side:澪 その5
「……」
重苦しい沈黙が食卓に満ちる。今のあたしには〈
ご飯を食べに来ただけの鈴歌と、無我夢中でボウルへ頭を突っ込んでいる愛犬は完全に部外者だ。二人とも見て見ぬふり、知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。
もう、ウキウキで迎えた入学式の日にお通夜みたいな空気出さないでよ! お父さんは本物のお通夜まで参列するのかもしれないけど、それはそれ、これはこれ。こんなめでたい日ぐらい、もっと楽しいことしゃべろうよ。
『続いては――MR世界のスタジアムを舞台に、バーチャルと生身の選手が共に戦うMRサッカー。前代未聞のプロジェクトに挑む注目の新クラブ〝FC逢桜ポラリス〟が、デビュー戦を前に記者発表を行いました』
「お、うちの話題だ。僕の編集したカット使われたかな」
ありがたいことに、嫌な空気はそう長く続かなかった。お父さんが〈
サッカーには全然詳しくないし、リアルの試合すらまともに観戦したことないけど、身内が関わっていると聞けば
「お父さんはいつから動画クリエイターになったわけ?」
「ふふーん。AIを使えば、編集作業なんてちょちょいのちょいだよ」
「へぇ~、やるじゃん」と返してウィンナーを口に運ぶあたしの足元から、食後の水を飲み終えたルナールが小走りで去っていった。ヤツは居間のペット用ソファーに向かい、でーんと地響きを立てて横になる。サイズのみならず態度もデカいのは、ひょうきんで憎めない大型犬あるあるだ。
「で、どんなの作ったの?」
「よく見るアレだよ。ユーチューブとX、インスタグラムに載せる切り抜き」
「サムネイル画像のスライドショーは動画のうちに入らないのでは?」
「鈴歌、それ言っちゃダメ!」
先に完食した幼なじみは自分の食器を綺麗に重ねて席を立ち、台所の流しへ持っていった。痛いところを突かれたお父さんが「ですよねー……」とあからさまに肩を落とす。
鈴歌はいつもこうだ。空気を読まない毒舌発言をして、悪意なく他人を傷つける。学業成績は天才的でも、協調性とか思いやり、コミュニケーション能力といった社会性は皆無、下の下、壊滅的。ヒューマノイドみたいな子なのよねえ、とはその両親の弁だ。
そうして気がつくと、この子のまわりにはあまり人が寄りつかなくなっていた。同級生に煙たがられようが、先生から腫れ物に触るような対応を受けようが、鈴歌にとっては負け犬の遠吠え。彼らが天才を変な目で見るとき、天才もまた彼らを軽蔑と憐みの目で見ているのだ。
だからみんな、本人に直接頼まず「お前、水原と仲いいじゃん」ってあたし経由で言ってくるんだな……ひょっとしたら、うちの親が本当に心配しているのは自分の娘じゃなくて、世界に対して心を閉ざし続ける鈴歌なのかもしれない。
『ではここで、正式に発表されたポラリスイレブンを見ていきましょう』
「人選間違うと
「たかがゲームと侮るなかれ、最近のeスポーツ大会は高額な賞金が出るんだ。なんでも、ありきたりな娯楽に飽きた世界の大富豪が賭けの対象にしてるとかで、優勝すれば一獲千金も夢じゃない」
「それ、勝てばの話だよね。負けが込んだら赤字でしょ? どうすんの?」
「……ノーコメントで」
「いやいやいや、ホントしっかりしてよクラブ事務局ー!」
あからさまに視線を逸らすお父さんにツッコミを見舞い、あたしも食器を片づけようと席を立った。今度はスタジオ内の様子が画面に映し出され、男性キャスターが前に出てきて、用意したパネルを指差しながら解説を始める。
『サプライズ発表となった三人目のリアル枠選手は、かつて神奈川県・臨海高校でミッドフィルダーとして活躍した
『あの有名な選手との奇縁、そして彼を擁した静岡県代表・富士昇陽高校とのインターハイ決勝は、ファンの間で今も語り草になっていますね。ちなみに、羽田選手はどんな方法で試合に参加するんですか?』
『近年は、意識するだけでモノを操作できるBMI、ブレーン・マシン・インタフェースという技術が広く普及しました。羽田選手は上半身にモーションキャプチャをつけ、BMIを介し立体ホログラムで再現した自身のイメージ映像を分身として操ることで、技術的な課題をクリアしたんです』
年配の女性出演者が、そわそわと落ち着かない様子で舞台袖を気にしている。キャスターは得意げに笑い、新たに運ばれてきた二つ目の大きなパネルを覆う布に手をかけた。
『視聴者の皆さん、長らくお待たせしました』
洗面所で歯磨きを終えた鈴歌が、ダイニングに戻ってくる。同じタイミングで、お父さんがあたしに食後のお茶を出してくれた。
『注目のキャプテンはやはりこの人! サッカーJ3・東海ステラの絶対的エースにして、国内プロスポーツ界初の〝アルティメット枠〟指定を受けた〝りょーちん〟。日本代表でもおなじみ、フォワードの
その名前が耳に入ったのは、あまりにも突然だった。木製の台が鈴歌の手をすり抜け、フローリングの上にルナールの飲み残しをぶちまける。あたしもきったないうめき声をあげてお茶を吹き出し、せき込んでしまった。
「はい、報道出た! 公式発表の映像流れた! これで僕も心置きなく言いふらせる。みんな――! りょーちんが来るぞおおおお!」
「うえっ、けほ……なんでそういう大事なこと黙ってたのお父さん!?」
「え? 守秘義務(以下略)」
「お父さんのアホ――!」
筋金入りのファンでなくとも、顔写真を見るか愛称を聞けば「あ~!」となる選手だ。無類のたい焼き好きでも有名だっけ。
【昨年3月 静岡・富士XRフィールド】のテロップが表示された仮想ディスプレイの中を、鮮やかな空色のユニフォームを着た小柄な背中が風のように駆け抜ける。金と黒の髪をなびかせ、後ろ姿だけでも抜群の存在感を誇る主人公が。
『彼、別次元に移籍しちゃったの!?』
『U枠の選手には厳しい出場制限が課されており、サッカーの場合、生身の選手と対戦する試合では四十五分プラスアディショナルタイムを超える起用は認められていません。まさに劇薬扱いとなっている佐々木選手のフル出場は、見たくとも見られないものになっていましたが……』
『りょーちんに合わせて調整された試合だから、今後はいくら暴れても構わないと。そんなの観るしかないじゃないですかー!』
『バーチャル世界でも背番号十一は通用するのか、期待が高まりますね!』
『そして、佐々木選手といえば幼い頃、先ほどご紹介した羽田選手と偶然知り合って誘われるままサッカーを始めたことでも知られています。
水をこぼしたことを忘れるほどニュースに聞き入っていた鈴歌は、ハッと我に返ると手際よく後始末をし、あたしの腕をつかんで「澪、行くぞ」と言った。
「待ってよ、あたしまだ歯磨いてないんだってば。行くってどこへ?」
「いいからさっさと身支度を済ませろ」
反論する暇さえ与えられず、あたしは無理やり洗面所に押し込まれた。お父さんはそんな様子を微笑ましげな目で眺め「落ち着きなよ二人とも。興奮するのは分かるけど、まずは目の前にある仕事、学生の本分を
無理だよお父さん。鈴歌は時間も、学校も、高校デビューさえどうでもいい。今すぐ足を使ってりょーちんを捜し回るつもりなんだ。
そして、唐突に始まる天才の冒険にはいつもあたしの姿がある。旅は道連れ世は情け、拒否権なんてものはない。
「アオーン!【横暴だー!】」
「行ってらっしゃ~い」
「なーんで涼しい顔するかな、うちの男どもはぁぁぁぁぁ!」
午前七時四十分。真新しい制服に身を包んだ二人の女子高校生は、波乱の学校生活に向けて最初の一歩を踏み出した。
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