side:鈴歌 その4
『今日からあたしたちが通うのって、公立高校……だよね?』
『分類上はそうだが、実態は官民共営のハイブリッド校と呼ぶのが正しい。今回の事件を受けて、元からあった県立高校再編計画に民間企業が手を貸した形だ』
『学校案内パンフレット見たらさ、施設だけじゃなく部活や学校行事も
脳に直接流し込まれる澪の声は期待に弾んでいる。まったくもって能天気な奴だ。町内にあるとはいえ、町民ですらまだ全容を知らない場所へ通って教育を施されるほど、恐ろしいことはなかろうに。
彼女がどんな気持ちで独自の世界観を練り上げたのかは、私も知らない。ただ、私たちの生きるこの世界はあり得ざる空想によって改変された現実であり、その「原作」となったのが澪の書いた小説『トワイライト・クライシス』であると、〈エンプレス〉との問答で明らかになっている。
そして――大変忌々しいことに、MRの中でもイマーシブと呼ばれる没入感の極めて高いこの空間から抜け出す方法は、今のところ死ぬしか無い。
『そんなことよりも、私は〝半寄宿制〟という制度が気になる。月に七日ほど学校で寝泊まりすることになっているそうだが、これも構想にあったのか?』
『なんですと?』
自転車を走らせながら話を振られた澪は、質問の意味が理解できないようだった。私は、何か変なことを言っただろうか。逢桜高校の合格通知と一緒に届いた同意書と、中途半端な制度について言及したんだが。
新入生である私たちは、その「お泊まり当番」を課せられることについて承知したうえで入学する旨を保護者との連名で一筆書かされ、町の商工会議所で行われた制服の採寸日までにオンラインで提出することになっていた。
うちは「出さねば入学を認めない場合がある」と書いてあったため、こんな脅迫じみた真似が許されるのかという疑問を棚に上げて渋々署名をしたのだが。
『その反応……まさか、同意書の存在自体を知らなかったとは言わないだろうな』
『スイマセンソノマサカデス』
『さすが澪、期待を裏切らない女。入学前のやらかしとは私が知る限り自己最速だ。おめでとう』
『そんなの祝われても嬉しくないで――す!』
『とにかく、まずは学校に行ってみよう。出さなくても入学できるものなら、私はその場で生徒全員分の署名を破棄しろと要求する。あんなものが存在してはいけない』
『どんな同意書に署名させられたの鈴歌!?』
逢桜大橋には、逢川の上流に面した側にのみ金属製の柵で車道と分断された狭い歩道がある。その手前で自転車から降り、私たちは徒歩で橋を渡った。学校に通じる直線道路だけあって、同じ目的地に向かう同年代の姿が一気に増える。
「部活どうするー? いっぱいあって迷うよな」
「
「あっ、サッカーといえば、今朝の『おはよ~ござりす』見た? りょーちんがポラリスの主将だってよ! 町内住み確定だよな、どこにいるんだろ」
「ハネショーの勤務先は割れたってよ。駅前の不動産屋の社長だって」
「はね……ああ、羽田正一? りょーちんの幼なじみとかいう。高校時代は有名だったらしいけど初めて聞いたわ。他力本願でバズっただけだろ」
「親の七光りならぬ、りょーちんの七光りってか?」
「二人とも不謹慎だよ! ……でも、なかなか上手いこと言うね」
「だろー?」
『よし。澪、進路を譲れ』
『ステイ! 鈴歌、ステイ! 気持ちは分かるけどダメだってば!』
横一列に広がって前を歩く男子生徒三人組も新入生のようで、会話に花を咲かせながら歩いている。たい焼き男の名前が出たため私も澪も身構えたが、彼らは特にそれ以上掘り下げることなく、以後は聞くに
というより、大家が聞いたらブチ切れるぞこの話題。当事者でなくともこの上なく胸糞悪い。背後から自転車で追突してやろうかと思ったが、澪が必死に「やめろ」と言ってくるので思いとどまることにした。
『そっ、そういえば鈴歌はセーラー服にしなかったの?』
『見た目よりも実用性を意識したらこうなった。ブレザーは中学から着慣れているし、胸元はネクタイの方がより引き締まって見える』
『えーっ、もったいない! 絶対可愛いのに』
『それは澪の主観だろう。私はそう思わない。ゆえに着ない』
『ド正論すぎてぐうの音も出ないわ……』
ところで、全国でも珍しくセーラー服と学ラン、男女共通ブレザーの三パターンから選べる逢桜高校の制服は本当に多種多様だ。前者を華美と感じる私にとって、ブレザースタイルの制服を着続けられるのは地味なメリットながらも嬉しい。
ギャル扱いするには少し地味な感のある、制服を軽く着崩した女子生徒の集団が私たちの後ろを歩きながら、ちょうどその話をネタにしていた。
「ね、ねえ、この道で合ってる? みんな制服違うんだけど」
「バリエーション多すぎだよね。去年までリボンとネクタイが学年ごとに色違いって程度で、男子も女子もブレザーだけだったのに」
「新入生
「カネかかるし、うちら三年だから買い替えは現実的じゃないよね~」
「でもさ、やっぱ可愛いって正義じゃね?」
「それな!」
逢桜大橋を渡り切ると、小さな歩道橋が見えてきた。その手前には左向きの矢印とともに【逢桜高校 正門】と書かれた看板が立っている。ここが入口のようだ。
「新入生だね? ようこそ、逢桜高校へ!」
物腰柔らかな、長い黒髪の女性が私たちに声をかけてきた。その姿を読み取り自動的にARで表示された〈Psychic〉対応のデジタル職員証によれば、彼女は実在する養護教諭の
先生に軽く会釈をして正門をくぐると、今度は道案内の標識が現れた。指定されたチェックポイントを通過すると現れるタイプのARサイネージだ。青地に白抜きされた矢印は左と直進に分かれており、左側は駐輪場、正面が本校舎と書いてある。
「左か」
「そだね」
駐輪場への通路は十分な幅のある緩やかな下り坂になっており、前を走る人もいない。並走しても大丈夫そうだ。私は〈テレパス〉を切って再び自転車にまたがり、澪の右隣に並んで坂を下った。
右手に見える黒いかまぼこ屋根の大きな建物が体育館。その一角を囲むように、坂の終端から右へ曲がった先まで簡易的なつくりの屋根が連なっている。ARからの情報によれば、この全域が駐輪場になっているようだ。
「広っ! 何これ、広すぎでしょ!」
「町内在住のほぼすべての高校生がここに通うんだ、当然だろう。私たちは校舎から一番遠い手前側、教職員用の隣。【高一】の札がある」
「みたいだね。ところで、体育館の横に見えるガラス張りの建物はまさか――」
「全天候型温水プールか。水泳部にとっては天国だな」
「うわー、豪華! いつでも泳ぎ放題じゃん!」
二台の自転車を並べて停め、前カゴからカバンを降ろす。その間も澪は目を輝かせ、落ち着きなく辺りを見回していた。先輩たちが朝練に勤しんでいるのか、体育館の中からは「ラスト一本!」「ナイス~!」などと活気に満ちた声が屋外まで漏れ聞こえる。
新天地に興味が尽きない心境は推し量れなくもないが、今は道草を食っている場合ではない。まだじっくり観察したそうな幼なじみの手を引いて、私は先を急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます