18. 平穏の裏側

 「赤の離宮」の一室。

 この日、ティベリオは最近首都内の平民らの間で流行っているという焼菓子を持参していた。セッラ大尉が紅茶をれる。


「記者については治安警察局が接触してきていたな」


 この日も彼らの間にある机の上には「赤題」新聞他、複数の新聞が投げ出されていた。

 「赤題」の一面には記者の不審死についての記事が躍っているが、他の新聞での扱いは低調だ。

 セッラは一瞬紙面に目を落とし、すぐに口を開く。


「治安警察局が? 皇族の醜聞は彼らの領分ではないでしょうに」

「皇族の方じゃない。。どうもロジーヌ嬢をつけ回す記者が現れたのが気にわなかったらしい」

「……ああ、コーネット男爵ですか」


 コーネット家は、代々内務省――その中でも治安組織に入庁することで知られる法服貴族だ。実際、現在のコーネット男爵は内務省治安警察局副局長を務め、その長男と長女も治安警察局、次男も国家憲兵隊に勤務している。

 しかしながら、半ば違法なことをも全く躊躇ちゅうちょせずに行うという治安警察局にほぼ全員が出仕しているこの一家は、うわさが絶えない家でもあった。治安警察局は言うなれば秘密警察であり、国家憲兵隊はその実力機関なのだから。

 そんな家なので、毎度結婚には苦労している節がある。貴族であろうと平民であろうと、家族をも常に疑う治安警察局の重鎮を系図に入れたくないのだ。

 現コーネット男爵の長男、アリリオも当然苦労したようで、皇室情報院がつかんでいる限り、国立高等学校在学時代から交友関係は広くても結婚相手は一向に現れなかったという。

 結局、その妻の座には見合いで意気投合したテレーザ・アンセルミという男爵令嬢が就いた。

 そう、アンセルミ家の長女テレーザである。

 この為、アンセルミ家は治安警察局に何かしらの影響力を持つ。というより、というべきか。そして、アンセルミ家もこれをある程度受け入れている。

 実際、ヴィオレッタを通してやり取りをしていたティベリオは、過去にも一度治安警察局から接触を受けていた。恐らくは、使用人かテレーザから漏洩ろうえい――もしくは連絡されたのだ。

 一応皇室情報院としてロジーヌとジルドの件については共有したのだが、相変わらず彼らはアンセルミ家の関係者を嗅ぎ回る者のことが気になって仕方がないらしい。


「最近治安警察局はかなり敏感になっている。恐怖主義者テロリスト掃討作戦を違法状態で行っている以上、少なくとも法改正が成されるまでは表沙汰になってもらっては困るというんだろう」

「今更ですか? 治安警察局がなのは帝国臣民誰もが承知していることと思いますが」

「誰もが思っていても口にはしない公然の秘密と、それを新聞屋に堂々と口にされるのとでは訳が違う。内務省も役所である以上、違法行為は違法行為としてとがめられるのが道理だ」

「それで、手繰り寄せられる可能性のある糸口を片っ端から見張っているわけですか……人員が潤沢で羨ましいことですね」

「まったくだよ」


 疑わしきは黒と見做みなせ、とは帝国内務省治安警察が創設されて以来、彼らの基本理念とされてきた言葉だ。

 それが故に彼らの活動は苛烈で、狡猾こうかつで、そして強硬なのである。

 数々の未解決事件が彼らによって引き起こされたともいわれ、有名どころでは他国に国家機密を漏らした高位貴族が一家ごと爆殺された事件すら存在する程であった。無論、爆発事故となっている。

 そんな彼らにしてみれば、今回の恐怖主義者掃討作戦も彼らとは無関係な銃撃事件であってもらわねば困る案件であった。

 なので、その真相に近付きかねない動き――特に報道関係者には非常に敏感な反応を見せた。


「こんなに手が早いとも思わなかったがね」


 アンセルミ家町屋敷の周辺で張り込んでいた「赤題」記者が行方不明になったのは、数日前のことである。

 「赤題」新聞社はとあって大々的に報じようとした様子ではあったが、大手新聞は全く大きく取り上げず、世間の注目はそれ程高まらなかった。

 件の記者はそれからまた数日後に首都の川で水死体となって発見され、首都警察が「泥酔して川に落下したものと見られる」と発表すると事態はある程度沈静化したが、肝心の「赤題」は全く納得していない様子で、未だに記者の死亡は不審死であると訴え続けている。


 当然ながら、真相を知っているティベリオ達からしてみれば茶番も良いところである。

 酒を大量に飲ませて水に沈めるという暗殺の手法は治安警察局も皇室情報院も好んで使う手であり、実行の経験もあるセッラが言うには宿等に連れ込んで便所か浴室の手洗場や浴槽で溺死させ、川に捨てるのが常套じょうとう手段らしい。宿屋や酒場の裏手の川は元々事故死が多いので怪しまれにくいのだ。


「まぁ半年もすれば忘れるでしょう」


 人の噂も七十五日、とは皇室に古くから伝わることわざである。民衆は思考力は弱いが忘却力は強い、というのはかつての女帝の言葉。ティベリオ達は皇室情報院の係官としてそれをつくづく実感していた。

 公爵家に対する第3皇子の不義理を一月足らずで忘れたのだ。平民の、大衆新聞社記者の死などすぐに忘れる。

 ティベリオが天井を仰ぐと、セッラが彼の茶器に紅茶を足した。


「内務省としては意趣返しのつもりかもしれません。ことですが、先の『ロランド・ゾルガー』号の件は、本来陸軍情報部か治安警察局かのどちらかが着手すべき案件でしたから」

「先に向こうの領分に踏み込んだのはこちら、か。しかも、現役の陸軍軍人を使ったとなると、陸軍も気に喰わないわけだ」


 2月に実施されたアーテリア大公国における兵器密輸の強制調査工作――関係者の間でそう称される「ロランド・ゾルガー」号襲撃事件は、皇室情報院が陸空軍の軍人を個人として動員して実行された。つまり、ヴィオレッタ達は「ロランド・ゾルガー」号を襲撃、制圧したのだ。

 ただ、実行の直前に陸軍情報部も皇室情報院の動きに勘付き、内務省治安警察局はそれより前に大公国親衛隊から接触を受けたことで独自に工作の準備をしていた。

 本来ならば、帝国軍大公国駐留部隊が兵器密輸に関わっているなどというのは、陸軍参謀本部が陸軍情報部を動かすか、内務省治安警察局が国家憲兵隊を投入すべき案件だ。もしくは空軍情報隊か、外務省か。

 いずれにせよ、アーテリア大公国内で帝国軍を相手に行う工作は、皇室情報院が本来手を出すべき案件ではなかった。

 ましてや、それを他の情報機関に断りも入れずに実行したのだ。

 事件の直後、激しく反発したのはやはり治安警察局と陸軍情報部である。続いて実行犯を察知した陸軍参謀本部が皇室情報院に非公式な苦情を入れた。

 一応、皇室情報院としてはそれまでに入手していた帝国と大公国内の不穏分子の情報を提供することで補填はしていたが、それ以来治安警察局の動きはどうにもになり始めていた。


 最近国家憲兵隊が行っている恐怖主義者掃討作戦は、皇室情報院から治安警察局に提供された情報に基いて行われているが、具体的な作戦計画や成果の詳細は皇室情報院に知らされていなかった。

 言うなれば、皇室情報院から情報を引き出すだけ引き出して、その結果は返さないという状況だが、元々「ロランド・ゾルガー」号襲撃事件を独断で起こし、陸軍情報部と治安警察局の面子を潰したのは皇室情報院側である。

 それだけに、治安警察局の行動を咎めることも難しかった。


「まったく、大所帯になると大変だ」


 ティベリオはそのまま椅子の背凭せもたれに身を沈め、伸びをした。

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