side:C その2
急転直下、パニックホラーさながらの展開が始まったな。私と部下は仕事柄ある程度の耐性をつけているが、巻き込まれた女子学生と私の隣にいる大学生の彼、AIマネージャー君は違う。
具体的に言うと――この先彼らがキラキラを吐くことがあれば、それは正常な生理現象。致し方ないもの、不可抗力、見なかったものとして扱ってあげよう。
「大丈夫か? 顔色が優れないようだが」
「俺、意外とグロいの平気だったんだ……。新たな可能性を
「……なんだって?」
ちなみに、視覚情報に起因する理由以外でもキラキラすることはあり得る。ハッキングの脅威から使用者を守る〈
よく考えてみてほしい。セキュリティソフトが機能せず、コンピュータウイルス入り放題、不正アクセスし放題になった情報端末がどれだけ危険なものか。今どきは交通事故再現スタントよろしく、小学生のうちから情報の授業で専門家による実演を見せられるというから、想像には難くない。
それが、生きた人間の身に起きたらどうなると思う?
「気持ち悪くないのか、って訊かれたらそりゃあキモいですよ。生理的に無理。綿詰めてる途中の縫いぐるみみたいに人間が裏返るとかあり得ないでしょ」
「しかし、目の前で起きているからには現実の出来事と認めざるを得まい」
「そう、それこそがあいつの狙いです。どんな奇跡も、悪夢でさえも、観客……目撃者がいれば〝事実〟になる」
肉体の拒否反応が収まると、変化に馴染めなかった者が行き着く先は二通りに分かれるという。快楽中枢をやられて苦しまずに廃人となるか、自我が失われる過程で人格崩壊を招き廃人となるか。どのみち精神的な致死率は百パーセント、治癒の見込みはおろか助かる
これは〈Psychic〉を使い始めて間もない人間、特に脳内で音声情報を再現する〈テレパス〉の使用時にみられる重篤な劇症性・急性の副反応として国内外の医科学研究者から問題視されているのだが、この日本では恐ろしいことに〝サイキック酔い〟などとあたかも軽い症状であるかのように受け止められている。
そんな危険物がなぜ世に出てしまったのか。開発途上の段階で、このような大事件に悪用される可能性があることは予測できたはずだ。
「〈Psychic〉に限らず、AIはあくまでも人の意思決定を助けるもの。何が正しく何が間違いなのか、何をしてはいけないのか……俺たちより賢くても、あいつらには〝人間らしさ〟ってものが理解できない」
「それこそが全知全能に思える彼らと人間を
それゆえに、日本政府は国際的な〈Psychic〉の合同開発プロジェクトが始まった段階から自国を含めた参加国の研究者たちに中止を求め、国際機関に対しても再三にわたり危険性を訴えてきた。
我々は叫んだ。声を
その結果はご覧のとおり。まさに起こるべくして起こった人災なのだ。
「だから、俺たちはAIがよこす情報を全部疑ってかかるか、盲目的に信じるしかない。それが誰かにとって都合よく書き換えられていたとしても、ね」
「その結果生じるのは思い込み、集団催眠、疑う余地なき自己暗示、事実誤認による現実の
「正解! 夢と現実の区別がつかなくなる前に、その境界をぶち破る。あいつに勝つにはそれしかない」
なんてことだ。空になったはずの箱の底に、まだ希望が残ってくれていた。
金髪の若者は、またしても予想外の輝きを見せてくれている。決着は私が、と言ったときこそ感情をあらわにしたが、民間人ならそんなものだ。
彼は緊張感に欠けているわけでも、現実から逃げているわけでもない。ならば錯乱しているのか、なんてとんでもない!
「MRは、因果が逆転した世界です。外から得た情報をもとに脳みそが錯覚を起こすと誤った反応が身体に伝わり、
「ああ、キミという人間は、本当に――」
「データで再現するならまだしも、本人にモーションキャプチャつけてバーチャル世界のサッカーゲームに放り込むとかいうJリーガー無駄遣い計画、一体誰が思いついたんですかね。俺は楽しいから別にいいけど」
彼はいち早くこの技術に慣れ親しみ、使いこなす有識者――MRサッカー選手としての知見で敵の目的と対処法を看破してのけたのだ。
「すごいなりょーちん、ナンバーワンだ」
「その掛け声は試合まで取っといてください。でもって、死にかけの人間を前に〝あ、これ死んだな〟って顔してる同行者二名に対し、自信満々で蹴った一発があさっての方向へ飛んでったとき並みにドン引きする俺であった」
「冴えてるのはプレーだけじゃない、か。どこでその洞察力を身につけた?」
「身体と
「素でそう思っているならとんでもない天才だぞ」
「それはどうも。よく言われます」
そうこうしているうちに、歩道に倒れ込んだ被害者はさらに悲惨なことになっていた。じわじわと漏れ出した体液が服と路上に染みを広げる様もアレだが、パンパンに張り詰めたジーパンがついに音を立てて尻から裂けたかと思うと、強烈な臭気を放つ血と汚物にまみれた肉塊が路上にまろび出てしまう。
そう。ディレクターが産み落としているのは――彼自身の、
「あの人、まだ……生きている……でしょうか」
「ええ、虫の息ですが。
「りょーちん……ナンバーワン……?」
「ではなく! 犯人の狙いとやらです。濃紺のブレザーにスカート、赤いネクタイ。逢桜中学校の生徒とお見受けしますが、貴女は年齢のわりに優れた知能をお持ちのようで。関わってしまったからには、最後までおつき合いいただきます」
「協力? 私に……何を、しろと?」
「動機は不明ですが、ああいった不届き者は成敗せねばなりません。立てますか?」
私の部下に支えられ、おぼつかない足取りで立ち上がった長い黒髪の少女がこちらを見ている。無残に腫れ上がった顔と、上着を汚す赤黒い斑点が痛々しい。
「あら? あなた、無事だったのね。殴り殺してしまったかと心配したわ」
「おごっ! おぼぉ……」
『いや、だ……っ、や――あ、あああああぁ!』
彼女を傷つけた犯人は子どものように目を輝かせ、激しく
傷だらけの少女が歯を食いしばってゆっくりと、しかし確実な一歩を踏みしめながらこちらに向かってくる。膝が笑っているのはきっと、ケガのせいだけではない。
それでも――前髪からのぞく彼女の黒い瞳はひどく挑戦的で、その奥に炎がくすぶっているのを私は見た。隣で不敵に笑う青年の態度に感じたのと同じ、希望の炎を。
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