side B

創作者の矜持

「ちょ、ちょっと鈴歌!」

「東海ステラ所属、フランス生まれ静岡育ち、名の知れたサッカー選手……間違いない。あいつが〝りょーちん〟だ」


 映像を見た瞬間、心の中に立ち込めていた霧がさあっと晴れた気がした。私たちは確かにあの日、あの時、あの場所で出逢っている。

 強引に家から連れ出される形となった澪は困惑した表情を浮かべつつ、屋根のついた駐輪場から自転車を引き出した。淡いメタリックピンクの車体が朝日を反射し、キラキラとまぶしい光を放つ。


「まさか、今から捜しに行くつもりじゃないでしょうね」

「対〈特定災害〉特措法第六条の二の規定によれば、身体に〈五葉紋〉が現れた者は誰であれ、町外に出られない。猶予期間、つまりが法律で義務づけられたとも言い換えられるな」

「移住が、義務に……」

「たい焼き男は、必ずこの町のどこかにいる。町内をくまなく捜せば会えるはずだ。違うか?」


 私がそう問いかけると、幼なじみの腕がびくりと跳ねた。つかんだ部分から身体の硬直、急激な発汗によって放出された熱の滞留が伝わってくる。

 嘘をついたり、相手の発言が図星だった時、澪の身体は決まってこういう反応を見せるのだ。私が気づいていないとでも? 危機管理が甘いな。実に甘い。


「私が原作者の存在を明かしてしまって以降、町内ではが始まった。澪やおじさん、おばさんには大変な迷惑をかけたと思っている」

「鈴歌のせいじゃないよ。

「くじ引き首相が早々に特措法を改正し、私たちを緊急保護に値する証人に指定したことで、詮索せんさくは表向き止んだが……」


 ざあっ、と音を立てて私たちの間を春風が吹き抜け、近所に植えられた葉桜の赤茶けた枝を揺らす。

 明るい茶色をした澪の大きな瞳が、わずかにうるんで見える。新品の制服に染みをつけまいと、あふれ出す感情を必死でせき止めているのは明白だった。


「世界を変えたのがあたしなら、世界を元どおりに戻せるのもあたしのはず。書き起こした内容がMRを介して現実に反映される設定だから」

「それなら、一気にたたみかけて完結させろ。何を迷う必要がある?」

「書くからには、自分史上最高に面白いものを書き上げたい。でも、続きを書けば誰かが死ぬ。書かなければ筋書きにない誰かが死に続ける」


 元々、彼女が小学生の頃から小説を書いていることは同級生の間でも有名な話だった。中学校では国語の課題でゴーストライターを頼まれること複数回、教師から文学賞への応募を勧められたこともあったという。

 それゆえ、周囲はすぐ「あいつだ」と感づいた。だが――情けをかけたのか、誹謗ひぼう中傷に対する報いが厳罰化されているからか、面と向かって糾弾きゅうだんしてくる者はない。


「どう転んでも現実で人が死ぬ、それを気にしているんだろう? プロの作家でもないのに、なぜそこまで内容にこだわる。創作者のプライドというやつか?」

「みんな理解できないだろうし、自分でもバカみたいって思う。だけど……それじゃあたしがあたしを許せない。リアルまでご都合主義とかクソ喰らえ」

「――澪」

「そのくだらない創作者魂が、『駄作で終わらせるな』って叫んでるんだ!」


 澪は私の両肩をつかみ、すごい剣幕で詰め寄った。あたしはどうすればいい? と、涙にゆがんだ瞳が問いかけてくる。


「あたしは〝神〟になんてなりたくなかった!」


 神になんてなりたくない――。肩を震わせて発した一言に、澪がたった独りで背負う葛藤と、罪悪感と、重荷のすべてが詰まっているような気がした。

 ああ、そうか。現実から目をそむけていたのは私のほうだ。いつものように「お前が何を求めているのか、私には分からない」と言い訳をして。

 気がつけば、体が動いていた。熱を帯びた腕を引き寄せ、澪を力強く抱きしめる。自転車をひっくり返したことについてはあとで謝るとしよう。


「なら、ともに終わらせよう。この物語を、私たちの手で」

「……すず、か?」

「開き直って続きを書け。どんな結末になっても、私が一緒に責任を取る。世界が敵に回っても、私は澪の味方をする。だから、その手で未来を創れ」

「未来を、創る――」

「物語が現実に影響を及ぼすというなら、。そうすれば、私も登場人物の一人として澪を助けられる。自信を持って書け、書き続けろ!」


 力なく垂れていた澪の両腕が私の背中に回り、後ろできゅっと結ばれる。数十秒ほど沈黙が流れた後、「神」は意を決した様子で口を開いた。


「あたし、やるよ。やり切ってみせる」

「よく言った。となると、結末は澪のみぞ知る――ということが最大の不安要素になるわけだが、そのあたり構想はどうなっている?」

「ネタバレ要求する登場人物がいるか! でも、まあ、今言えることは……」

「言えることは?」

「任せて。あたし、バッドエンド嫌いだから」


 身体を離し、ポケットから取り出した花柄のハンカチで澪は目尻をぬぐった。

 これで、私たち二人は現状を打破するため手を組んだことになる。そうだ、その意気だぞ川岸澪。お前はやはり前向きでなくては。

 まず最初にやるべきことは、プロットの確認だ。それをもとに続きを書くことで、活動の基盤を築こう。具体的には私たちの行動を支持・賛同し、時に力を貸してくれる仲間集めだな。

 その最有力候補となるのが、あの日私と同じものを見て、かつ最も早く接触を図れそうな人物。つまりたい焼き男なのだが――

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