side:B その2

「あーあ……残念」

「え?」


 その瞬間、ゾッとするものが背中を駆け抜けた。顔を上げた女は口の端を吊り上げてにやりとわらい、氷のように冷たい声でそうつぶやいたと思ったら、何を思ったのか恩人の顔に右ストレートを叩きつける。

 ……何してんだよ。その子はただ、あんたをかばっただけだぞ。結果的に車は直撃しなかったけど、助けてくれた人に殴りかかるなんておかしいだろ!


「――っ!」

「援護する。行け!」


 以心伝心って、まさにこういう状況だよな。俺の意図を瞬時に察し、上司さんがゴーサインを出すとともに駆け出した。

 女の子へ馬乗りになったリポーターが、反対側の頬めがけて二発目のパンチを繰り出す。その拳からは、手加減というものが一切感じられない。

 殴られた衝撃でアスファルトに頭をぶつけたのだろう、ごちんと鈍い音が辺りに響いた。綺麗な黒髪にうつろな目をした女の子と、サングラス越しに目が合う。

 その瞬間――俺の中で何かが切れた。


「確保!」

「おらっ、おとなしくしろ!」


 三発目の準備で振りかざした鬼の片腕をつかみ、そのまま体重をかけて後ろに引きずり倒す。こういうのって普通、仲間が止めに入るのが筋じゃないの?

 そう思って撮影クルーに目を向けると、あいつらは人形みたいに無味乾燥な表情を浮かべ、同僚がうつ伏せの体勢で男二人に組み伏せられる放送事故をスタジオに生中継していやがった。

 身内のやらかしよりスクープが大事ってか? いい大人が何やってんだよ!


「救急車呼べ! それと警察!」

『無理だ。〈Psychicサイキック〉が言うことを聞かないと言っただろ』

「だったら、そのオフライン脳みそで考えろ。

「何を言って――いや、待て……そうか!」

「オフェンスで真価を問われるのは追い込まれてからだぞ。俺のマネージャーなら忘れるなよ」


 俺の呼びかけで我に返ったAIマネージャーは、こちらの意図に気がついてくれたようだ。『お前、冴えてるな。ヘディングの打ち所が悪かったか?』と憎まれ口を叩きながらも、すぐに行動を始める。

 一方、上司さんはリポーターの腕を後ろ手に回し、懐から出した結束バンドで手際よく犯人を拘束している。なんで都合よくそんなものを持っていたのかは、あえてかないことにした。


「よくやった。お手柄だな」

「上司さんこそ、やけに手慣れた感じがカッコ良かったですよ」

「キミは彼女を頼む。できる限りの応急処置を」

「承知しました」


 部下ちゃん……あ、スーツのお姉さんのことな? 彼女が倒れたまま動かない女の子を抱き上げ、離れた場所まで避難させた。

 見た目によらず結構な力持ちなんだな。あのキツい性格でパワハラを働かれるのは俺でもこたえるから、あんまり怒らせないようにしよう。

 女の子の姿が視界から消えると、リポーターは急におとなしくなった。突然奇行に走ったのは〈Psychic〉経由で脳みそをハッキングされ、あの子をぶん殴るよう命令を受けたからだろう。それくらいは俺でも察しがつく。つく、が……

 くそっ、頭がうまく働かない。どう転んでもバッドエンドの予感がする。そう、まるでみたいな――


「で? あんた、なんでこんなことしたんだ」

「……」


 目の前にさあっと黒い霧が広がり、心拍数が跳ね上がる。冷や汗と身体の震えが止まらない。自分をしっかり保たないと、たちまち飲み込まれてしまいそうだ。

 ダメだ、これ以上思い出すな。直感的にブレーキをかけて回想をやめた俺は、あえて関係ないが今の状況に合った質問を口に出した。


「それに〝残念〟ってなんだよ、不謹慎にも程があるぞ。まるで、あんた自身と俺たちが事故に巻き込まれて死ぬのを望んでたかのような言い草だな」

「ええ。そのとおりよ、


 相手の口を割った呼び名に、思わず身体がこわばる。落ち着け俺、あいつは当てずっぽうで言っただけだ。鼻のあたりに手をやってサングラスをずり上げながら、前に上司さんと交わしたやり取りを思い出す。


『それはキミに対する世間の認識を阻害し、一般人だと誤認させるスマートグラスだ。人前で不用意に外すことは厳に慎むように』

『へぇ~。もし外し……外れたらどうなるんです?』

『即、身元を特定されて大パニック間違いなしだろうね。サイン、撮影、握手攻め程度で済めばいいが、バレた時の状況によっては最悪の展開を覚悟せねばならない』

『と、いうと?』

『二度とピッチに立てなくなります。わざわざ気をつかって遠回しな表現をしたというのに、察しの悪い男ですね』


 それは、俺にとって重すぎる警告だった。直接命を取られることはないにせよ、社会的に終わりかねないとあっては慎重に行動せざるを得ない。

 というか俺、自慢じゃないけどネットの大炎上に関しては前科あるんで、言われるまでもなくつらさは身に染みてますよ。


『悪意ある編集でアンチ動画が出回るパターンか。確かにご勘弁願いたいな』

『不便を強いることについては謝ろう。だが、これもキミの身を守るためだ。マネージャー君もなにとぞ承諾いただけないだろうか』

『ふん、俺たちもめられたものだな。そんな条件呑むわけ――』

『ん~……よし。表参道の中身がはみ出るたい焼き専門店、エトワール。あそこのプレミアムクロワッサンたい焼き(税込四五〇円)一匹で手を打ちます』

『なんで安請け合いするかなお前はァァァァァ!』


 だから、こいつを取り押さえるのは正直言って不安だった。倒れ込んだ衝撃でサングラスが外れるかもしれないし、上司さんが腕を縛り上げるまでは必然的に俺が犯人を抑え込むことになるからな。事情を知らない人間が見たら、白昼堂々路上で女を押し倒したと勘違いされかねない。

 でも、幸いなことに運は俺に味方した。スマートグラスが身体に触れている限り、そっくりさんだと言えば押し通せる。残念だったな!

 窒息を防ぐため上からどいてやったタイミングで、リポーターがあお向けになりながら縛られたままの腕を振り上げ、反撃を試みた。が、アッパーカットが飛んでくると予測した俺の運動神経はいち早く反応し、避けるまでの時間には余裕すらあった。

 くうを切った腕を上司さんに捕まえられ、女のささやかな抵抗は終わりを告げる。


「おっと! 今の聞きました? 俺、イケメンサッカー選手似ですって!」

「良かったじゃないか。どれ、答え合わせでサングラスを取ってみては――」

「イヤで~す。今日の服装はこれ込みのコーディネートなんで」


 不意打ちで褒められ、有頂天になった俺に上司さんがフェイントをかけた。うまくかわしたが、今にして思えば能天気すぎて笑うしかない。

 この時の俺は自分がまだ正気で、最後まで身元を隠し通せると信じて疑わなかったけど、あの人は最初から(これ、サングラス外さなくても油断してボロが出るな)って思ってたのかも。

 着物のおっちゃんは「やれやれ」と言いたげな顔で肩をすくめると、わざとらしくせき払いをした。

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