side:B-2 その5

「なーにビビってんだよ。実況中継なんて、はるみんなら余裕だろ」

『ごはぁっ!』

「警戒を解いていないと見せかけ、急にゼロ距離まで詰め寄る……うーん、実に鮮やかな攻め入り方。なかなかのテクニシャンだな、彼」

「自分にはチャラいフランス男にしか見えませんが」


 セルフカットを終えた化け物は、腕の先についた爪を引っ込めてデタラメな数の指に切り替えた。その手を傷口のふちにかけ、一気にガバッと両側へ開く。

 骨が砕ける音とともに聞こえたのは、身の毛もよだつ化け物の産声。裂け目が変化してできた縦向きの巨大な口が、ご丁寧にあいさつしてきやがったんだ。


『は、はるみんだと……? 推しが生声で私のあだ名を……』

「大丈夫、はるみんならできる。俺もついてるから。な?」

『あっ、無理……尊い……尊すぎて蒸発する』


 グロい環境音も意に介さず、スピーカーが悶絶する。いいぞ、それでいい。リポートしろって言われたんなら、ぐうの音も出ないくらい完璧にこなしてやろうぜ。

 ノイズに混じって、かすかに深呼吸の音が聞こえた。自信を持て、胸を張れ。全世界に聞かせてやるんだ。この俺が推す、おまえの声を。


『――時刻は間もなく、日本時間の午後五時を迎えます。サイバーテロの実行犯、自らを完全自律型と称するAI〈エンプレス〉と、未だ全貌は不明ですが、それを阻止しようとする人たちの緊迫したにらみ合いが続く宮城県逢桜町から、青葉放送・市川いちかわ晴海はるみが独占取材でお伝えします』

「記念すべき初戦は五時開始よ。言い残すことがあれば聞いてあげる」

『お聞きになりましたか? 残り時間、あと二分です! 撮影クルーは現場から退避し、少し離れた場所からお送りします! みんな、駅の方へ走って!』


 はるみんは人が変わったようにそう言うと、同僚たちに檄を飛ばして橋のたもとへ向かわせた。今度は固まっていた撮影クルーたちも素直に従う。中学生にも避難しろと声がかかったが、頑固な天才の答えは当然NOだ。

 肉の様子を見てみると、逆さまの脚の表面にたくさんの鼻が浮いてきていた。口の上下には一対の血走った目。ぽかんと開いた口の中には歯と舌があって、奥に小さな球体が見える。

 それが「おいでおいで」をする無数の白い手に囲まれ、安らかとは程遠い壮絶な表情で菊の花に埋もれたようになっているディレクターの死に顔だと分かるまでに、そう時間はかからなかった。


『あと一分十秒を切りました! ここで、〈女帝〉にあらがう人類代表からメッセージがあるようです!』

「では、私から――うい。お父さん、少し帰りが遅くなりそうだ。絶対に戻ってくるから、いい子で待っていなさい。大好きだよ」


 うろうろ歩き回っていた〈エンプレス〉は肉団子の真正面にやってきて、得意げに微笑んでいる。親バカ侍はそっちに身体を向け、左手の親指で静かに刀の鯉口を切った。

 不謹慎だけど、あの「チャキッ」って音は妙に小気味いい。寄らば斬る、ってオーラがバチバチで、もう最ッ高にカッコ良かったなあ。


『あと五十六秒!』

「人外生物との交戦などフィクション。そう思っていた時期が自分にもありました。信じがたいことですがこれも職務。命令とあらばこ――防衛します」


 部下ちゃんは腰に手をやって、サバイバルナイフを引き抜いた。射撃から近接格闘まで何でもござれ、どこからでもかかって来いってか? さすがプロ、半端ない!

 ……次は俺の番だ。「殺す」って言いかけたのには触れないでおこう。


『残り四十秒!』

「十番じゃなくていいから、もう一回くらい日本代表の青ユニ着たかったな~。あと、クロワッサンたい焼きの発明者はわりとマジで天才だと思う」


 女子二人には白い目で見られたが、上司さんは「キミらしいな」と笑ってくれた。望まない形で知り合い、行動を共にしている俺たちだけど、この人とはもうちょっと仲良くなれそうな気がする。

 お互い生き残れたら、俺の方から試合観戦かたい焼き食べ歩きに誘ってみよう。


『二十九秒前!』

『辞世の句などない。お前を殺すつもりはあるが、こっちに死ぬ気はないからな』


 マネージャーが啖呵たんかを切った。ヤバそうな空気出してたくせに、しゃべる余裕はあるんだな。

 俺が思うよりこいつが優秀なAIだったのか、〈エンプレス〉が手を抜いているのか。どちらにしても、余力があるのはいいことだ。


『二十秒前!』

「いいか、こちらからは手を出すな。敵の初手を見切ってカウンターを放ち、初めて正当防衛と言い張れる。いいな、絶対だぞ!」


 最後に、チーム最年少が一番リーダーらしいことを言った。試合開始まで残りわずかという状況で脱法指南とは恐れ入るね。将来は法律家かな?

 刀に手をかけたまま、ムッシュ・サムライが右手でちょいちょい手招きをする。顔を向けると、相手は空中に表示させた名刺大のデータファイルをつまみ上げ、俺に向かってぶん投げた。


『残り十一秒! 十、九!』

「おめでとう。たった今から正式採用だ」


 カウントダウンが進むにつれ、頭の中にある言葉がふと浮かんできた。聞いたことないはずなのに、心の底から自然と湧き出て、履き慣れたスパイクのようにすんなり馴染む。

 なんでだろう。言いたくて心底うずうずする。でも、この言葉を口にしたら最後、何かが決定的に変わってしまう。そんな気がして、まだ言えない。


『八、七、六!』

「いきなりクライマックス来たな、これ」

『五、四!』

「頼むぞ、点取り屋」


 両脚が「逃げろ」と言っている。本能が「関わるな」と警告する。どうにか平気なフリでごまかしてるけど、ホントは割れそうなくらい頭が痛い。

 ボールはない。グラウンドでもない。でも、ここはMRだ。想像力がすべて、妄想こそ力。自分を強く信じ、相手にも信じ込ませれば、


『三!』

「準備はいい?」


 よくねえよ女帝サマ。はっきり言って逃げ出したい。


『二!』


 だけど、逃げない。逃げちゃいけない、逃げられない!


『一!』


 だから、俺たちは呼び起こす。世界を塗り替える可能性を。


「『――〈開花宣言ブルーム・アクト〉!』」


 同じタイミングで、仲間たちも同じキーワードを叫んだ。右手の〈五葉紋〉とブレスレットが一斉に強く輝き出し、どこからともなくネオンカラーに染まった桜の花びらが噴き上がって、俺たちと外界を花吹雪で隔てる。

 それは、正式に自分の敵として認めるという〈エンプレス〉からの合格発表だったようだ。薄暗かった視界が逆光に塗りつぶされ、ステータス画面が呑み込まれていく。

 やがて、色も音も何もかもが消えて白一色に染まった世界へ、黒文字でこんな一文が浮かび上がった。


【二〇××年三月二十七日 宮城県逢桜町にて サクラチル】


 ……記録は、ここで途切れている。

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