させられるなんて」
「通訳だと? 失礼な、私は生粋の日本語話者だ。お前が理解できないとするなら、それは
「鈴歌!」
こんな尖った一匹狼となんで接点があるのかって? そりゃあ、さっきから黙って話を聞いてくれてた川岸のおかげだよ。中学の時、共通の目的で手を組んだことがあってさ。水と油くらい違うオレらの仲立ちをしてくれたんだ。
悪質なタックルよりひどい天才さまの毒舌には最初こそドン引きしたが、今ならただ単に思いやりがない(そして改める気もない)だけだと分かる。敵も味方もよく知らないから怖いのであって、知ってしまえばいくらでも対処のしようはある。
そう、たとえば「悔しかったら言い返してみろ、サッカー馬鹿め」と言いたげな顔をしているこいつのご期待に応えてやるとか、さ。
「その義務教育すらサボり常習犯だった不良ギフテッドには言われたくないな」
「常識や情報が変わったならまだしも、なぜすでに広く知られた普遍的事実を改めて習う必要がある? 授業に出ろというなら私に対する有用性を示せ」
「勉強する場だと思うからつまんないんだよ。見方を変えてみたらどうだ? 自分以外の人間の思考と行動を観察する場、ってさ」
「興味ないな。お前のボール遊びも何が面白いのかまったく分からん」
「そんなんだから川岸以外の友達できないんだぞ水原、レッドカード!」
「はいストップ! ストーップ! 小林くんもピッチ外でバチバチしない!」
川岸がたしなめるように声を張り、両手を広げてオレたちの間に割って入った。ふと我に返って周りを見ると、バーチャル掲示板を見に集まってきた多くの視線が男女を問わずこっちに向いてしまっている。
「お前のせいで澪に怒られたじゃないか。どうしてくれるんだ」
「どうもしません。さっさと名前探して教室向かおうぜ」
入学初日から騒ぎを起こしたとして、先生に目をつけられでもしたら一大事だ。第二ラウンドはまたの機会に取っておいて、オレと水原はひとまず和解することにした。
「えーっと……あった! C組だって。鈴歌は?」
「A組だ。どのクラスも文系・理系の区別はないようだな」
まわりが一喜一憂する中、三人でクラス分けに目を通す。特進科の生徒だけを集めたA組は最初から無視、B組も「工藤」の次は「佐藤」だ。そうして五十音順に並んだC組のか行を追っていくと、川岸の名前から三つ下に【小林 公望】と書かれていた。
名前の頭についている桜のマークは、成績優秀者を示す模範生の印。水原には確かめるまでもなくそれがあった。オレはというと、宮城を代表する私立のサッカー強豪校、
「鈴歌は納得だけど、小林くんも模範生なんだ」
「学業はともかく、運動神経は折り紙つきだからな。私は〈五葉紋〉を得たのが早すぎてつくば行きは議論にすらならなかったが、奴はタイミングが最悪だった」
「あ……っ」
「それに輪をかけ、奴に興味を示していたプロのユースチームからも音沙汰がなくなったという。泣きっ
中三の秋、合格の知らせを受けたその日の夕方に〈五葉紋〉が出なければ、オレたちは一家で仙台に脱出するはずだった。嫌いになってしまう前に町を離れ、いつか名を上げた時に胸を張って「宮城の逢桜町出身です」と言えるように。
どうしてオレなんだ? なんでオレの手に桜が咲いた?
八方ふさがりの現実を知ったからといって、ただの高校生に何ができる。
これが……このしるしが、この手さえなければ――!
「小林くん?」
――っ!? オレ、何考えて……! あっぶねー、全然まわり見えてなかった。川岸が突然話しかけてこなかったらどうなってたか……。
友達(だとオレは思ってる)に心配かけるのは良くないな。ここはいつもどおりに振る舞おう。
「何? オレの顔になんかついてる?」
「髪、染めたんだ。スポーツ推薦なのに大丈夫なの?」
「校舎の壁と同じレンガ色、テラコッタっていうんだってさ。ここの校則は見た目と成績を結びつけない政教分離、金髪メッシュツーブロックまで攻めてもノーファウルだって先輩に聞いたから思い切っちゃった」
「そうなんだ、よく似合ってるよ。小林くんらしいね」
「マジ? サンキュー、自信湧いてきたわ」
水原にドヤ顔を向けると、あっちも親指を下に向けて「くたばれ」のハンドサインで応じる。天才とアレは紙一重ってよく言うけど、やっぱこいつ試合に出しちゃいけない系の変人だわ。
唯一の功績は、物静かで何考えてるか分からないイメージだった川岸とごく自然に関わる機会をくれたこと。ずっとただのクラスメイト、普通の女の子と思ってたけど、話してみるとこれがなかなかに面白い。今まで友達にいなかったタイプだ。
「それよりさ、今日から同じクラスだな。よろしく川岸!」
「ふえっ!? う、うん、よろしく……!」
右手を差し出し、笑顔を向けて握手を求める。川岸は驚いた様子で、ちょっと顔を赤くしながら応じてくれた。その後ろからオレを呪い殺さんばかりに突き刺さる水原の視線が痛い。
「澪に触るな、エースチャライカー。一服盛られたいか?」
「誰がチャライカーだ! オレはストライカーの、こ・ば・や・し!」
オレたちの掛け合いを見て川岸が吹き出し、こっちもつられて笑い声をあげる。こういうバカ騒ぎは興味なさそうな水原までもが、ほんの少し口元を吊り上げていた。
大丈夫。この三人なら、きっと何があっても大丈夫だ。
この町にいる限り避けられない、気を抜くとこみ上げる霧のような不安を振り払って、オレたちは昇降口の中に入った。
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