変わり果てた世界
『次は特集です。二〇××年三月二十七日、完全自律型AI〈エンプレス〉による大規模サイバーテロ事件で、宮城県逢桜町が封鎖されてから丸一年が経ちました』
「早いなあ。もうそんなに経ったのか」
お父さんは玉子焼きに
時間の流れというものは本当にあっという間で、中学校生活最後の一年がよく分からないうちに終わってしまったという事実を、あたしはまだ受け止められずにいる。
『町内では、日没になると怪物化した人間が町民を襲う事件が起きています。政府はこれを〈特定災害〉と呼び、被害を減らそうと様々な対策を講じてきました。
事件後、犯人とみられる〈エンプレス〉は消息を絶ち、国際的なホワイトハッカー集団がその痕跡をたどっていますが……』
【限りなく無理ゲーに近いっスね(日本人メンバー
『NAO氏によれば、複雑に入り組んだ通信経路にはIPアドレスの偽装、厄介なバグやマルウェアなど無数の罠が仕込まれているそうです。
さらには通信の暗号化において、情報科学の専門家すら首を
画面が切り替わり、スーツを着た男の人が視界に現れた。事件のあと、逃げるように辞めた前任者から代打を任された「くじ引きおじさん」だ。
国を揺るがす大事件を受けて誰も責任を負いたがらない中、史上最年少の四十代で
『政府はこれまで、防衛上の機密を理由に一切の説明を拒否してきました。しかし、事件から一年が経過し、情報開示の必要性や公開範囲を見直したとして、官邸で
去年は「中学最後の」が接頭語になっただけですべてが輝きを増し、何でもない日常も強く印象に残る年になるはずだった。
体育祭、文化祭、修学旅行に高校受験。イベント尽くしで話題に事欠かない、濃厚で充実した一年のはずだったのに、どうしてこんな薄味になっちゃったんだろう。
『対〈特定災害〉特別措置法――〈特定災害〉特措法に基づき、発災から七日間の猶予期間を設けたのち、宮城県逢桜町につながるすべての
当時、逢桜町内におられた国民の皆さん、および
あの日、国会では「サイバーテロ対策特別措置法」という法律を作ることの是非について取り上げられていたらしい。賛成、反対の立場から激しい議論が行われ、いよいよ採決を取ろうということになった。
だけど、その瞬間〈エンプレス〉が議事堂内のモニターと全議員の〈Psychic〉をジャック。犯行声明を中継し始めたからさあ大変!
しかも、現場にいた内閣府の官僚と自衛官、国民的人気のサッカー選手、多数の一般人が巻き込まれたと思ったら、首相も国会もそっちのけで全面戦争開始。
そりゃあ総理大臣も辞めたくなるよ、始まる前から終わってるんだもん。
『このままでは、わが国はAIの奴隷になってしまう。いいんですか皆さん? サイバーテロ特措法は、まさしくこんな時のための法律ではありませんか!』
『私は反対だ。こんなブラックボックス認められるか!』
『現場では今、この瞬間も最前線で命を張っている方々がいます。本来なら警察や自衛隊を投入すべき案件でしょう。ですが、情報が圧倒的に足りない今は、未知の敵と接触した彼らも戦力と考えるべきです』
『議長! 小野瀬議員の
『総理。今、我々に求められているのは何でしょうか。政府によるバックアップ。素人にも扱える防災グッズ。そして、常識を超えた
『ふざけるな! 一般人に超法規的措置を適用しろというのか!』
『あの四人だけじゃない。化け物との戦いを迫られる町民は、この先もゴロゴロ出てくるはずです。これまでのやり方が通じなかったら、どうしろというのですか』
『し、しかし……』
『あなた方は今、一刻を争う事態だというのが分からないのか! 疑念がある点は後日改正する、附則で補う! この場で直ちに成立させるべきです!』
ウソみたいな話だけど、当時与党のヒラ国会議員にすぎなかった現首相の演説を聞いて、議員たちは一致団結。「対〈特定災害〉特別措置法」と名前を変えて、日本史上最もガバガバな法律を即日
これこそが、あの日逢桜町にいた全員の人生を狂わせてしまった原因だ。
【これが現代の部落差別、これが言われなき風評被害】
事件のあと、町に残されたのは底の見えない絶望だけ。受験や就職活動において、逢桜町出身であることは圧倒的な不利に働いた。
いくら頭がよく才能があっても、【三月二十七日以降に取得した住民票の写しと、身体に〈五葉紋〉がないことを証明する医師の診断書を提出してください】という最終関門に引っかかれば、どんな努力も無駄になる。
そんな悲劇に泣いた人たちの苦しみは、とても推し
【逢桜町出身者というだけで、私たちに明日はないのか――】
一年前、町内在住で〈五葉紋〉を持たない男子高校生が、第一志望の大学から入学許可を取り消された。
通っていた仙台の学校でもいじめられ、どこにも居場所がなかった彼は、心配する人たちの前では気丈に振る舞っていたらしい。
けど、町外との行き来ができなくなる猶予期間の最終日に、ホームドアがないJR仙台駅の在来線乗り場から貨物列車が迫る線路に飛び込んだそうだ。
そんな事件があってから、「死」はあたしたちにとってすぐそばにある、極めて身近な存在になった。
『皆さんに、残念なお知らせがあります。昨日、××先生が亡くなりました』
朝、ざわつく教室へ入ると、教壇に花瓶が置かれている。学年主任の先生が来て、担任が亡くなったことを知らされる。橋の上から川に飛び込んだか、突然の事故か、病気か、それとも――。
心がざわつく。池に小石を投げ入れた時のように。さざ波が立ち、水は揺らぎ、二度とあの先生に会えないという事実を突きつけられる。
でも、この町で誰を
(また、か)
もちろん、死ぬのは怖い。死は悲しく、悔しく、つらいことだ。
けれど、それを理由に泣くことをあたしはやめた。どれだけ嘆き悲しんでも、現実は変わらないから。
いつ来るとも知れない、理不尽な「終わり」。立ち向かい方を知らないあたしたちは、ただ涙をぬぐい、顔を上げて、尊い犠牲を踏み越えるしかない。
(あたしは、生きたい。生き残りたい)
でも――どうやって? いつまでこんな生活を続ければいい?
町外の人は「命があるだけマシ」なんて言うけど、これ以上に腹立たしくモヤモヤする言葉はない。
【私たちの苦しみは、三月二十七日に助かって終わったのではない。三月二十七日から始まったのだ――】
電車に身を投げた先輩が、ノートに記した最期の言葉。全町民の気持ちを代弁したように鋭く胸を刺す叫びが、今は身に
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