side:B その1

 ぴろん、ぴろん。

 ぴろん、ぴろん。


 頭の中で反響する不気味なチャイム。それもただの音階じゃない、本能的に危険だと思わせる不協和音だ。緊急地震速報を耳にした瞬間の背筋がざわつく感じ、といえば想像がつくか?

 でも、。まず音が違うし、あれは大きな揺れを検知してから発信されるシステムのはず。大なり小なり、

 なんかおかしいな……と思っていると、カメラのフラッシュを思わせる白い光が視界にちらつき、俺は思わず目をつぶった。


【強制入電中 この通信は拒否できません】


 で、恐る恐る顔にかざした手をどけたらこれだよ。意味不明な警告、真っ赤なフォント。こういうの、ドッキリ企画でもやっちゃいけないやつだろ。

 それに、正規品の〈Psychicサイキック〉には標準搭載ながら高度な電脳戦能力を持つAIがついている。幾重いくえにも張り巡らせた防御システムと多種多様なプログラムを手足のように操り、二十四時間三百六十五日、不眠不休でご主人様を護る最強のゴール……もとい、ゲートキーパーだ。

 そんなすごいやつが、こうもあっさり抜かれるなんてことは――


 ぴろん、ぴろん。

 ぴろん、ぴろん。


『くそっ……と思ったらそういうことか。一時休戦だ石頭』

業腹ごうはらですが同意しましょう、根暗変態穀潰ごくつぶし。この警告は一体何なのですか?」

『根暗は認めるが、誰が変態穀潰しだ。分かればとうに手を打ってる』

「は?」


 いったんほこを収めたかに見える二人の会話から、俺はいくつかの仮説を立てた。

 まず、警報音が頭の中で聞こえたのは、これが〈Psychic〉のチャット機能で送られたものだからだろう。

 仕組みをざっくり説明すると……〈Psychic〉を介して発信されたメッセージは電気信号として相手に届けられ、受け手の脳はそれを音声情報と認識して再変換する。で、聴覚を介さなくとも確かな音として聞こえるって寸法だ。

 聴覚障害者の大きな希望として生み出されたこの人工テレパシーは、俗に〈思念通信テレパス〉と呼ばれている。スマートフォンの全盛期に主流だった通信アプリは、軒並みこいつに取って代わられたぞ。


「発信元不明の〈テレパス〉か。非通知ではなく〝不明〟という表記の時点で察しはついたが、案の定何をしてもこの画面を消去できない」

『おたくは話が早くて助かりますよ。それに引き替えこの女は……ちなみに今の状況、どう思います?』

「控えめに言って人類史上最悪級の危機、だな」

「はあ?」


 次に、この警報が届いたのは誰か。さっきからこっちを見てた、地元民っぽい黒髪ロングのクールビューティー系女子……高校生? 中学生か? とにかく、制服を着た女の子も仮想ディスプレイを食い入るように見つめてる。

 となると、この町の町民から桜まつりの観光客まで、〈Psychic〉を持つ人間にあまねく届いたと考えるのが妥当だろう。


『残念ながら同意見です。有りていに言うとマジでヤバい』

「この警告音を聞いた人間――すなわち我々はもれなく、〈Psychic〉経由で外部からのハッキング攻撃を受けていると思われる。現在進行形でね」

「はああああああ!?」


 そして最後に、結局どういう状況なんだ……という話だが、これについては着物のおっさんがあっさりネタバレしたので省略。これ、もしかしなくてもサイバーテロってやつだよな? 現実感がなさすぎて、思考が全然追いつけない。


「ん? どうした、きょとんとして」

「俺、映画もドラマもめったに観ないから、ヤバいって言われてもピンと来なくて。サッカーでいうとどのくらいの絶望感なんです?」

「格上の敵とPK戦へ持ち込み、味方のゴールキーパーはここまで無失点に抑えてくれた。あと一本守り切れば引き分けだ。ところがそこに、敵チーム最強の背番号十きりふだがラストキッカーとして立ちはだかる――とでも言えば想像がつくかな」

「なるほどわかった。ほぼ確実にですね!」

「これが白昼夢なら早いところ覚めてもらいたいものだよ、まったく」


 と、それを聞いて急に腹を抱えた俺を体調不良と勘違いしたのか……いつまでもおっさん呼ばわりは失礼だから「上司さん」とするか? その人が「無理はしないように」と心配して声をかけてくれた。

 でも……お気づきいただけただろうか。おたくの部下が、無意識のうちに見事な「は?」の三段活用を披露してくれたことに。おかげでこちとら笑いをこらえるのに必死なんですけど。どうしてくれるんだよ!


「スタジオ、聞こえますか? 電子音、何かの警告音でしょうか。私の〈Psychic〉にも発信元不明の〈テレパス〉が届いています!」

貴方あなたはなぜ笑っておられるのですか? 真偽はさておき、人類滅亡級の危機に巻き込まれてよくそんな余裕がありますね」

『目を離すとすぐツボにハマるんだよコイツ。これだから笑い上戸じょうごは……』

「滅ぶとまでは言っていないんだが。映画もドラマも観ないなら、普段はたい焼き片手に何を観ているのか気になるね」

「古今東西のサッカー名試合と……っく、ふふ……珍プレーセレクション、です」

「空気を読みやがりなさい二人とも!」

「仮想ディスプレイには、血のように赤い文字で【この通信は拒否できません】と書かれたメッセージウィンドウが表示されています。黄昏たそがれ時を迎えたこの町で、一体何が――」


 近くにいた報道関係者が緊急特別報道を始めてすぐ、隣の車道からイヤな音がした。桜まつり会場駐車場への入場待機列で最後尾に並んでいたワゴン車が、いきなりアクセルベタ踏みで急加速したんだ。

 それが前の軽自動車に勢いよく追突し、その軽自動車も前の車に……といった調子で、橋の上はたちまち大規模な玉突き事故に発展。トドメとばかりに、衝突の弾みで斜めに傾いてスキーのジャンプ台みたいになった車列の最後尾をめがけ、猛スピードで暴走車が迫ってくるのが遠くに見えた。


(おいおい……あれ、こっちへ突っ込んでくる流れじゃん!)


 二台の車をジャンプ台にして、白いセダンが宙を舞う。巨大な鉄塊てっかいは予想どおり、まっすぐこっちへ飛んできた。撮影クルーは悲鳴を上げて逃げ出したが、リポーターの女性がその場から動けずにいる。

 新人かどうかは知らないが、その横顔は恐怖でガチガチだ。逃げたくても足が言うことを聞かないんだろう。


(だったら、俺が――!)


 けれど偶然、スローモーションのように時間が流れるこの世界には、俺と同じ結論に達した人間がいた。そして、スタートダッシュも一歩早かった。

 自転車が倒れる音を合図に、体感時間が元に戻る。愛車のハンドルから手を離し、脇目も振らずに全力疾走する影は俺たちの前を通り過ぎて、マイクを持ったまま固まるリポーターに渾身こんしんの体当たりを決めた。


「危ない、伏せろ!」

「きゃああああっ!」


 ふたりはもつれ合いながら歩道の上に転がった。これがアメフトかラグビーなら、お手本のようなタックルだったともてはやされたことだろう。

 セダンは俺たちの頭上を越え、近くにあった街路灯のポールにぶつかって車道側に跳ね返された後、きりきり舞いで橋の手前にある「逢桜千本桜」植樹記念碑とやらの近くに落ちていった。そう距離は離れてないはずなのに、金属の塊が潰れる音がずいぶん遠くに聞こえる。

 とんでもない事故が町の一大イベント会場目前で起きてしまったにもかかわらず、一向に警察官や町の関係者がすっ飛んでくる様子はない。これはいよいよ雲行きが怪しくなってきたぞ。


「あ、う……」

「すみません。車がこっちに飛んでくると思って、つい」


 地面に叩きつけられた痛みに耐えながら謝る女子生徒の横で、リポーターがよろよろと上体を起こす。二人とも大きなケガはしていなさそうだ。顔も名前も知らないけど、カッコ良かったぞ。ファインプレー!

 居合わせた誰もがホッと胸をなで下ろしたのもつかの間、その緩んだ空気は鈍い衝撃に粉砕されることとなった。

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