side:鈴歌 その3
「その点、お前らの親御さんにはわりとすんなりご理解いただけて助かったよ。割高な家賃と管理費に見合った価値は持たせてるつもりだからな」
「役場職員と小学校教諭、総合診療科の医師。いずれも今回の騒ぎで最前線に立ち、地獄を見た職業です。カネで安心が買えるなら安いものでしょう」
「なんか頭の回転早すぎて怖ぇなコイツ……ってお前、よく見たらシャルルと一緒に中継映ってAIに中指立てた
「そういうことです。つきましては、彼の居場所を――」
「休日に
私の素性に気づいて声を上げた男は、メガネの奥で目を見開き、独りごちて納得した。ただ、あくまでも納得しただけで、私の望む答えを返してくれそうにはない。
「大家さんは、これからどうするんですか?」
「どうする、ってーと?」
「サッカー選手と社長さんの両立ってことです。どっちも忙しそうだから」
「どんな仕事にも言えるが、好きなことで食ってけるのはほんの一握り。それこそ実力と才能が服着て歩いてるようなヤツでもなけりゃ、生活の柱にはできねえよ」
車椅子の近くでホバリングしていたドローンは、私たちの家の方角に向きを変えると屋根より高い上空に舞い上がった。送られてくる映像から視線を外さぬまま、大家が進路指導じみた話を続ける。
「あと、実のところサッカー選手はさほど忙しくない。チーム全体での合同練習に費やすのは長くても三時間程度だ。午前中に始まって昼前には終わる」
「そうなんですか? なんか意外」
「上手くなりたいなら自由時間はどう過ごしゃいいか分かるよな? ってのがプロアマ共通のスタンスだ。ちなみにこれを指して『大学受験と同じだな』って迷言ぶちかました現役選手がいるとかいないとか」
「どう頑張るか、いつ妥協するかも自分次第。努力しなければ報われない、と」
「まあ、そう言われれば分からなくはないわな。基礎がなってないのに応用なんて論外だろ? やると決めたからには手を抜かない。半端な気持ちでやるモンじゃねえ」
「大家さん――」
「見てろよお前ら。今はどんなに遠くとも、俺は必ずアイツを振り向かせてみせる」
私の意図を知ってか知らずか、澪がごく自然な流れで会話を本筋に戻そうとしている。いいぞ、そのまま好き放題言わせてやれ。あとは私が自白を引き出す。
「人生の
「なんと……羽田選手はツンデレだった……?」
「だから、そういうんじゃねえっつってんだろーがぁぁぁぁ!」
相手が車椅子というハンデを考慮に入れても、澪に言わせれば「ガチめ」なスポーツ経験のある成人男性と平均以下の女子高校生の運動神経は比べるべくもない。
だが、競技種目が話術――いかに情報を引き出すか、という舌戦であれば話は別だ。やり手の不動産屋が何するものぞ、幼なじみとのチームプレー要素も絡むならなおのこと出し抜く自信がある。
「りょーちんのこと、何だかんだで認めてるんですね」
「自分より遅くサッカー始めて、あっという間に追い抜かれたら認めざるを得ないだろ。同年代の選手を
「ってことは、大家さんもその一人……」
「あーあー、聞こえなーい! なーんも聞こえねーなー!」
しきりに頭上を飛び回っていた機械仕掛けのクマバチが、仕事を終えて大家の車へ戻っていった。それを見届けた操縦士はタブレットの画面を細かく確認し、時折画像を拡大して見ては満足そうに何度もうなずく。
春の朝の空気は澄み渡り、住宅街は静けさに包まれている。こちらから仕掛けるなら、今が絶好の機会だ。
「やっべ、もうこんな時間だ。気をつけて行けよ」
「待ってください。もう一つ」
「ああ? しょーがねーな、これっきりだぞ」
大家であり社長……いや、ミッドフィルダー・羽田正一。いざ尋常に、勝負だ。お前がひた隠しにするたい焼き男の手がかりを、洗いざらい聞き出してやる――!
「おっと、悪い。仕事の〈テレパス〉だ」
「え?」
「はい、羽田不動産です。このたびはご契約ありがとうございました」
覚悟を決めて口を開きかけた瞬間、どこかから『新世界より』のメロディーが聞こえてきた。大家は仮想タッチパネルを展開し、〈テレパス〉で会話に応じる。
音声のみ、かつ
「鍵お引き渡し時の花束ですね。ご指定のとおり、
(行こう、鈴歌)
(……そうだな)
ちっ、いいところで邪魔が入ったな。長電話になってしまっては互いに迷惑がかかる。ここは潔く退散するとしよう。
「当初の予定では、本日午後三時半頃に現地集合となっております。このご連絡をもって最終確認となりますが、不都合はございませんか?」
「では、私たちはこれで失礼します」
「はい……はい? 直筆サインの方がいい? そーいうのは本人に直接書いてもらってください。ポラリスのベンチ脇か味方側ゴール裏のデビュー戦観戦チケットでしたら、事務局と交渉して――え? マジで?」
〈テレパス〉で仕事の話をしているはずの大家の顔が、どんどんニヤけていく。興奮した様子でタブレット端末にスタイラスペンを走らせ、学校へ向かおうとする私たちの背中に向けて、彼はそれを誇らしげに掲げてみせた。
【俺のファン いた!】と書いてあるメモ画面を目にした澪もにっと笑い返し、心底嬉しそうな大家に親指を立てて応じる。
「シャルルじゃなくて? ホントに、俺……? もちろん、書かせていただきます! 色紙でもレプリカユニフォームでも、お好きなものをご持参ください。はい、ではまた後ほど! じゃあな!」
「行ってきまーす!」
「へ? あ、いや、すみません違います! たまたま
一転して真っ青になり、右手を掲げて謝り倒す彼を尻目に、私たちは自転車に荷物を積んで走り出した。公道に出たら右に曲がり、県道との合流点を右。道なりにまっすぐ進むと、仙台法務局逢桜支局前に差し掛かる。
車道の信号が青になるのを見計らい、車に気をつけながら左折。中学時代はここを直進して狭い道に入り、大通りに出てJR東北本線逢桜駅前を通過したのち、自転車専用レーンのある尾上橋を渡って川を越えていた。
それに対し、新しい通学ルートは「より短距離、かつ終点まで幹線道路を通ります」とAIは言うが、ここは田舎町。道幅が少し広いだけの片側一車線である。おまけに自転車専用レーンは一切無い。
『じゃじゃーん。そんな時こそ〈テレパス〉の出番さ!』
『はあ』
『操作は超簡単、話したい人と糸でつながってるイメージを思い浮かべるだけ。安全に縦走しながら、並走しているかのように言葉を交わせるんだ。僕も鈴木くんとツーリング行くたび使ってるから、使い勝手はお墨付きだよ!』
愛車を走らせながら、逢桜高校への進学が決まったと報告した時にそう教わったのを思い出した。話したいことは話せるうちに、いっぱい話しておきなよ――とは、青いスーパーカブを駆って通勤する一徹おじさんの弁である。
澪は私の先を行き、セーラー襟をはためかせて緩やかな坂道を上っている。話したい相手と糸でつながるイメージをしろ、か……。
ペダルを踏み込む足に力が入る。ぐん、と車体が坂の頂上に向かって引き上げられると同時に、どこからともなく白く光る糸状のものが視界に現れた。
気づけば、前を走る幼なじみの背中からも同じ物体が生えてきていた。二本の糸は空中を漂いながら伸びていき、しゅるしゅる絡んで結び合わさり――
『あ、つながった。おーい! 聞こえる?』
『聞こえているから声量を下げろ』
かくして、私の〈テレパス〉インカムモード初体験は、いきなり鼓膜にクリティカルヒットを食らわされるという苦い結果で幕を開けた。
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