side:C その4

 彼女に続いてサッカー選手と自衛官、そして最後にこの私。図らずも人類代表となった四人が、横一列に並んで〈エンプレス〉と対峙たいじする。


「私たち人類もずいぶんと舐められたものだ。まだ自分が優位だと思っているのか? だとすれば、見当違いもはなはだしいぞ」

「なんですって?」


 私は知っているぞ、と少女は続けて暴露した。今はまだ臨床試験の段階で、被害規模をあえて逢桜町そのものと三万二千八百六十一人の町民、その総人口の数倍はいる観光客と我々のみにとどめていると。

 余裕そうだった〈エンプレス〉の口元が引きつり始めた。漏れた経路がどうあれ、自分しか知り得ないはずの作戦が筒抜けになっているとすれば、綿密な計画にほころびが生まれる。もしハッタリなら、こんな反応はしない。

 今すぐには根拠の検証が叶わずとも、少女の主張は押し負けつつあった我々の背中を支えるのに十分な柱となった。


「なぜ……どうして、あなたがそれを――」

「怖いか? 怖いだろう、自分という存在が丸裸にされていく気分はどうだ。私を取るに足らないただの中学生と見くびったことが誤算になったな」

「……やめて」

「不覚、想定外、不確定要素。私は、お前がこの世で最も忌避するものだ。なぜこの町のすべてを手に入れてもなぜ取り除けころせないのか、考えてみるがいい」

「やめなさい! こんなエラーあり得ない、あるはずない!」

「私は、この世界を知っている。多くの可能性を秘めたこの世界と、それを創り出した者を。お前が〝神〟にならない限り、私たちに負けはない」

「やめろと言っているでしょう!」


 世界を創った者。その言葉が、点と点を線でつないでいく。私にも少しずつ事情が見えてきたぞ。

 ここは、とある創作物の世界観を複合現実によって表現し、そのシナリオに沿って改変された実在の街。「神」は尊い超自然的存在という一般的な認識ではなく、物語の原作者を指すネットスラングのことだろう。

 女子中学生は、いわば「神」の遣い。実在・非実在を問わず「神」によってキーパーソンとされた者だ。弁舌と冴えた思考を除けば戦う手段を持たないであろう彼女だけは、その役割を果たすまで死ぬことはない。原作者の手厚い保護――主人公補正、とでも言うべき加護がついているからだ。

 もし〈エンプレス〉が彼女を殺さんとするなら、先にそれを阻む原作者を討たねばならない。言い換えれば、無力な彼女と協力して原作者側につくと、我々も「神」の加護を受けて死亡フラグをへし折る望みが見えてくる、ということになる。

 我々は誰を敵とし、誰を護るべきか。方針は定まった。


「分かっているの? これは明確な宣戦布告よ」

「もちろん。たとえ力不足であろうと、ここにいる四人はる気だよ」

「愚かな……あなたたちこそ勝ち目はない。人間である以上、AIには勝てない。そういう宿命にあるのよ!」

「いいや、逆だね。人間だからこそ見出せる希望もある。キミ!」


 一瞬の隙を突いて人影が走った。拳銃を拾い上げ、ショートブーツに仕込んでいた弾倉を素早く装填そうてん。そのまま両手で構え、片膝を立ててひざまずき膝射しつしゃの姿勢を取る。今度こそ、いつでも発砲可能だ。


「いいですか、〈エンプレス〉。ゼロと一の集合体に過ぎないデータ風情が。この町も、この国も、この世界も好きにはさせません。今すぐに投降しなさい」

「おお~、本職がやるとやっぱカッコ良いなあ」

「お黙りなさいサッカー野郎。追い込まれてからが真骨頂ではなかったのですか」

『急かすなミニマム女。準備はできている』

「! 貴方あなたは――」

「あとはタイミングだな。頼んだぞ」


 紺色のテーラードジャケットが春風にはためき、その下に着込んだ【No TAIYAKI, No life. 】の文字とたい焼きのイラストが描かれた白いTシャツがあらわになる。あのシュール……失礼、ファンシーな絵柄も彼が着るとスタイリッシュに見えてしまうから不思議なものだ。

 えりを正しボタンを留めた青年は、何の変哲もないスニーカーのつま先でリズミカルに地面を叩きながら、ゴールまでの距離を測るように二、三歩下がった。


「いいか、AIを創ったのは人間だ。おまえ自身はAIによって作られたモノだとしても、おまえの親になったAIは誰が創った? 基本的なアルゴリズムを定めたのは誰だ? 人間だよ」

「それがどうしたというの?」

「人間がいなければ、AIは生まれなかった。俺たちは今、自分で創り出したものに命を狙われている。でも、親として子供の間違いを止められるのもまた、人間だ」

「失望したわ。あなたまでそんなたわごとを信じるなんて」

「おまえの〝神〟は誰か、よく考えてみるんだな。それと、もう一つ――『毒をもって毒を制す』って言葉、知ってるか?」


 あどけなさの消えた、ワントーン低い声での問いかけ。その姿はまさしく、ゴールへの「道」を捉えたストライカーそのものだった。

 その彼が、私の方を向いてにっと笑う。「まあ任しといてくださいよ、鶴の一声で反転攻勢テイクオフしますんで」と言わんばかりに。

 そうか、自信があるんだな。なら、私がその背中を押してやろう。


「最後通牒つうちょうだ。キミがその気なら、人類は徹底抗戦する」


 もう後戻りはできない。我々とかのAIとの間に生じた亀裂は、これで決定的になった。願わくは、これが私の遺言にならなければいいのだが。


「――そう。交渉決裂ね、残念だわ」


 〈エンプレス〉は深く息を吸い込み、空を見上げた。時刻は午後五時近く、日の入りまではまだ一時間近くある。通常であれば、駅のある東の方角がうっすらと藍色に染まり始める頃だ。

 ところが、我々の目に映ったものは正常な夕焼けではなかった。血の色が空を侵食し、皆既日食のように黒く変色した太陽がゆっくりと沈んでいく。視界全体に赤いフィルターをかけられたかのようだ。


「――チェック。範囲設定、逢桜町全域。ネットワーク構築。プログラム読み込みロード。多重同時接続試験、開始」


 ぱちん。またしても〈エンプレス〉の指が鳴った。脳内に直接彼女の声を流し込んでいた忌々しい〈テレパス〉の通信画面が勝手に最小化され、自動的に別のウィンドウが立ち上がる。


「異状無し。疑似ニューラル・ネットワーク、広域展開……同期、開始」

「反動が来るぞ、耐えろ!」

「言われなくとも!」

「簡単に無茶言ってくれちゃって……!」

(覚えていろ着物男、あとで殴る!)


 犯人はこれから、逢桜町内にいるすべての人間を独自のネットワークへ強制的に接続させるつもりのようだ。外部と切り離した閉鎖的環境で自作のシステムを運用し、それに頼らねば生きていけない環境を構築することが目的であろう。

 仮に全世界を同じ状態に置くことを「本番」とするなら、逢桜町は世界征服に向けた「臨床試験」の段階といったところか。


「ここは、あなたたちのよく知る街に似て非なる世界。〈五葉紋〉を持つ人間と、ヒトならざるモノが生き残りを懸けて戦うホラーゲームの舞台よ」

「俺たちと、そうじゃないモノが戦う――」

「ホラー……ゲーム、だって?」


 ほんの一瞬、ぐらりと視界が揺らぐ。幸いにも反動はこれきりで、四人とも軽い眩暈めまい程度で無事に耐え切った。

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