side:A-2

 ――時は、少し前にさかのぼる。


「あーあ……残念」

「え?」


 そう言うと、リポーターの女性は薄ら笑いを浮かべて右腕を振りかぶった。左頬に強い衝撃が走る。なぜだ? 私が何をした? 残念とはなんだ、お前は車に押し潰されて死にたかったのか?

 理解が追いつかない。だが、とにかく許せない。命の価値をなんだと思っている。そんなに死にたいなら、生きたくても生きられない人間に余命を託して勝手に死ね!

 知らず知らずのうちに、私は彼女をにらみつけていたらしい。それを反抗的と解釈したのか、逆側の頬に叩き込まれた一撃にはさらに強い力が込められていた。

 口の中のどこかを切ったらしく、強い痛みを伴って血の味がする。相手は一見すると落ち着いているようだが、その実静かな狂気をも内包しているようだ。

 さらに激しい暴行を受ける可能性を考え、抵抗すべきか迷っていると――


「確保!」

「おらっ、おとなしくしろ!」


 チャラ男がリポーターの背後から飛びかかって片腕をとらえ、そのまま体を反転させて寝技に持ち込む形で地面に引きずり倒した。そこに着物の男も加わり、結束バンドで手際よく彼女の両手首を縛り上げる。なぜ彼がそんなものを持っていたのかはあえて考えないことにした。

 彼らは私を助ける機をうかがっていたようだ。ありがたい。これには私もネガティブ寄りに定義した評価を改める必要がありそうだな。


「救急車呼べ! それと警察!」

『無理だ。〈Psychicサイキック〉が言うことを聞かないと言っただろ』


 しかし……いち早くリポーターの蛮行を止める義務があるはずの同僚たちはスクープ映像の撮影にいそしみ、逆に傍観者であり続けるだろうとタカをくくっていた彼らが助けに来てくれるとは。なかなかどうして、この世界は狂っている。

 などと茜色の空を見上げながらぼんやり考えていると、先ほど見かけたスーツの女性が寝転がった私の肩を叩き、少し大きな声で話しかけてきた。彼女はケガ人の救護に心得があるようだ。


「大丈夫ですか?」

「っ……はい。大丈夫、です」

「顔がれ上がっていますね。何か飲み物をお持ちですか?」

「水……自転車の、カバンに……水筒が、あります」

「それは僥倖ぎょうこう。では、救護に使うので中身をいただきます。貴女あなたの私物に手を触れますが、誤解しないように」


 スーツの女性は私を慎重に抱き上げると、倒れた自転車のそばまで移動した。

 カゴから放り出された通学カバンを手に取り、フラップの留め具を外して中のジッパーを開く。ボタンを押して開けるワンタッチ式の青い水筒から流れる水音を聞きながら、私は目を閉じて暗闇に意識をゆだねた。

 なるほどな。飲み物でハンカチを濡らし、患部を冷やせということか。たまたま傷の洗浄と冷却に最も望ましい液体が手近にあるとわかり、彼女は「僥倖だ」と言ったのだ。

 闇の中で「冷たいですよ」と声がした直後、顔に鋭く刺すような痛みと電流を流されたような刺激が走る。私はボコられる前に全身を打撲していたことも忘れて目を見開き、悲鳴を上げて、血を吐きながら飛び起きた。


「だから、冷たいと言ったでしょう」


 そんなこと知るか。本当に痛かったんだぞ。というか今もかなり痛むんだが、どうしてくれるんだ謎のお姉さん。


「しばらくの間、そのハンカチを顔に押し当ててください。ないよりはマシなはずです」

「救急車……いつ、来るんですか」

。おそらく彼らも同じ見解ですが、その話はあとに」

「助けが来ない? 待って……待ってください、どういう……ぐっ!」


 女性は私の問いに答えず「口内を切っていますが、骨と歯は無事ですね。頭を打ったわりに意識もはっきりしていますし、大丈夫でしょう」と独り言で状況を整理した。

 一方、事件現場では男たちによる加害者への尋問が始まった。リポーターは暴れる様子もなければおびえもせず、ただ乾いた笑い声を漏らしている。そんな相手の様子にさすがの金髪男もしびれを切らしたのだろうか、彼の口調がやや詰問の様相を呈してきた。


「それに〝残念〟ってなんだよ、不謹慎にも程があるぞ。まるで、あんた自身と俺たちが事故に巻き込まれて死ぬのを望んでたかのような言い草だな」

「ええ。そのとおりよ、

「おっと! 今の聞きました? 俺、イケメンサッカー選手似ですって!」


 ほんの一瞬だったが、男は女の言葉に息を呑んだ。私も、その愛称をどこかで聞いたような気がする。これまで得た情報から、少し考察してみよう。

 本人や着物の男の発言から、彼はサッカーを「観る」よりも「する」側の人間だと思われる。そう仮定すると、金髪男とイケメン選手は同業者ということになろう。

 普通の感覚なら顔面偏差値に自信があってもまず自称はしないと思うが、このように誤った先入観を抱かせるのは典型的なミスリードの手法。彼と「りょーちん」は、十中八九イコールでつながっている。


「いい気分に浸っているところ悪いが、話を戻そう。目の前であんな行いをされたら問いただしたくなるのは当然だが、これ以上まともな答えは望めない」

「はい? たった今、ちゃんと受け答えしてたじゃないですか。死ねばいいのにって思ったのか、って訊いたら〝そのとおりよ〟って」

「この顔を見てもそう言えるか?」


 ここまで分かれば、「りょーちん」の正体はおのずから絞り込まれる。私は容姿の美醜を判断する物差しにあまり興味がないから、彼が世間一般で言うイケメンに該当するかどうかは判断しかねるが、一つ大きな手がかりを得た。


『あと俺、団子よりたい焼き派だから』

『マネージャー使い荒すぎだろ、このたい焼きフリークサッカー小僧』

『普段はたい焼き片手に何を観ているのか気になるね』


 そう、彼の愛してやまない大好物だ。それを裏付ける発言をした周囲の人間は、必ずしもサッカーファンとは限らない。ということは、たい焼きが好きな有名人として一般人にも広く知られている選手であろう。

 それなのに、。もう少しでたどり着けそうなのに、頭にもやがかかったように思い出せない。記憶の肝心な部分が、すっぽり抜け落ちている。

 お前は――あなたは一体、誰なんだ?


「すまない。私たちでは、キミを助けられないんだ」

「どうして? 私、こンなこトしたくナい。死ニたクない! お願い、信じテ! だレか、助ケて――!」


 リポーターが悲痛な声で訴える。正気を失っているからといってその所業を許す気にはならないが、情状酌量の余地はあろう。かわいそうだと思う程度にはな。

 一方、スーツの女性はというと、何やら〈Psychic〉の仮想デスクトップを前に悪戦苦闘していた。私のものと同じく〈テレパス〉の着信を示す画面に発信者の名前はなく、血文字を思わせる真っ赤な字で【この通信は拒否できません】とある。


「あの、何を……?」

「見て分かりませんか? 消防署へ救急要請を試みています」

「自分で……来ない、って言いましたよね」

「これは緊急事態です。AI任せにしてはいられません。万が一にも回線がつながったら? 可能性が一パーセントでもあれば、それに賭けるべきです」

「無駄とは……思わないの、ですか」

「貴女はいち日本国民です。そして、自分には。ならば、使える手を使って目的を遂げようとするのは当然のことでは?」


 デジタルの世界はゼロか一、結果は白か黒かはっきりしている。サイバーテロだとすぐに気づかなかったり、絶対につながらない方法で通信を試みたりするなど、先ほどから情報科学に詳しくない様子がうかがえるが、無理なものは無理という考えには至らなかったのだろうか。

 どうやら彼女は、私の抱いていた印象よりもずっと愚かで、単純で、諦めの悪い女のようだ。

 それに、町民ではなく「国民」を護る立場、ということは――


「償い、って……」

「大丈夫、決着は私がつける。未来ある若者に手を汚させはしないさ」

「そういう問題じゃないだろ! だって……だって、こんな……」


 彼女は不気味な画面に向き合い、細い指で赤い終話ボタンを叩き続ける。当然ながら反応はない――なかったが、何度目かの挑戦の末、その上にあった緑色の通話ボタンが私も見ている前で勝手にスライドした。

 彼女の瞳が大きく見開かれる。これは操作ミスでも、誤作動でもない。何者かが外部から意図的に操作したのだ。


「これは……〈テレパス〉が強制受信を?」

「何者かが、私たちと……話したがっている、ようですね」


 リポーターが立ち上がり、その場に得も言われぬ緊張が走る。皆、目を見開いたまましゃべろうとしない。数秒間の沈黙が流れたのち、彼女は口火を切った。


、逢桜町の皆さん」

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