Phase:01 サクラチル

side:A その1

 あの日、満開の桜を見に行ったのはほんの気まぐれだった。ただ、この単調でつまらない毎日が終わるかもしれない――そんな気がして。

 には「科学的にあり得ない話は信じないんじゃなかったの?」と言われそうだが、虫の知らせ……見えない何かに背中を押されるこの感覚は、私も否定しない。どんなに非科学的なことでも、観測者が体感すれば「事実」になるからだ。


【この先 逢桜あさくらまつり会場 自転車は徐行してください 逢桜町あさくらまち


 目の前に架かる大きな橋はこの町を二分する逢川あいかわを渡り、大勢の観光客でごった返すJR東北本線逢桜駅前へ通じている。この川沿いに隣の逢河町あいかわちょうまで全長八キロメートルほど続く桜並木が、全国、そして世界的にも「逢川千本桜」の名で知られるこの町最大の観光地だ。

 その手前にある和菓子屋の前に差し掛かった時、注意喚起を促す先ほどの看板を見つけて、私は表示に従った。

 車道の隅に引かれた青い自転車専用レーンに入り、ゆっくりとペダルを漕ぐ。前カゴに積んだ学校指定の黒い通学カバンと私自身の重みでフレームをきしませながら、愛車は橋の上を緩やかに進んでいった。


「中継つなぎまーす! 三、二、一……」

「おばんで~す! 私は今、逢桜町の桜まつり会場を臨む尾上おのうえ橋に来ています。ご覧ください、この絶景! 本日、満開を迎えました!」


 観光地が地元と聞けば、町外のよそ者は「気軽に名所で花見ができる」とうらやましがる。だが、季節が巡るたび毎年同じことを繰り返されてみろ。こんな大渋滞、住民にとってはいい迷惑にしかならない。

 幼い頃は今か今かと咲くのを心待ちにしていた春の風物詩が、年を重ねて大人に近づいた私の目には白く色あせて見える。その見飽きるほど見慣れた場所を最も混み合う時期に見に来るなんて、気疲れもいいところだ。いや、逆に馴染み深い場所だからこそ無意識に足を運んだのか。

 いずれにせよ、このていたらくでは新学期が思いやられるな。


『まだ三月なのに、もう満開なんですか?』

「今シーズン、宮城県は記録的な暖冬に見舞われました。その異常な〝暑さ〟ともいえる高温が大幅に開花を早めたとみられています」


 行く手に、取材中と思わしきメディアの一団がいた。現在の日本では〈Psychicサイキック〉の台頭によりテレビ放送が絶滅危惧種となりつつあるが、放送局は存続をけてその多くが〈Psychic〉を介した配信に切り替え、プロの動画クリエイター集団として情報発信を継続している。

 ……なに? 何だそれは、説明してくれないと分からないだと?

 ざっくり言うと、日本発にして世界最先端の医科学技術だ。人間の頭をスマートフォン化する、と言い換えてもいい。

 おかげで、今世紀最高の発明のひとつとまでいわれた本物のスマホは急速に衰退し、かつてのガラケーと同じ道に追いやられているという。


『開花不良も心配されていましたが、綺麗に咲き揃いましたね』

「はい。今や〝逢川千本桜〟の名で全国的、世界的にも広く知られる県内有数のお花見スポットとなった逢桜町は、今年も大変なにぎわいを見せています!」


 そんな激動の時代の渦中にあるにもかかわらず、どうやら彼らは生き残ったことにあぐらをかいているらしい。比較的幅があるとはいえ、ここは歩道だ。通行の邪魔になることくらい、子どもでも想像がつくだろうに。

 無性に腹が立ち、私はカメラクルーの女の顔に風で飛んできたピザの包み紙がべったりへばりつくよう呪いながら、一行の後ろを通り過ぎた。


(ああ……うるさい)


 緩やかな坂になった橋の頂上にたどり着くと、河川敷の様子が見えてきた。ここからは米粒ほどの大きさにしか見えないが、無数の花見客が河原を埋め尽くし、頭上いっぱいに覆いかぶさる薄紅色のアーチを見上げながら上機嫌でさかずきを交わしている。

 「逢川千本桜」という名はかつて「千本の桜を一目で見られる」と称された景観に由来するが、実際にはその倍以上の本数がある並木道を改めて眺めると、あまりの美しさに天国まで続いているのではないかとさえ思えてくる――などと、感性豊かなならそんな詩的表現で地元を称えることだろう。

 その根元には、周辺地域の自治会によって水仙やらクロッカスやら、桜と同じ頃に咲く春の花々が申し訳程度に植えてある。隣町を彩るレンギョウほどの華やかさはないが、これはこれで慎ましい感じがして、私は……まあ、嫌いじゃない。


「桜のある街って最高だな。いかにも日本的だし、春が来た~! って感じがする」

『花見団子はこの下の河川敷、桜まつり会場で売ってるらしいぞ』

「食い気にシフトするの早すぎだろ。あと俺、団子よりたい焼き派だから」


 少し先で、若い男が川を背に誰かと話していた。左へ流した長めの髪は、表面が根元から軽く跳ねた毛先まで夕陽に輝くブロンド、内側が真っ黒というド派手で独特なスタイル。洒落しゃれた銀縁のサングラスが、服の上からでも分かる体格の良さをより一層際立たせている。私がこの世で最も関わりたくない人種だ。

 やや色白なチャラ男の近くには、対照的にもっさりした天然パーマの黒髪と黒縁メガネが特徴の地味な男――フィギュアほどのサイズに縮小した立体ホログラムのAIパートナーが、気だるげな顔で空中に浮かびながら一眼レフを手にしている。


 話しかけられたら逃げると決めていたほど、関わり合いは避けたかった。しかし、この奇妙な二人組を見ていると、なぜか興味をそそられてしまう。

 初めて味わう二律背反の感情に、私はひどく戸惑った。

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