side:鈴歌 その1

「ちょ、ちょっと鈴歌!」

「東海ステラ、フランス生まれ静岡育ち、広く名の知れたサッカー選手……間違いない。あいつが〝りょーちん〟だ」


 映像を見た瞬間、心の中に立ち込めていた霧がさあっと晴れた気がした。私たちは確かにあの日、あの時、あの場所で出逢っている。

 強引に家から連れ出される形となった澪は困惑した表情を浮かべつつ、屋根のついた駐輪場から自転車を引き出した。淡いメタリックピンクの車体が朝日を反射し、キラキラとまぶしい光を放つ。


「急にどうしたの? まさか、りょーちんを捜しに行くつもりじゃないよね」

「〈特定災害〉特措法第六条の二の規定によれば、身体に〈五葉紋〉が現れた者は町民であれ観光客であれ、猶予期間が過ぎた後は町外に出られない。、ともいえるな」

「移住が、義務に……」

「地元に戻れなくなった以上、たい焼き男は逢桜町に住むしかない。ならば、町内をくまなく捜せば必ずどこかで出逢えるはずだ。違うか?」


 私がそう問いかけると、幼なじみの腕がびくりと跳ねた。つかんだ部分から身体がこわばり、急激な発汗によって放出された熱の滞留が伝わってくる。

 嘘をついたり、相手の発言が図星だった時、澪の身体は決まってこういう反応を見せるのだ。私が気づいていないとでも? 危機管理が甘いな。実に甘い。


「事件当日、奴は大学生だと言っていた。ちょうどこの春卒業して専業選手になる予定だったとすれば、このタイミングでの移籍話は非常に都合がいい」

「何が……言いたいの?」

「ようやく時計の針を動かす決心がついたようだな」


 自分でも驚くほど詩的な表現が口から出た。ざあっ、と音を立てて私たちの間を春風が吹き抜け、近所に植えられた葉桜の赤茶けた枝を揺らす。

 明るい茶色をした澪の大きな瞳が、わずかに潤んで見える。新品の制服にシミをつけまいと、あふれ出す感情を必死でせき止めているのは明白だった。

 あの日から何度、この顔を見ただろう。何度、その涙に心を刺し貫かれただろう。私は今日もまた同じことを繰り返してしまった。


「今までどれだけ悩み苦しんだか、観測者にすぎない私の身では察するに余りあるが――よくぞ覚悟を決めてくれた」

「鈴歌」

「すまない。外ではこの話を控えるんだったな」

「鈴歌、そういうことじゃない」


 良かれと思って声をかけると、相手はいつも気分を害する。悩み、苦しんでいるであろうことは察しの悪い私でも分かるから、精一杯言葉を選んでいるつもりだ。

 なのに、なぜ泣く? なぜ怒る? 他人ひとは私に何を求めているんだ。


「今すぐ佐々木を捜しに行きたいところではあるが、先に学校へ行こう。拠点となる場所はなるべく早いうちに把握し――どうした?」

「やっぱり、何も分かってないんだね」


 聞いたことがないような冷たい声に、私は得も言われぬ悪寒を感じた。なんだ、この寒気は? 何も分かっていないとはどういうことだ?

 私はこんなにも、澪のことを観察しんぱいしているというのに。


「あたしの小説が原作だっていうなら、続きを書けば事件は解決に向かう。そういう設定で書いてるから。しかもデビュー作がいきなりマルチメディア展開なんて、作家志望には願ってもない話だよ」

「そうか」

「書くからには、自分史上最高に面白いものを書き上げたい。でも、続きを書けば誰かが死ぬ。書かなければ筋書きにない誰かが死に続ける。かといって、人の死なないSFパニックホラーなんてあり得ないわけ」

「……澪」

「ねえ、鈴歌。あたしはどうすればいいと思う? どうするのが正解なの? いつもみたいに教えてよ。ギフテッドなんでしょ? ねえ!」

「澪、私は――」

「あたしは〝神〟になんてなりたくなかった!」


 〝神〟になんてなりたくない――。肩を震わせて発した一言に、澪がたった独りで背負ってきた葛藤と、罪悪感と、重荷のすべてが詰まっているような気がした。

 目を覚ませ、水原鈴歌。覚悟の重さを見せつけられても静観を決め込むつもりか?

 成果みおのためなら何でもする、血で手を汚すこともいとわない。それこそがマッドサイエンティスト志望の矜持きょうじ、私にしかできない「覚悟」の表し方だろう!

 気がつけば、口より先に手が動いていた。熱を帯びた腕を引き寄せ、たった一人の親友を力強く抱きしめる。自転車をひっくり返したことについてはあとで謝るとしよう。


「ならば、ともに終わらせよう。この物語を、私たちの手で」

「……すず、か?」

「開き直って続きを書け。どんな結末が待っていようと、私が一緒に責任を取る。世界を敵に回しても、私だけは澪を支持する。だから、その手で未来を創れ」

「未来を、創る――」

「私も、登場人物の一人なんだろう? 思ったとおりに動かしたいなら、。自信を持って書け、書き続けろ。思うがままに、最後まで!」


 力なく垂れていた澪の両腕が私の背中に回り、後ろできゅっと結ばれる。数十秒ほど沈黙が流れた後、〝神〟は意を決した様子で口を開いた。


「あたし、やるよ。やり切ってみせる」

「よくぞ言ってくれた。となると、結末は澪のみぞ知る――ということだけが私にとって現状唯一の不安要素だが、そのあたり構想はどうなっている?」

「ネタバレ要求する登場人物がいるか! でも、まあ、今言えることは……」

「言えることは?」

「任せて。あたし、バッドエンド嫌いだから」


 身体を離し、ポケットから取り出した花柄のハンカチで澪は目尻をぬぐった。

 これで、私たち二人は現状を打破するために協力者……共犯者として手を組んだことになる。実にノリがいいぞ川岸澪、おまえはやはりこうでなくては。

 まず最初にやるべきことは、プロットの確認だ。それを基に続きを書くことで、あのクソAIに対する反乱の基盤を築こう。具体的には私たちの行動を支持し、賛同してくれる仲間集めだな。

 その最有力候補が、あの日私と同じものを見て、かつ最も早く足取りをつかめそうな人物。つまりたい焼き男なのだが——


「おーおー、朝からお熱いことで。百合を咲かすのは勝手だが家でやれや」

「誰だ!」

「通りすがりの大家ですが何か?」


 横から浴びせられた冷たい声に視線を向けると、ワイシャツにネクタイ、スラックスという会社員らしい服装の上に薄緑の作業服を着込んだ男がそこにいた。

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