天才と幼なじみ(上)

「おーおー、朝からお熱いことで。百合を咲かすのは勝手だが家でやれや」

「誰だ!」

「通りすがりの大家ですが何か?」


 横から浴びせられた冷たい声に視線を向けると、ワイシャツにネクタイ、スラックスという会社員ルックの上から薄緑の作業服を着込んだ男がそこにいた。

 車椅子の上からじっとこちらを見上げる彼の胸元をよく見ると、青い糸で【羽田不動産(株)】と縫い取られている。

 車椅子の男……羽田? どこかで聞いた覚えがあるぞ。


「シャルルならここにはいねえよ。この辺りの公園はボール遊び禁止だからな」

「ああーっ、さっき〝おはよ~ござりす〟で見た人! 大家さん、プロデビューおめでとうございます!」

「しーっ、声がデカい! 誰かに見つかったらどうすんだ!」


 澪の大声に驚き、メゾネットの管理人(所有権を持つため大家でもある)は慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。いかにも堅物の優等生といった風に品よく整えた黒髪と、黒縁メガネの奥で光る鋭い目が気難しそうな印象を与える顔だ。

 同年代の言葉を借りて表現するなら、苦労人の生徒会副会長かお堅い風紀委員タイプといったところか。制服を着崩すチャラい不良、いつもヘラヘラしている生徒会長……こちらも容易にたい焼き男で脳内変換されるが、ああいうやからに口うるさく突っかかるナンバー2のイメージが目に浮かぶ。


「今朝、駅前の事務所で開店準備してたら、ものすごい人数に囲まれてな。ところが俺はこの足だろ? 逃げたくとも逃げられないワケよ」

「あ……ごめんなさい。あたし、つい」

「もはや恐怖でしかなかったが、意を決して『何かご用ですか?』って声をかけたら――そいつら全員、シャルルのファンだった」

「あの、大家さん? 悪気はなかったんです。信じてください」

「この何とも言えねえ空気七割、ドン引き二割と『あの和製コンコルドにサッカー教えたの俺なんだぞ!』って一割の優越感を足した複雑な心境、お分かりいただけるだろうか」

「なんかもうホントすいませんでしたぁぁぁぁ!」


 町境ちょうざかいの封鎖によって引き起こされた土地・建物取引価格の大暴落、向こう三軒両隣に一軒はあるという事故物件率、ゆえに入居者をり好みしていられない……という三重苦にさらされ、この町の不動産業界は風前の灯火ともしびだ。

 そんな逆境でしぶとく生き残る若社長とあれば、見た目から毅然きぜんとしていなければ務まらないのであろう。


「っていうか、りょーちんのことミドルネーム呼びしてるんですね」

「勘違いすんなよ、俺は個人的に一番アイツらしい名前だと思うからそう呼んでるだけ。ただの幼なじみだよ。間違ってもデキてなんかいない!」

「ホントですかぁ?」

「ここで嘘つく理由がねえだろ! シャルルは! ただの! 知り、合い、だ!」


 若干キレ気味ではあるものの、大家は先ほどから澪の質問にきちんと答えている。うまく誘導すれば、有力な情報が手に入るかもしれない。

 私は澪に倒れた自転車を起こすよう指示すると、自分の自転車を駐輪場から引き出す。そのうえで、相手の注意を逸らすべく適当な質問を投げかけた。


「ところで大家さん、どこから話をお聞きに? 返答次第では物理的ショック療法を受けていただくことになりますが」

「退去通告を受ける覚悟があるならやってみろや。俺はさっき着いたばかりだから、お前らが何を話してたかは聞いてない」

「じゃあ、なんであたしたちがりょーちんを捜してるって分かったんです?」

「俺に話しかけてくる女の用件なんざ『シャルルに会わせろ』か『紹介してくれ』の二択って相場が……ああクソっ、〈テレパス〉の通知が止まらねえ。だから俺にくなっての! 下心見え見えなんだよてめえら!」

「不動産屋をなさっているのでしたら、物件を探しに来たことは?」

「来たけど『富士名物かうなぎパイ持っておととい来やがれ!』って追い返してやった。掛川茶は飲んでみたかったからもらってやったが」

「で、おととい来ました?」

「来ねえっつってんだろ!」


 大家はそう吐き捨てると、膝の上に置いたタブレット端末の上ですいすいと指を滑らせた。来客用の駐車スペースに停めてある白いバンタイプの軽ワゴン車から、手のひらサイズにも満たない小さなドローンがこちらに向かって飛来する。

 よく見ると、機械の腹に何かが積んであるな。これまた小型の高感度カメラだ。かなり手慣れた操作から、彼がこのドローンを自由な「目」として常用していることがうかがえる。


「俺は忙しいの。用がないならさっさと登校しやがれ」

「え~、大家さんのケチ。もうちょっと情報くれてもいいじゃないですか」

「無理なモンは無理。これから役場の監査を迎え撃たなきゃなんないんでね」

「監査……! って、何?」

「知らねえのかよ! ……いや、高校生ならそんなもんか。うちの会社で取り付けた〝防災結界〟の管理状況を第三者がチェックしに来るってこった」


 防災結界。正式名称を「対〈モートレス〉ジャマー」というこの機材は、小さなトランシーバー型の子機数台とアンプのような親機一台で構成される。部屋や建物の四隅へ子機を、ブレーカーの近くに親機を設置するのが通例だ。

 「じきたん」との連携により、近くで人間が〈モートレス〉になったことを認知すると自動的に起動。化け物の空間把握能力に電波で干渉し、子機同士を線でつなぎ囲われた場所の認識を妨害する。その仕組みがまるで結界のようだからと、この名がついたそうだ。


「今は標準設備に〝防災結界〟があるのとないのじゃ、家賃も客の食いつきも違う。管理不行き届きを理由に設置補助金の全額返還、機器取り上げなんてことにでもなりゃ、うちの会社は一発倒産アウトだ」

「めっちゃ重要な検査じゃないですか!」

「うちの物件は町内相場の二倍弱、かなりの強気価格で取引している。それでも町外の同規模都市と比べりゃ平均以下でな。黒字なんざしばらく見てねえよ」

(……もうかってないのにどうやって暮らしてんのこの人?)

(不動産業者には国、県、町から経営継続補助金と取引価格の暴落を受けた補償金が出ているらしい。いずれも焼け石に水、スズメの涙だが)

(なるほど~。さすが鈴歌、物知り~!)

(入試で社会の時事問題として出たのを忘れてるな、この女)


 私と澪が顔を寄せ合ってひそひそ話をしているのに気づき、大家が眉根を寄せる。いけない、機嫌を損ねてはこれまでの努力が水の泡だ。彼の性格を考えると、不快な人間とは顔を合わせることすらしなくなるかもしれない。

 これから動き出そうという時につかんだ手がかり、簡単に離してなるものか。私は幼なじみと距離を取り、再び大家に向き直った。

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