side:C その5
〈エンプレス〉が空中で指を滑らせる。やや間を置いて、飛行機のコックピット、あるいはコンピュータのコンソールを思わせる機械的な表示が我々の視界いっぱいに展開された。
「なんだ、これは……」
「女子中学生には倫理規制を理由に縁がないはずの画面ですね」
右上にある丸い円は、自身と仲間、並びに敵の位置と数が簡易的に記された周辺の地形図。私たちは四人一組のパーティにされたらしく、自分の位置が水色、仲間は黄色の矢印でそれぞれ表現されている。
鮮紅色の点で敵性体と判定されているのは、〈エンプレス〉と……かわいそうに、まだ息があるのか。そろそろ楽にしてやらねば。
右下はコンパクトな所持品選択欄になっている。道具を手にするとアイコン表示が変わるらしい。ゲームでいうアイテム
「MRサッカーの画面と少し似てるな……習うより慣れよって感じ?」
「キミは説明を受けるより、身体で覚えた方が手っ取り早そうだね」
地形図の左上部には、横長の電光掲示板のような形状をした半透明のメッセージウィンドウがあるが、今は何も流れていない。
左端のスペースは〈
敵味方の双方に体力と精神力の表示がないのは、より強いサバイバル感を演出するためだろう。ユーザー全員を問答無用の生存競争に巻き込むことを前提に作り込まれた、悪趣味なこだわりには脱帽するよ。
「ほぼ間違いない。この原作はゲームではなく、SF小説だ。題して『トワイライト・クライシス』。どうやって奴がこれを探し当てたかは知らないが、私の知る限り筋書きとここまでの流れが酷似している」
「マジで? ネットリテラシー皆無じゃん。著作権法違反で訴えようぜ」
「貴方の口からサッカー用語以外の横文字が出るとは珍しいですね」
「選手自らの手による情報発信は諸刃の剣だからな。特に注目度の高いやつは、うっかりでもやらかさないようクラブが厳しく目を光らせてる」
身上調査で知り得た限り、彼は失言や不適切な言動が原因で騒動になったのではない。たった一度の失敗が途方もない影響をもたらしたから、センセーショナルに報じられたのだ。
稀代の逸材と
ただ、当人の中であれはすでにネタへ昇華し、笑い飛ばす出来事と化しているようだがね。
「なるほど。常時火種がくすぶっているチャラ男は説得力が違います」
「軽いのはフットワークだけでいいんだぞ」
「ええ~……何、この
彼はむすっと口を尖らせた後、なぜか「ところで、これ全部女帝サマの単独犯って認識でよろしい?」と〈エンプレス〉に念を押した。
「ええ、よろしいわ。すべてわたしの作戦。わたしの計画どおりよ」
「すげー自信。気が早いな、まだ後半戦の真っ最中だってのに」
「時間稼ぎの小細工は通用しません。試合遅延でイエローカードよ。お兄さん、一体何を企んでいるの?」
「ん? ああ、二枚目の警告出たらやっぱり退場なのかなーって」
「論点をすり替えないで。わたし、さっきからあなたのマネージャーさんに邪魔されているのよ。汎用型AIごときに、わたしの攻撃を防げるはずが……」
隙や気の緩みというものは、勝利を確信した時に生じやすい。針の穴を通すように微細で、一瞬、時にコンマ数秒しか現れないわずかな誤差。
それを突いて致命的な一撃を見舞うのが、
「――〝道〟は見えた。まずは一点、もらい受ける」
「え?」
『
逢河町。この逢桜町の隣にある、桜まつりの共催自治体だ。そこの警察署と……連絡が、つながっている? 〈エンプレス〉の通信規制を突破したというのか!
警察官の声は、彼のジャケットの内ポケットから聞こえるようだ。頼みの綱の〈Psychic〉が敵の手に落ちているのに、一体どうやって――
「いよーし、自白いただきました! ――って、大丈夫かおまえ!?」
『はは……その一言を聞けただけで、やった甲斐があるというもの。お前に手を出した攻性プログラムという名の不届き者は、俺が責任を持って皆殺しにしてやった』
「いやいやいや、どういう責任の取り方してんだよ!」
『柄にもないツッコミをさせるほど雇い主に心配をかけたとあっては、マネージャー失格だな。九割方返り血だから安心してほしいものだが』
「一割はケガってことだろ! ……でも、ありがとな。ナイスプレー」
『礼と称賛は試合後でいい。来るぞ』
再びホログラムで実体化した彼の専属AIは、血まみれでボロボロになっていた。淡いグレーのシャツは無残に裂け、中に着たパーカーも広範囲に黒い染みがあって、よく見ないとモスグリーンだったとはまず気づかない。
我々が晴海さんを取り押さえた後から彼の気配が消えたのは、実体化に要するリソースを能動的サイバー防衛につぎ込んでいたからだ。
〈エンプレス〉の妨害から主人を護りつつ鉄壁の包囲網をかいくぐるとは……このマネージャー君、ただの敏腕AIではないな。
『こちら、逢河消防署! 中央病院はダウンしていて連絡が取れませんが、仙南二市六町と広域仙台圏から応援をそちらに向かわせました!』
「なぜ? なぜ外部と連絡が取れているの、あなた!」
『さっき言ったぞ。毒を以て毒を制す、と』
「そういうこと。上司さん――貸していただいたアレ、役に立ちましたよ」
私が彼に貸したものは一つしかない。非常用のスマートフォンだ。
頼もしいAIパートナーがいて、認識できないとはいえ有名人である。同性だからといって私が四六時中ついて歩くわけにはいかないし、かといって目が届かないところでは何が起きるか分からない。
というわけで、〈Psychic〉の台頭によりほぼ死にかけとなった5G回線のスマートフォンを連絡ツールとして渡していたのだが、それを
「おまえは三度、読みを誤った。一つ、おまえの生殺与奪を握るヤツは存在せず、いたとしてもすぐに殺せると判断した。二つ、最新かつ最も普及している通信経路を抑えた程度でも完封勝ちできると、人間の底力を
『三つ。俺を根暗変態穀潰しと思い込んだことだ』
「そのフレーズ、相当根に持ってるなおまえ」
AIに向けて主人の大学生が右手を掲げ、二人はハイタッチを交わす。よくも彼らだけで上手く事を運べたものだ。
だが、自分よりも劣っていると定義した生物に二度も
私は刀を握り直し、うつむく敵に目を向けた。
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