宣戦布告(上)

「おごっ! おぼぉ……」

『いや、だ……っ、や――あ、あああああぁ!』


 内臓を吐き出すたびにディレクターの身体はびくりと跳ね、スピーカーが壊れた金切り声をあげた。

 少女は拳を握り締め、私の部下を伴ってゆっくりとこちらに向かってくる。前髪からのぞく黒い瞳はひどく挑戦的で、その奥に炎を――すぐ隣に立つ青年と同じ、希望の炎がくすぶっているのを私は見た。


「こんにちは、お姉さん。ご機嫌いかが?」

「役者はそろったぞ。そろそろタネ明かしをしたらどうだ」


 晴海さんの表情が変わった。実に意味深な発言だが、一体何のことだ? この少女は何を、どこまで知っている?


「タネ明かし? なんのことかさっぱりだわ」

「私は以前、知人にとあるSF小説を読ませてもらったことがある。そこにはこんなことが書いてあった――」


 AIによる、体内埋め込み型通信機器を介した大規模集団洗脳。最初のひとりを起点として通信記録をいもづる式にたどり、人脈を疑似的なインターネットに見立てて、あらゆるものを侵し壊すサイバーテロ。

 彼女が読んだという小説のあらすじは、現在の状況と酷似していた。張り詰める空気の中、少女は確信に満ちた顔を上げる。


「〈エンプレス〉。お前の手口と、実によく似ていると思わないか?」


 答えは実に明白だった。敵の顔から、わずかに残った笑みが消える。


「……あなた、どこまで知っているの?」

「さあな。私の頭の中を盗み見たなら、くまでもないだろう」

「なんて卑怯ひきょうな人なの。自分だけ高みの見物だなんて」

「それはお前も同じだろう。人間の命と尊厳をもてあそび、残酷な方法で死に追いやる。自分の私利私欲のためにな」


 再び〈女帝〉が指パッチンの構えを取った。あれを鳴らされては、また何か良くないことが起きる。

 目配せをすると、サングラスの若者は小さくうなずいた。スーツの彼女も、口の動きで(いつでもいけます)と応じる。

 必ず、止めなければならない。さらなる犠牲者の発生を。護らなければならない。事件の鍵を握る少女を。この町と、ここに集った多くの命を。


「私は……私たちは――絶対に、お前を許さない!」


 少女が発した魂の叫びを合図に、三人の大人が地を蹴った。こんな時のために銃を携帯している女性自衛官が、迷わずふところに右手を突っ込む。

 武装していなくとも、サッカー選手はその身体能力こそが最大の武器だ。瞬発力を最大限に発揮して一歩抜きん出るあたりに、私は彼の本気を見た。

 そして、若者たちに負けていられない、と太刀に手をかけたその時――


「ぐっ!?」

「う……っ、あぁぁぁぁぁ!」

「いつっ――なん、ですか……これは……!」


 手の甲に焼けるような熱さと強い痛みが走り、我々はその場に膝をついた。額に脂汗がにじみ、悪寒が走る。身体の震えが止まらない。

 小柄な影が武器を取り落とした。カラカラと乾いた音を立てて、自動拳銃が路上に転がる。暴発せずに済んだのは不幸中の幸いだ。


「まあ、怖い! 本物のピストルだわ。九ミリパラベラム九連発の〝渇望ディザイア〟、聞き慣れない名前ね。どこで手に入れたの?」

「誰が……言うもの、ですか……!」

「その剣も素敵。カタナ、というのでしょう? 真剣ほんものなの? あとでぜひ抜いてみせて」

「キミを……斬ることになったら、考えるよ」


 ヒールの音を響かせながら、〈エンプレス〉はこれから首をねる罪人の品定めをするように我々の前を歩き回った。


「わたしの目から見ても、お兄さんは名選手だわ。本当よ」

「人呼んで〝和製コンコルド〟……裏の、10番だから、な……!」


 部下から私、青年の前を通って、女帝は告発者の正面に立った。見上げる少女と見下ろす侵略者、ふたりの女性の視線がかち合う。


「それは〈五葉紋ごようもん〉。あなたを輝かせる起爆剤。あなたという人の生きた軌跡を、あまねく世に知らしめるもの」

「〈五葉紋〉……この刻印のことか」

「チャンスは一人五回。使い方は自由だけれど、ご利用は計画的に。うふふふふふふ!」


 右手に目をやると、ちょうどまばゆく光るひし形の紋様がひとつ、中指の根元付近に刻まれたところだった。ひとつ、またひとつと増えていくそれは「葉」だというが、放射状の配置も相まって花のように見える。

 刻まれたのが(でっち上げられた)事実なら、。身に覚えがあるか否かは関係ない。

 これこそが、因果の逆転による事実誤認。仮想の情報によって、現実世界での認識が書き換えられた瞬間だ。


「――ようこそ。理想ゆめと現実がシームレスにつながる新世界、イマーシブMRへ」


 〈エンプレス〉は「女帝」という字面じづらから連想されるイメージどおり、勝ち誇る独裁者のようにほくそ笑んだ。

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