side:C その3

「おかげで目が覚めたよ。ちょうど平凡な日々に飽きてきたところでね」

「そう。つかの間の非日常を感じてもらえたなら嬉し……」

「役者は出揃った。正確な記録を残すため、ここからは腹を割って話をしよう」


 AIの表情が明らかに変わった。目の前の女子中学生は、ただ聡明なだけではない。役者? 出揃った? 実に意味深な発言だ。

 彼女がの可能性は否定できない。だが、私には彼女が何か重要なことを知っていながら隠しているように思える。この事件の解明につながる情報か、あからさま過ぎる犯人の背後にいる第三者か……あるいは、その両方を。


「何のことかしら。わたしには分からないわ」

「完全自律型AIによる〈Psychicサイキック〉の乗っ取り。最初のひとりを起点として通信記録を芋づる式にたどり、人脈を疑似的なインターネットに見立てて、私たちに連なるあらゆるものを侵し壊すサイバーテロ」


 彼女の考察は、恐ろしいほどに正鵠せいこくを射ていた。その場の誰もが息を呑む。少女は伏せていた顔を上げると、確信に満ちた顔で言った。


「〈エンプレス〉。お前の手口と、実によく似ていると思わないか?」


 答えは実に明白だった。晴海さんもどきの顔から笑みが消え、少女とその背後にいる我々へ向けた視線が、見る間に冷たさを増していく。


「……あなた、どこまで知っているの?」

「とぼけるな。その答えもとうに把握しているだろう? 私の頭の中を盗み見て」

「なんて卑怯な人なの。苦しめるだけ苦しめて、トドメを刺さないなんて」

「それはお前も同じだろう。二人の人間の命と尊厳をもてあそび、一人は今まさに惨たらしい方法で死に追いやろうとしている。自分の力を誇示し、私たちを従わせようとする、ただそれだけのために」


 再び〈女帝〉が指パッチンの構えを取った。あれを鳴らされては、また何か良くないことが起きる。目配せをすると、サングラスの若者は小さくうなずいた。少女に付き添う私の部下も、口の動きで(いつでもいけます)と応じる。

 必ず、止めなければならない。さらなる犠牲者の発生を。護らなければならない。事件の鍵を握る少女を。この町と、ここに集った人々を。

 たとえ、命に代えてでも――


「お前のように命を冒涜ぼうとくする者を、私は――絶対に、許さない!」


 少女が力を込めて叫んだ刹那、三人の大人が地を蹴った。こんな時のために銃を携帯している部下が、迷わず懐に右手を突っ込む。

 武装していなくとも、彼はその身体能力こそが最大の武器だ。瞬発力を最大限に発揮して一歩抜きん出るあたりに、私はアスリートの本気を見た。

 そして、若者たちに負けていられない、と太刀のつかに手をかけたその時。


「ぐっ!?」

「う……っ、あぁぁぁぁぁ!」

「いつっ――なん、ですか……これは……!」


 手の甲に焼けるような熱さと強い痛みが走り、我々はその場に膝をついた。額に脂汗がにじみ、全身に悪寒が走る。未体験なので憶測の域を出ないが、刺青タトゥーを入れるときもこんな感じなのだろうか。

 スーツの彼女が武器を取り落とした。カラカラと乾いた音を立てて、自動拳銃が路上に転がる。幸い弾倉は空だったようで、暴発はせずに済んだ。


「まあ、怖い! 本物の拳銃だわ。九ミリパラベラム九連発の〝渇望ディザイア〟……警察や自衛隊では扱っていない品ね。どこで手に入れたの?」

「誰が……言うもの、ですか……!」

「その剣も素敵。カタナ、というのでしょう? 真剣ほんものなの? あとでぜひ抜いてみせて」

「キミを斬ることになったら考えるよ」


 ヒールの音を響かせながら、〈エンプレス〉はこれから首をねる罪人の品定めをするように私たちの前を歩き回った。


「存在そのものが武器。わたしの目から見ても、お兄さんは名選手だわ。本当よ」

「人呼んで〝和製コンコルド〟、十番より怖い十一番だからな。速さと技術、フィジカルには自信あり、だけど……誰だよ、スパイクで手ぇ踏んだの! 一発退場レッドだぞ!」

「踏んでない踏んでない。とりあえずうるさいから冷静になってくれ」

「はっ……確かに。サッカー経験者じゃないと通じない表現だったわ、ごめーん」

「そういう意味じゃない、このチャラ男!」


 部下から私、青年の前を通って、少女の正面へ。見上げる少女と見下ろす侵略者、ふたりの女性の視線がかち合う。


「それは〈五葉紋ごようもん〉。あなたたち人間の可能性を拓き、命を輝かせる起爆剤。あなたという人の存在価値を、あまねく世に知らしめるもの」

「な、に……?」

「一画ずつ使うか、一気に全部使うかは個人の自由よ。けれど、チャンスはひとり五回。よく考えてご利用くださいな」


 右手に目をやると、ちょうどまばゆく光るひし形の紋様がひとつ、中指の根元付近に刻まれたところだった。ひとつ、またひとつと増えていくそれは、放射状の配置も相まって花のように見える。

 しばらくすると、道具も施術者もなしに手の甲へ桜が咲いた。られたのが(でっち上げられた)事実なら、。身に覚えがあるか否かは問題にならない。

 これが先ほど聞いた、因果の逆転による事実誤認――


(待てよ、私たちは現実世界にいたはずだ。我々はなぜ今、MR特有の現象を体感している? これではまるで……)


 考えられる原因はただ一つ。最も恐れていたことが起きてしまった。


「ここはすでに、あなたたちの知る逢桜町ではないわ。想像力で未来を描けば、噓も真実まことになる世界。理想と現実は混ざり合い、ひとつにけ合う」

「まさか――」

「ようこそ。理想ゲーム現実リアルがシームレスにつながる新世界、イマーシブMRへ」


 晴海さんの皮をかぶった〈エンプレス〉は、これまで見た中で最も邪悪な「女帝」という字面から連想されるイメージどおりにほくそ笑み、勝ち誇る独裁者のような顔をした。


「バカな! 下敷きはあれど、揚げ足取りにして非現実的です。自分たちはすでにMRの世界に取り込まれているというのですか」

「ここは、なりたい自分になれる世界。想像力ひとつで現実を書き換えられるのよ。どう? とっても素敵な理想郷ユートピアだと思わない?」


 敵は自分が全知全能の神にでもなったかのような主張を繰り返しているが、MRは決して万能の技術ではない。カメラの撮影フィルターと同じで、見た目はいくらでも変えられるが、現実世界に及ぼす物理的な干渉能力には限界がある。

 例えば、私が刀を抜かずに〈エンプレス〉を斬りつける演技をしたと仮定してみよう。ただの一瞬でも斬られたという錯覚を相手に与えることができれば、それだけで私は現実に存在する彼女の肉体に傷を負わせることが可能だ。彼女の身体が斬られたと思い込み、からね。

 逆に言えば、斬るフリや大した威力のない攻撃だと見破られたら最後、起死回生のダイレクトシュートは滑稽こっけいなパントマイムに成り下がってしまうのだ。


「想像力は人を殺す。俺が自制できる男で命拾いしたな」

「人間はしがらみの多い生き物だものね。特にお兄さんはラフプレーを働こうものなら大炎上間違いなし。だからわたし、あのカメラを通じて観客みんなの倫理観をちょっぴりいじってあげたの!」

「サポーターを人質に取って、俺を従わせようってか? 狂ってるぞ、おまえ」

「みーんな、あなたのに期待してるわ。こういうの、お好きでしょう?」


 あるいは、MRの世界で背中に翼を生やしてみよう。飾りではなく、鳥のように空を飛ぶために存在し、自分にも他人にも視認できる大きな白い翼だ。

 そのままビルの屋上から助走をつけて、飛び降りたらどうなるか。現実世界の私には風を受けて揚力を得る手段がない。たちまち地面へ墜落し、運が悪ければ死ぬだろう。

 想像力によって叶う夢もあるが、現実との境を見失っては取り返しがつかない。時に他人の命を奪い、自分をも殺す道具になりうる。

 ゆえに、想像力は人を殺す……言い得て妙な金言だ。


「最ッ低だな。出るくいを打つ人間も嫌いだが、お前は別格だ。くたばれ」

「うふふ、その目、その殺意! ゾクゾクするわ!」

「そうかそうか、中指を立てられたのがそんなに嬉しいか。二発ほど殴らせろ」

「あなたの虚勢がどこまで保つか。面白い実験になりそうね」


 お前たちは終わりだ。そう言いたげな敵を前に、やっと痛みが引いてきた様子の少女が立ち上がった。

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