Phase:02 現実は筋書きよりも奇なり
side:澪 その1
夢を見た。どんな夢だったかは記憶にない。でも、強く感情を揺さぶられたに違いない。それだけは確信を持って言える。
(あたし、なんで……)
ピピピッ、ピピピと規則的に鳴り響く電子アラーム。昨日の晩に設定した時間が来て、〈
あたしは泣いていた。温かい水滴が頬を伝い、枕を濡らす。悲しいことがあったのか、それとも嬉しかったのか。一体どっちだったんだろう。
涙をぬぐい、ベッドから起き上がってカーテンを開けると、南向きの窓から春の朝日が差し込んできた。まぶしさに目を細め、雲一つない青空に向けて伸びをする。
「よし!」
いよいよだ。合格発表の日から、ずっと心待ちにしていた瞬間がやってくる。まずは壁のフックにかけておいた、真っ白な新品のシャツへ袖を通した。
紺無地の靴下を履いたら、次はフォグブルーのプリーツスカート。細かく入った差し色のストライプは桜色だ。
「さて、次は……」
部屋を出て、階段の手前にある洗面台へ。鏡を見ると案の定、鳥の巣と見間違えそうな惨状になった栗色のセミロングに目をむく新米女子高生がそこにいた。
メイクをしなくても、身支度を整えるにはそれなりの時間がかかる。まして今日は待ちに待った入学式。第一印象はビシッと決めたい。
寝グセ用スプレーを振りかけ、髪にくしを入れてヘアアイロンで落ち着かせたら、左側だけ耳の上で束ねてサイドハーフアップに。基礎化粧品のあとは、日焼け止めと無色のリップクリームも欠かせない。
(――ごくり)
部屋に戻り、再び壁に目を向ける。バリエーション豊かな宮城県立逢桜高等学校の制服で、最も特徴的なデザインの上着がそこにあった。
白地へ紺の一本線が入ったセーラー襟が目を引き、袖口と体の真ん中に金のボタンが三個ずつついたシングルジャケット。暗い灰味を帯びた赤紫、えび染めと呼ばれる色の生地で形作られた胸元は大きく開いていて、胸当ての代わりにこれからつける幅広リボンが顔を出す構造になっている。
上着を羽織ったら、シャツの胸元でリボンを留めて着替え完了! これがまた、鮮やかな赤地に桜色の細い斜線、と可愛いんだよな~。
「おお……!」
部屋の隅にある姿見の前で適当にポーズを決め、その場でくるりと一回転。セーラー服とスカートを
現在時刻は朝の七時。入学式は九時開始。ここから学校までは自転車で十分ほどだから、このペースなら余裕で間に合う。中学時代は二度寝してギリギリだったのによくやった! と自分で自分を褒めながら、あたしは〈Psychic〉のメニュー画面を立ち上げた。
ぽん、と電子音がして、目の前にインストール済みアプリのアイコンを集約した画面が現れる。デジタル表示の時計に〈テレパス〉、天気予報、ニュース。どれもこれも朝イチのチェックは必須だよ、必須。
その中でも、まず一番最初に確認するのはこれだ。
【逢桜町公式総合防災SNS じきたん】
例の事件が起きた日、多くの人が耳にした磁気嵐警報。あれからわが町は丸一年かけて、国と県の協力で〈モートレス〉――通称〈特定災害〉発生の仕組みと磁気嵐との関係を解明した。
いわく、人を怪物に変えるのは、その人自身の思い込み。MRで再現された幻と現実の区別がつかなくなると、頭と身体が混乱するあまり致命的なエラーを起こしてああなるんだって。
そうして〈特定災害〉化しそうになった人のまわりには、特徴的な磁場の乱れが発生する。町はいろんな場所に観測機器を置いて、リアルタイムでその兆候をキャッチ。災害が起きる日没が近づくと、このアプリと防災無線を通じて警報を出しているってわけ。
え? なんなのこのアプリ、って? 事件後に役場が配信を始めて、ご当地条例で全町民へ導入を義務付けることになったんだよ。
(一応確認しとこう。逢桜高校って、どこ?)
わざわざ口に出さずとも、近頃のウェアラブルデバイスは動作で応えてくれる。白い背景に深緑、青、ピンクで描かれた町章がアイコンになっている〝じきたん〟が起動し、アルファベットのAとSに桜の花を重ね合わせた図柄と著作権標記が大写しになった。
「進学先を町に届け出ろって、こういうことだったんだ……」
ホーム画面の上に表示された【逢桜高校
中心部を流れる
『ここから五十メートル先、県道との交差点を右。その先、仙台法務局逢桜支局前を左。道なりに進み、逢桜大橋を渡り、逢桜高校前歩道橋を過ぎた先で左折。目的地までは自転車で十分ほどですが、実際の交通規制に従って走行してください』
この地図検索からAIの合成音声によるルート案内までの流れ作業、全自動でわずか数秒。しかも手も口も動かすことなく、考えただけでできるなんて……恐るべし、〈Psychic〉!
事前に電子ファイルで届いた入学案内によれば、〝じきたん〟は町からの情報発信にとどまらず、学校や担任の先生とのやり取りでも使うんだって。
試しにメニューを開いてみると【緊急避難所一覧】【役場へ通報】といった物々しい選択肢から、学生らしい【生徒手帳】に【学内掲示板】、【提出物一覧】なんてものまであった。
それじゃあ、開いた提出物リストと見比べながら、さっそく真新しいカバンに詰めた夢と希望以外の中身を最終点検していこう。
「学生証も提出書類も電子化されてるから、教科書と副教材のタブレット端末以外は指定の持ち物ほぼ無いんだ。あとはノートと、筆記用具と――あ」
ふと思い立って、机の上に置いてあった本を手に取る。この時代に紙の単行本? という人もいるけど、あたしは電子書籍より断然紙派だ。分厚さが目に見える分、読破した時に割り増しで押し寄せる達成感の前には、重さなんて大した問題にならない(個人の感想です)。
それに、雑誌やマンガを教室内で広げたら先生に怒られるけど、小説は堂々と読んでも怒られない。前後や隣の席の子と「何読んでるの?」で始まる友情、あるいは恋愛、アリだと思います。
背中合わせに立つ茶髪の青年と黒髪のネコ耳美女がアニメ調のイラストで描かれた表紙には、【もろびとこぞりて
あらすじをざっくり説明すると、
「クリスマスイブに平凡な男子大学生が保護した傷だらけの黒猫は、とある研究施設から逃げ出した生体兵器・ノワールだった。その秘密を知った飼い主(?)もろとも抹殺しようとする科学者たち、生け捕りを狙う国の機関、命の恩人を
と、いう感じ。この手の設定は人を選ぶきらいがあるけど、中二の春に学校の図書室でなんとなく手に取った本を開いてノワールと出逢った時の衝撃たるや、遠くから笑顔で駆け寄ってきた友達にドロップキックをお見舞いされたかのような理不尽さだった。
面識がまったくないのに、勝手知ったるこの感じ。そう、あたしはまさにこんな物語に出逢いたかったんだ――。以来、誰もが誰かに影響を受ける中、あたしは彼の創り上げた世界に魅せられて多感な時期を過ごすこととなった。
「佐々木先生。あたしの高校デビュー、応援しててくださいね」
本を手に取り、目を閉じて、祈るように抱きしめる。ハンカチで表紙を軽く拭いてから、あたしは本をそっとカバンに収めた。
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