Phase:01 サクラサク
side A
不穏な出逢い
あの日、満開の桜を見に行ったのはほんの気まぐれだった。ただ、この単調でつまらない毎日が終わるかもしれない――そんな気がして。
【この先 桜まつり会場 自転車は徐行してください
目の前に横たわるのは、町を二分する一級河川・
逢川にかかる四脚のうち、私は唯一自転車通行帯がある橋のたもとにやってきた。角地でまんじゅうを売る和菓子屋の手前で、看板に従い自転車のスピードを緩める。
「中継つなぎまーす! 三、二、一……」
「
橋の上には、観光客に混じって生中継に興じるメディアの一団がいた。インターネットや〈
日本発にして世界最先端の情報通信機器〈Psychic〉。こめかみに小さなチップを埋め込むだけで思考を加速し、世界を拡げ、肉体の限界を引き上げるとされるその技術は、人類に新たな可能性を示すものだった。
広く一般に解禁されるや否やスマートフォンの上位互換として扱われ、世界規模で爆発的な普及を見せているのがその証左といえよう。
「今や〝逢川千本桜〟の名で全国的、世界的にも広く知られるお花見スポットとなった逢桜町は、今年も大変なにぎわいを見せています!」
そんな激動の時代の渦中にあるからか、彼らは暴挙に出ている。比較的幅があるとはいえ、歩道を大きく占拠して収録を行っているのだ。
おい、そこのよそ者ども。お前たちは馬鹿か? 馬鹿なのか? まわりを見ろ、通行の邪魔になっていることぐらい中学生の私でも気がつくぞ。
無性に腹が立った私は、通りすがりに彼らの背中を呪いながらペダルを
(こいつらの顔に、風で飛んできたピザの包み紙がべったりへばりつきますように)
やがて、愛車は緩やかな坂になった橋の頂上に差し掛かる。人混みより少し高い場所から見えた景色は圧巻の一言だった。
見事に咲き誇る薄紅色のアーチの下で杯を交わし、河原を埋め尽くしているのは米粒ほどの大きさに見える無数の花見客。この小さな町のどこにこんな人数が隠れていたのかと、ただただ驚かされる。
「うーん、絶景! 河津桜もいいけど、これはこれですごいな」
『花見団子はこの下の河川敷、桜まつり会場で売ってるらしいぞ』
明るい声のするほうへ目を向けると、若い男が欄干にもたれて誰かと話していた。軽く左へ流した長めの髪――表面は軽く跳ねた毛先まで夕陽に輝く金色、内側が真っ黒という危険色のツーブロックが人目を
そこに、がっしりした体格と整った顔を強調する
「食い気にシフトするの早すぎだろ。あと俺、団子よりたい焼き派だから」
色白なチャラ男の近くには、もっさりしたくせ毛の黒髪と丸っこいフレームのメガネが特徴的な地味めの男。気だるげな顔で一眼レフを手に空中を漂うフィギュアサイズの彼は、〈Psychic〉に宿るAIパートナーの立体ホログラムだ。
できれば、関わり合いになるのは避けたい。しかし、この奇妙な二人組になぜか興味をそそられてしまう。
初めて味わう二律背反の感情に、私はひどく戸惑った。
『はいはい、どうせ最寄りの販売店検索しろって言うんでしょ分かってますよ。マネージャー使い荒すぎだろ、このたい焼きフリークサッカー小僧』
「ちょっと軽めの運動したくなってきたな~。おまえ、ボールになってくれない?」
『全力で蹴られると分かってて引き受ける奴がいるか!』
私はそっと振り返り、後続車の有無を確かめた。歩道は混み合っているが、自転車通行帯には私以外誰もいない。
この状況は好都合だ。立ち止まったところで誰も困らない。チャラ男とAIが桜をバックに写真を撮っている今ならば、彼らを凝視してもその背後の桜を眺めているように装える。まさか観察されているとは気づくまい。
私は愛車のブレーキを握り締め、路肩の縁石に左足をついた。
「大丈夫、大丈夫。ホログラムに物理攻撃効かないから」
『そう言って次元の壁を飛び越えた前人未到、前代未聞の破天荒男が静岡にいるそうだが、一体誰のことだったかな』
「そこは〝蹴破った〟のほうが俺らしくない?」
『まーた自慢げにそういうこと言う』
彼らはふたり旅でここを訪れたのだろうか。人間同士がそうであるように、AIとの距離感や関係性は人それぞれだ。二人の間柄について、部外者の私がどうこう口を出すつもりはない。
だが、現実には触れることも叶わぬデータの集合体と人間のように交流し、人間と同等の感情を向ける(向けられる)ことについて、二人はどう考えているのだろうか。個人的に少し、ほんの少しだけ気になる。
「のんびり観光している場合ですか、一刻も早く見つけなくては」
「そう焦らずとも見つかるよ。ああ見えていい子だからね」
「あの素直さには自分も
と、これから私が向かおうとしている方角に二人の人間が姿を現した。
壮年の男は背が高く、顔の右半分を覆い隠す黒髪と細い目が印象的だった。時代劇で身分の高い知識人が着ていそうな、抹茶色を基調とした無地の羽織
その隣で彼に抗議しながら歩を進める小柄な女はウルフカットの黒髪で、黒のパンツスーツをきっちり着こなしている。背が低く、幼さを残した吊り目と容赦のない物言いから、融通が利かず跳ねっ返りの強そうな一面が垣間見えた。
「なあに、この程度GPSで追跡するまでもない。修学旅行に来た男子高校生の引率教師になったつもりで考えれば、足取りをつかむのは簡単だとも」
「お、来た来た。お~い、こっちこっち~!」
「ほらね?」
予想どおりだと言わんばかりに得意げな顔をする着物の男に対し、女のほうはチャラ男の姿を認めるなり血相を変えて詰め寄った。
「何をしているのですかシャ……
「花見。記念撮影。あと、この後行くたい焼き屋のリサーチ」
すごい剣幕で問い詰められても、男はまったく動じない。そういう気質なのか、彼らの間柄ではこれがいつものことなのか。
『ピーピーうるさいぞ
「黙りなさいクレイジーサイコ。AIの分際で何様のつもりですか」
『AI様に決まってるだろ、このポンコツ』
ここで、なぜか女性とAIマネージャーの間で悪口大会が勃発。
「すまない。このとおり私も御しきれていないんだ」
「謝らないでくださいよ、先にケンカ売ったのは俺のマネージャーです。あとで待機ポッドに閉じ込めてフリーキック練習台の刑だな」
腕組みをしてそう凄むチャラ男を「まあまあ……」と苦笑いでなだめた後、着物の男は河川敷に視線を投じてこう続けた。
「それにしても――満開の桜というものは、なぜこんなにも人の心をざわつかせるのだろうね」
いつもの街、変わらない風景。そこに差し込まれた彼の言葉を耳にした刹那、胸が一際大きな鼓動を打った。
世界から一切の音が消える。風と、それに乗って舞う花びら以外、すべての景色が静止画になる。得体の知れない不吉な予感に、心が黒く塗り潰される。
そうしてできた静かな
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