side:鈴歌 その2
車椅子の上からじっとこちらを見上げるその胸元をよく見ると、青い糸で【羽田不動産(株)】と縫い取られている。車椅子の男……羽田? どこかで聞いた覚えがあるぞ。
「シャルルならここにはいねえよ。この辺りの公園はボール遊び禁止だからな」
「ああーっ、さっきワイドショーで見た人! 羽田正一選手って、大家さんのことだったんですか!?」
「しーっ、声がデカい! 誰かに見つかったらどうすんだ!」
澪の大声に驚き、メゾネットの管理人(この男が物件を所有しているため大家でもある)は慌てふためいた様子でこちらに駆け寄ってきた。いかにも堅物の優等生といった風に品よく整えた長めの黒髪と、黒縁メガネの奥に光る切れ長の目が少し気難しそうな印象を与える顔だ。
同年代の言葉を借りて表現するなら、苦労人の生徒会長か融通が利かない風紀委員ポジションといったところか。制服を着崩し、いつもヘラヘラしている不良……こちらも容易にたい焼き男で脳内変換されるが、ああいうタイプに口うるさく突っかかるイメージが目に浮かぶ。
「今朝、逢桜駅前の事務所で開店準備してたら、ものすごい数の人だかりに囲まれてな。ところが俺はこの足だろ? 逃げたくとも逃げられないワケよ」
「あ……ごめんなさい。あたし、つい」
「もはや恐怖でしかなかったが、これをうまくいなせれば羽田イコール神対応のイメージアップチャンス! と思って意を決し『何か御用ですか?』って声をかけたら――そいつら全員、シャルルのファンだった」
「あの、大家さん? 悪気はなかったんです。信じてください」
「バレンタインデーでよくあるアレだよ、本命の友達づてに告白とかいうアレ。この何とも言えない絶望感七割、戦力外通告を受けた悔しさ二割に『あの和製コンコルドにサッカー教えたの俺なんだぜ!』って一割の優越感を足した複雑な心境、お分かりいただけるだろうか」
「なんかもうホントすいませんでしたぁぁぁぁ!」
この町の不動産業界は風前の
そんな逆境においてもしぶとく生き残りを図る社長ともなれば、見た目から毅然としていなければ務まらないのであろう。
「っていうか、りょーちんのこと普通にミドルネーム呼びしてるんですね……」
「勘違いすんなよ、俺はアイツが〝良平〟って顔じゃねえからそう呼んでるだけ。あっちがどんなに絡んでこようが、シャルルは! ただの! 知り、合い、だ!」
「ホントですかぁ?」
「ここで嘘つく意味がねえだろ、ペット飼育不可物件にすんぞ!」
若干キレ気味ではあるものの、大家は先ほどから澪の質問に答えてくれている。うまく誘導すれば、奴の居場所かその特定につながる情報を吐いてくれるかもしれない。
私は澪に倒れた自転車を起こすよう指示すると、自分の自転車を駐輪場から引き出す。そのうえで、相手の注意を逸らすべく適当な質問を投げかけた。
「ところで大家さん、どこから話をお聞きに? 返答次第では物理的ショック療法を受けていただくことになりますが」
「退去通告を受ける覚悟があるならやってみろや。俺はさっき着いたばかりだから、お前らが何を話してたかは聞いてない」
「じゃあ、なんであたしたちがりょーちんを捜してるって分かったんです?」
「記者発表が出てから特にひどくなったが、俺に連絡してくるヤツの用件は『シャルルに会わせろ』か『紹介してくれ』の二択……ああクソっ、〈テレパス〉の通知が止まらねえ。だから俺に訊くなっての! クラブ事務局の広報にアポ取れや!」
「不動産屋をなさっているのでしたら、物件を探しに来たことは?」
「来たよ。来たけど『富士名物かうなぎパイ持っておととい来やがれ!』って追い返してやった。掛川のが有名なのは分かるが、静岡といえばお茶県だろ? 地元でも作ってるならそっちよこせや、って思うのは俺だけかな」
「ごもっともですね。で、おととい来ました?」
「来ねえっつってんだろ!」
大家はそう吐き捨てると、膝の上に置いたタブレット端末の上ですいすいと指を滑らせた。来客用の駐車スペースに停めてある白いバンタイプの軽ワゴン車から、手のひらサイズにも満たない小さなドローンがこちらに向かって飛来する。
よく見ると、機械の腹に何かが積んである。これまた小型の高感度カメラだ。操作にかなり手慣れた様子から、彼がこのドローンを自分の「目」として常用していることがうかがえる。
「俺は忙しいの。用がないならさっさと学校行きやがれ」
「え~、大家さんのケチ。もうちょっと情報くれてもいいじゃないですか」
「無理なモンは無理。これから役場の監査を迎え撃たなきゃなんないんでね」
「監査……! って、何?」
「知らねえのかよ! ……いや、高校生なんてそんなもんか。うちの会社で取り付けた〝防災結界〟の管理状況を、お役人様がチェックしに来るってこった」
防災結界。正式名称を「対〈モートレス〉ジャマー」というこの機材は、小さなトランシーバー形の子機数台とアンプのような親機一台で構成される。東西南北それぞれに面した角部屋へ子機を、ブレーカーの近くに親機を設置するのが通例だ。
近くで人間が〈モートレス〉になり、それを〝じきたん〟との連携により〈特定災害〉として認知すると自動的に起動。化け物の空間認識・把握能力に電波で干渉し、子機同士を線でつなぎ囲われたところを、侵入できないエリアとして誤認させる。その仕組みがまるで結界のようだからと、この名がついたそうだ。
「今は標準装備に〝防災結界〟があるのとないのじゃ、家賃も客の食いつきも違う。管理不行き届きを理由に手厚い補助金の全額返還、機器取り上げなんてことにでもなりゃ、うちの会社は一発
「めっちゃ重要な検査じゃないですか!」
「俺が扱う物件は町内相場の二倍弱、かなりの強気価格で取引している。それでも町外の同規模都市と比べりゃ平均以下でな。利益ぃ? そんなモンねえよ」
(……
(不動産業者には国、県、町から経営継続補助金と取引価格の暴落を受けた補償金が出ているらしい。いずれも焼け石に水、スズメの涙だが)
(なるほど~。さすが鈴歌、物知り~!)
(入試で社会の時事問題として出たのを忘れてるな、この女)
私と澪が顔を寄せ合ってひそひそ話をしているのに気づき、大家の眉根が狭まる。いけない、機嫌を損ねてはこれまでの下準備が水の泡だ。彼の性格を考えると、不快な人間とは顔を合わせることすらしなくなるかもしれない。
これから動き出そうというときにつかんだ手がかり、簡単に離してなるものか。私は幼なじみと距離を取り、再び大家に向き直った。
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