いざ、新天地へ

 公道に出たら右に曲がり、県道との合流点を右。道なりにまっすぐ進むと、仙台法務局逢桜支局前に差し掛かる。

 車道の信号が青になるのを見計らい、車に気をつけながら左折。中学時代はここを直進して狭い道に入り、大通りに出てJR東北幹線逢桜駅前を通過したのち、自転車専用レーンのある尾上橋を渡って川を越えていた。

 それに対し新しい通学ルートはより短距離、かつ終点まで幹線道路を通るが、ここは田舎町。道幅が少し広いだけの片側一車線である。おまけに自転車専用レーンは一切無い。


『じゃじゃーん。そんな時こそ〈テレパス〉の出番さ!』

『はあ』

『操作は簡単、話したい相手と糸でつながるイメージを思い浮かべるだけ。安全に縦走しながら、並走しているかのように言葉を交わせるんだ。使い勝手はおすみ付きだよ!』


 愛車を走らせながら、私は以前そう教わったことを思い出した。話したいことは話せるうちに話しておきなよ――とは、青いスーパーカブを駆って通勤する一徹おじさんの弁である。

 澪が先行し、セーラーカラーをはためかせて緩やかな坂道を上り始める。話したい相手と糸でつながるイメージをしろ、か……。

 ペダルを踏み込む足に力が入る。ぐん、と車体が坂の頂上に向かって引き上げられると同時に、どこからともなく白く光る糸状のものが視界に現れた。

 気づけば、前を走る幼なじみの背中からも同じ物体が生えてきていた。二本の糸は空中を漂いながら伸びていき、しゅるしゅる絡んで結び合わさり――


『あ、つながった。おーい! 聞こえる?』

『聞こえているから声を抑えろ』


 かくして、私の〈テレパス〉インカムモード初体験は、鼓膜にクリティカルヒットを食らわされるという苦い結果で幕を開けた。


『今日からあたしたちが通うのって、公立高校……だよね?』

『分類上はそうだが、実態は官民共営が正しい。元からあった県立高校の再編計画に民間の総合警備会社が手を貸したと聞いている』

『学校案内見たらさ、施設だけじゃなく部活や学校行事も一新したらしいじゃん。楽しみじゃない?』


 脳に直接流し込まれる澪の声は期待に弾んでいる。まったくもってお気楽だな。町民ですら全容を知らない場所へ通って教育を施されるほど、恐ろしいことはなかろうに。


『それよりも、私は〝半寄宿制〟なる制度が気になる。月に七日ほど学校で寝泊まりすることになっているそうだが、?』

『なんですと?』


 話を振られた澪は、質問の意味が理解できないようだった。逢桜高校の合格通知と一緒に届いた同意書に書いてあった話だから、知らないはずはないんだが。

 新入生である私たちは、その「お泊まり当番」を課せられることについて承知したうえで入学する旨を保護者との連名で一筆書かされ、町の商工会議所で行われた制服の採寸日までにオンラインで提出することになっていた。

 「出さねば入学を認めない場合がある」と書いてあったため、私はこんな脅迫じみた真似が許されるのかという疑問を棚に上げて渋々署名をしたんだぞ。


『その反応……同意書どころか制度の存在自体を忘れていたな』

『スイマセンソノマサカデス』

『さすが澪、期待を裏切らない女。入学前のやらかしとは私が知る限り自己最速だ。おめでとう』

『期待すな! そして祝うなーっ!』

『とにかく、まずは学校に行こう。一筆なくても入学できるなら、私は生徒全員分の署名を破棄しろと要求する。あんなものが存在してはいけない』

『どんな同意書に署名させられたの鈴歌!?』


 逢桜大橋には、逢川の上流に面した側にのみ金属製の柵で車道と分断された狭い歩道がある。その手前で自転車から降り、私たちは徒歩で橋を渡った。学校に通じる直線道路だけあって、同じ目的地に向かう同年代の姿が一気に増える。


「部活どうするー? いっぱいあって迷うよな」

「実業高校時代からの伝統で、部活名は〝部〟じゃなく〝班〟って呼ぶらしいね。サッカー班、硬式テニス班、演劇班、吹奏楽班……的な」

「あっ! サッカーといえば、今朝の〝おはよ~ござりす〟見た? あのりょーちんだぜ、りょーちん! どの辺住んでるんだろ」

「ハネショーの勤務先は割れたらしい。駅前の不動産屋で社長やってるとか」

「はね……ああ、羽田正一とかいう奴? 現役時代はそこそこ有名だったらしいけど、たぶん誰も覚えてないぞ」

「うわー、きっつ。マジモンの天才と一生比べられ続ける人生とか、オレなら劣等感で死にたくなるね」

「二人とも最っ低! でも、分からなくはないかな」

『よし。澪、進路を譲れ』

『ステイ! 鈴歌、ステイ! 気持ちは分かるけどダメだってば!』


 横一列に広がって前を歩く男子生徒三人組も新入生のようだ。たい焼き男の名前が出たため思わず聞き耳を立ててしまったが、以後は聞くにえない大家の悪口が長々と続いた。

 これは立派な誹謗ひぼう中傷だぞ。当事者でなくとも胸糞悪い。背後から自転車で追突してやろうかと思ったが、澪が必死に「やめろ」と言ってくるので思いとどまることにした。


『そっ、そういえば鈴歌はセーラー服にしなかったの?』

『見た目よりも実用性を重視したらこうなった。ブレザーは中学から着慣れているし、ネクタイとスラックスの方がより引き締まって見える』

『えーっ、可愛いのにもったいない!』

『それは澪の主観だろう。私はそう思わない。ゆえに着ない』

『ド正論すぎてぐうの音も出ないわ……』


 ところで、全国でも珍しくセーラー服か学ラン、男女共通ブレザーから選べる逢桜高校の制服は本当に多種多様だ。前者を華美と感じる私にとって、ブレザーがあるのは地味なメリットながら嬉しい。

 ギャル扱いするには少し地味な感のある、制服を軽く着崩した女子生徒の集団が私たちの後ろを歩きながら、ちょうどその話をネタにしていた。


「ね、ねえ、この道で合ってる? みんな制服違うんだけど」

「バリエーション多すぎだよね。去年までリボンとネクタイが学年ごとに色違いって程度で、男子も女子もブレザーだけだったのに」

「新入生うらやま~。前の茶髪の子、セーラーじゃん。いーなー」

「後ろの子はパンツスタイルかぁ。クール系女子、アリだと思います」

「ただ、うちら三年だから買い替えは現実的じゃないよね……」

「ね~。でも、やっぱ可愛いとカッコいいは正義じゃね?」

「それな!」


 橋を渡り切ると、小さな歩道橋が見えてきた。その手前には左向きの矢印とともに【逢桜高校 正門】と書かれた看板が立っている。ここが入口のようだ。


「新入生だね? ようこそ、逢桜高校へ!」


 物腰柔らかな、長い黒髪の女性が私たちに声をかけてきた。その姿を読み取り自動的にARで表示された〈Psychicサイキック〉対応のデジタル職員証によれば、彼女は養護教諭の今井いまい先生。普段は保健室に常駐しているらしい。

 先生に軽く会釈えしゃくをして門をくぐると、今度は道案内の標識が現れた。指定されたチェックポイントを通過すると現れるタイプのARサイネージだ。

 青地に白抜きされた矢印は左と直進に分かれており、左側は駐輪場、正面が本校舎と書いてある。


「左か」

「そだね」


 駐輪場への通路は十分な幅のある緩やかな下り坂になっており、前を走る人もいない。並走しても大丈夫そうだ。

 私は〈テレパス〉を切って再び自転車にまたがり、澪の右隣に並んで坂を下った。

 右手に見える、黒いかまぼこ屋根の大きな建物が体育館。その一角を囲むように、坂の終端から右へ曲がった先まで簡易的なつくりの屋根が連なっている。ARからの情報によれば、この全域が駐輪場になっているようだ。


「広っ! 何これ、広すぎでしょ!」

「町内に住むほぼすべての高校生がここに通うんだ、当然だろう。一年生の指定駐輪場は校舎から一番遠い手前側、教職員用の隣。【高一】の札がある」

「みたいだね。ところで、体育館の横に見えるガラス張りの建物はまさか……」

「室内型温水プールだ。水泳班員にとっては天国だな」

「うわー、超豪華! 一年中いつでも泳ぎ放題じゃん!」


 二台の自転車を並べて停め、前カゴからカバンを降ろす。その間も澪は目を輝かせ、落ち着きなく辺りを見回していた。先輩たちが朝練に勤しんでいるのか、体育館の中からは「ラスト一本!」「ナイス~!」などと活気に満ちた声が屋外まで漏れ聞こえる。

 新天地に興味が尽きない心境は分からなくもないが、今は道草を食っている場合ではない。まだじっくり観察したそうな幼なじみの手を引いて、私は先を急いだ。

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