side:鈴歌 その5

 駐輪場の出口に差し掛かると、案内標識の矢印が四つに分かれた。手前で左折する道はグラウンドの横を通り、校舎のうちA棟と呼ばれる場所につながっている。その少し後ろにある上り坂は、校庭に面したコンクリート打ちのスタンド席を見下ろす位置に通じ、教職員の昇降口があるB棟に至るようだ。

 今は用が無い目の前の階段は、入学式の会場になっている大ホールの方面へ。屋根がついた右の通路を通れば体育館に出ると書いてある。


「澪。昇降口へ向かう前に、ひとつ確認させてほしい」

「ん? どうしたの、改まって」

「この話、どこまで書き溜めてある?」


 肉眼で確認した限り、私たちのすぐ近くには人がいない。駐輪場に入ってきて自転車を停めた人影は複数見えるが、こちらの話し声までは届くまい。

 分岐点の前で足を止め、この世界の〝神〟に向き直って、私は口を開いた。


「筋書きに沿って話が進んでいるうちはいい。懸念すべきはストックが切れた後だ。作中の時間経過に現実が追いつけば、その後の展開はどう創る?」

「確かに! 考えたこと……あるけど、完全ノープランだった……」

「思いどおりに書けとは言ったが、そうできるとは限らない。ここ一年姿を見せていない〈エンプレス〉が急に現れ、原作を改変すべく手を打ってこようものなら――」

「物語があたしの手を離れ、暴走を始める」


 澪の言葉に、私は黙ってうなずいた。驚きはなく、嘆きもなく、ただ淡々とした受け答え。本人もその可能性は考慮していたようだ。


「ネタバレにならない範囲で言うと、本文はちょうど今の状況から少し先、登校した主人公が教室に入る場面で終わってる。その後はまだ箇条書き」

「話の方向性は決まっているが、文章には起こしていない。そうだな?」

「うん。そういうこと」

「であれば、私たちの次なる一手は定まった」


 幼なじみの懐疑的な視線を浴びながら、私は無い胸を張った。喜べ、今日の私は思考が冴えているぞ。大船に乗ったつもりで遠慮なく頼るがいい。


「名づけて『毒を喰らわば皿まで』作戦。詳細は道すがら説明しよう」

「……はあ」


 上り坂へ歩を進めると、左手にグラウンドの様子が見えた。制服と同じ、青灰色とえび染め色を基調としたレーシングスーツ姿の陸上競技部……班の生徒が、トラックをぐるぐる周回している。

 よくもまあ、あんな苦行を好んでやるものだ。運動部の連中は脳みそまで筋肉でできているのか? 彼らの思考回路はまったくもって度し難い。


「現在、私たち逢桜町民は全員もれなく街の異変に気がついている。だが、個々人はおろか公的機関の力をもってしても、こちらの不利は覆せていない」

「災害だからって化け物を並の火力じゃ歯が立たない設定にしたあたしのせいですね分かります」

「自覚はあるんだな、ならば話は早い。一年経って無抵抗のなぶり殺しに飽きてきたであろう〈女帝〉に、とびきりのスパイスを献上してやろうじゃないか」

「つまりどういうことなんです?」


 坂の頂上は、徒歩で登校してくる学友たちとの合流地点になっていた。洒落た赤いレンガ造りのA棟校舎、昇降口の真上にある教室のベランダからは【入学おめでとう! 逢桜高校生徒会】と書かれた手作り感満載の垂れ幕が掲げられている。

 中央にあしらわれた校章――桜の花に重ねた「高」の字を葉桜の枝が囲む図柄は、前身の実業高校から引き継いだもの。ビジネス学科があるのはその名残だ。

 垂れ幕の直下には空中に浮いて見える半透明のバーチャル掲示板があり、クラス分けを確認しようと群がった同級生たちが歓声、あるいは落胆の声を上げている。その様子を冷めた目で眺めながら、私は結論を口にした。


「直接執筆するのではなく、著者として自分の作品に込めた想いを行動で表せ。登場人物になり切り、演劇のように即興アドリブで続きを演じるんだ」

「あ、アドリブ!?」

「人と交わり、干渉し、自分に関わるすべての人を望みどおりの運命に導け。物語は澪の行動を受けて予定調和を図り、いいように転がっていくはずだ」

「みんなを、望む運命に……」

「ああ、そうだとも。手始めに私が最初の仲間になってやろう」


 〈特定災害〉は無敵ではない。どうにもならなかったはずの脅威はどうにかできる。あの悪夢をどう切り抜けたかは記憶にないものの、事実として私は助かり、生き延びているのだから。

 そして何より、私はまだ佐々木との約束を果たしていない。方法はどうあれ、命の恩人となってくれた礼は望みどおり〝神〟と引き合わせて返す。あんなチャラ男に貸しを作ったまま死ぬなどまっぴらごめんだ。


「どうした。大いに信頼してくれていいんだぞ」

「自分から信じてくれって言い出すキャラは、裏切り者かバカ正直のどちらかだよ」

「では後者だな。世辞は苦手だ」

「お世辞が苦手って以前に協調性クソ喰らえパーソンですよねあなた」

「話を聞く価値もない類人猿に右ならえする必要があるか?」


 加えて、私には「人工知能に負けてたまるか」という個人的な対抗心もある。常人には理解不能なオーバーテクノロジーを飼い慣らし、支配下に置くことは全科学者の憧れだからな。ひょんなことから手に負えなくなり、世界中を巻き込む大騒動に発展するまでがお約束だ。

 とにかく、あのクソガキ(推定)AIはいつか絶対泣かせてやる。


「あたし以外の人にそんなこと言ったら、名誉棄損で訴えられるよ」

「その時はブチ切れて私に手を上げるよう仕向け、暴行罪で反訴してやる」

「もうダメだこのジーニアス」


 澪は盛大なため息をついて「ま、鈴歌らしいっちゃ鈴歌らしいけどさ」と笑った。けれど、細かな手の震えまではごまかせない。

 思いの丈を世に出すことは、彼女が幼い頃から一貫して掲げる「将来の夢」だ。周囲の大人に「食っていけないからやめておけ」と言われたきり口には出さなくなったが、その胸に秘めた情熱と創作意欲は今も健在であることを、私は忘れていない。

 ただ、たった一編の物語を書き上げるために数多の命と人生を踏みにじるとなれば、誰だって筆を止めずにはいられないというもの。これまでも、そしてこれからも永遠に、彼女は自分の選択とそれが招いた結末に思い悩むことだろう。


「では、そろそろ私たちもクラス分けの掲示板を見に行こう。私は特進科だから九割九分九厘別学級になると思うが、休み時間に顔を出すので予定を空けておくように」

「しれっと模範生自慢ぶっ込んできたなこやつ」

「澪のことはおとしめていないだろう。事実を述べて何が悪い」

「でも『こいつ凡人だから普通科だろう』って思ったでしょ?」

「思った」

「大変素直でよろしいですが余計なお世話だよ!」


 澪がそう声を上げた瞬間、こちらへ迫る何かの気配を感じて、私は左腕を振り上げた。飛んできたものを条件反射的にアスファルトの地面へ叩き落とす。二、三度軽く跳ねて足元へ転がった物体を目にし、私たちは息を呑んだ。


「これ……サッカーボール、だよね」

「それ以外の何に見えるというんだ」

「シナリオにないよこんな展開! どうなってるの?」

「私が訊きたい。まさか――まさか、な」

「すいませ~ん! それ、拾ってくれませんか?」


 少し離れたところから間延びした声が飛んだ。声の主は、紛れもなく男だ。

 背筋に緊張が走る。屈んでボールを拾う間に、軽快な駆け足がこちらへ近づく。白いスニーカーを履いた足が視界に入った。相手はもう、すぐそこにいる。


「見つけたぞ、佐々木シャルル良平!」


 運動音痴にとって人生最速級の反応速度で立ち上がりざまに、私はボールを抱えたまま相手の胸ぐらにつかみかかった。

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