17. ロジーヌの平穏

 長期休暇は、ロジーヌにとって安息の時となった。

 実は女子寮以外でのロジーヌの生活空間を把握していないジルド第3皇子は、長期休暇に入ってアンセルミ家の町屋敷や所領のカルタリッツァで過ごす彼女を全く出来なくなったのだ。

 当然ながら、これには彼の周囲がロジーヌへの贈り物や手紙の発送に非協力的であることも大きい。

 学生音楽隊の練習で休暇中も度々女子寮に立ち寄るダニエラ・ロレンツォが確認したところでは、休暇が始まってから1か月程で寮管理部が皇室に苦情を入れる程にロジーヌ宛のジルドの手紙や贈り物が送り付けられていたようだった。無論、時々ヴィオレッタが回収して全てアンセルミ家を通して皇室に返還されている。

 この頃になると、流石にロジーヌも彼に対するあきれを隠せなく、というより隠そうともしなくなってきていた一方、彼との遭遇を避ける為に社交界に顔を出しづらいことを嘆いていた。

 ジルドはエミリアと顔を合わせることを嫌ってミュレーズ家主催の茶会や園遊会は欠席することが多かった一方で最近はロジーヌを探してか下位貴族の茶会や夜会に顔を出すことも増えてきていた為、逆に言えばロジーヌは本来積極的に出席したい下位貴族や富裕平民向けの会を欠席し、ミュレーズ家主催の会ばかりに出席する羽目になっていたのである。


 また、礼装の贈り物も続いていた。

 母である皇妃もジルドに直接説いたらしいが、彼は応じず、既に5着もの礼装をロジーヌ宛で女子寮に送り付けていた。

 が、5着目を数えたところで、とうとう寮管理部が皇室に苦情を入れた。

 というのも、4着目に至ったところで寮管理部が受け取りを拒否しており、5着目も合わせて2着の礼装をジルドが直接持ち込もうとしたところを女子寮管理人に見咎みとがめられ、説教されたのだ。長期休暇中とはいえ女子寮に男子生徒が入り込むことを許すわけにもいかず、当然皇族でもそれは関係なかったのである。

 これを巡って、高位貴族令嬢らの間で彼の悪評が出回った。

 皇室情報院は当初み消しにかかったが、女子寮管理人に咎められるジルドを直接目撃した者が多く、遂にこの醜聞を消すことは出来なかった。

 それどころか――


「やってくれたな」


 首都カエルレウムの中心地にある、広大な敷地。

 その中でも一際豪華な白亜の建物は、実は宮殿ではなく、国教であるアズーリア正教の総本山、カエルレウム大聖堂である。

 帝国の頂点たる皇室が住まう宮殿は、その西隣の青い屋根が特徴的なばかりの、聖堂に比べればとして見える城だ。

 そんな皇宮の敷地の南にある離宮は、かつて「赤の離宮」と呼ばれ、歴代皇帝の中でも唯一在位中に逮捕、廃位された皇帝ユリエルが幽閉されたこともあるいわく付きの建物であるが、現在は皇室情報院の本部庁舎となっていた。

 その離宮の一室。

 手渡された大衆紙を見て、ティベリオは溜息ためいきを吐いた。皇室情報院の女性将校セッラ大尉が苦笑する。


「『赤題』で良かったというべきか、誰かが敢えてこれを選んだというべきか、ですね」


 赤い題字が特徴的なその大衆紙は、市民の間では「赤題」の通称で知られ、扱う内容は主に性、犯罪、運動競技、そして風説の類である。虚報を交えていることも多いが、煽情せんじょう的な書き方から大衆にはが良く、そして貴族にとってはとなることも少なくない。

 当然、それは各情報機関や治安当局にとっても同じだ。大手報道機関は平時であってもある程度することが出来るが、こうした大衆紙にまで影響力を及ぼすことは難しい。国家が戦争状態にある際にのみ運用可能な戦時統制法の類が適用されない限り、公権力による厳しい規制も出来ないのだ。

 その結果、ともいうべきか。

 今、彼が手にするその新聞の一面には「ジルド第3皇子、国立高等学校女子寮に忍び込む」という文字が躍っていた。

 大衆は皇族や高位貴族の醜聞が大好きだ。仮に事実でなくても、多くの人間が信じればそれはとなる。そして今回の場合は半ば事実であるだけに、より性質たちが悪かった。


「誰が漏らしたんだ?」

「それが分かれば苦労はしません。容疑者が多すぎます」


 先述の通り、皇室情報院はこの一件について揉み消しを図った。国立高等学校は勿論もちろん、目撃した女子寮の生徒達にも口止めをして回った。しかしそれでもこうして大衆紙の記者に察知されたのだ。

 が、これはある種当然の帰結ともいえた。

 皇室情報院がこの件を察知して動き出すよりも早くにうわさは出回ってしまっており、最早誰が知っていて誰が知らないのかも把握出来ない状態だったのだ。俯瞰ふかんしてみれば、彼らの口止めは全く以て無意味な努力といえた。


「そもそも『赤題』には去年ロジーヌ嬢との件をすっぱ抜かれています。ロジーヌ嬢自身の個人情報にまで踏み込まれなかったのが幸運なくらいでしたし」


 ジルドが婚約者エミリアを蔑ろにして平民の娘に入れ揚げている、という内容の記事が出たのは去年の11月頃のことだった。ただこの件はその直後に某伯爵夫妻の二重不倫疑惑が浮上したことで大した話題にならず、ロジーヌのことやエミリアの対応等が報じられることもなかった。

 その後、2月の「ロランド・ゾルガー」号襲撃事件やそれに連なる国内各地での断続的な銃撃事件等(これは内務省治安警察局による恐怖主義者テロリスト掃討作戦の件で、皇室情報院等は敢えて恐怖主義者による襲撃事件として報道機関に流していた)が大衆紙をにぎわせており、最近はエミリア・ミュレーズ銃撃事件が大きな話題だった。

 つまり、大衆はジルド第3皇子が婚約者を差し置いて平民の娘に入れ揚げている、という話題を忘れ去っていたのだ。

 だがしかし、今回の女子寮侵入の件で「赤題」は「思い出させてやる」と言わんばかりに11月に報じたジルドとエミリアの件を蒸し返してきた形となった。

 それが意図的なのか、「赤題」記者達も忘れ去っていたのかは定かではないが、いずれにせよ大衆はジルドの醜聞を思い出してしまった。

 ティベリオは机に新聞紙を投げ出す。


かく、ジルドに関しては最早どうしようもない。誤魔化しようもないからね。だから、せめてロジーヌ嬢に害が及ぶようなことは避けるんだ。彼女の異母姉はあの『不死身の貴婦人』だぞ。下手を打てば『赤題』編集部が血風呂になったなんて大手の記事を読む羽目になりかねん」

「その気になれば実行性があるというのが恐ろしいですね」


 ロジーヌ・ペリエはアンセルミ男爵家の女中カミラを母に持つ平民の少女に過ぎず、貴族名鑑にもその名前はない。

 普段は女子寮で生活しており、時々アンセルミ家の町屋敷に帰るが、母が住み込みで働く貴族屋敷に訪ねる子供など珍しくもないので、誰も彼女の行動に疑問など抱いていなかった。

 彼女が話題になったのは、15年前にソルダノ伯爵夫人がアンセルミ家の社交界追放を宣言した時だ。

 ただこの時も、ソルダノ伯爵夫人が当時13歳だったヴィオレッタを社交界から追放したという論調で、総じてソルダノ伯爵夫人に対して批判的なものであり、転じてソルダノ家批判が過熱したことからその原因となったアンセルミ家内の騒動についてはほとんど話題にされなかった。

 当然、ロジーヌは名前も顔も報じられなかったし、彼女のその後の生活など誰も気にしていなかった。ソルダノ家を批判する方がのだ。

 だがしかし、ジルドの周りを嗅ぎ回る新聞記者らは、最近になって彼の懸想の相手である「平民の娘」にも興味を持ち始めていた。



        *        *        *



「あの不審者、本当に居なくなったんだ」


 アンセルミ家所有の乗用車の後部座席に乗り込んだロジーヌは、門衛が開く正門の方を眺めながらつぶやいた。

 隣に座る女中のエーベが「ああ」と手を打つ。


「新聞記者だったそうですよ。何でも、とか」

「それは心配ね」

「気にすることはありませんよ、ロジーヌ」


 ロジーヌの頭をで、エーベは微笑む。

 最近、アンセルミ家の町屋敷周辺に張り込むが居ることは、家族や使用人の間での共通認識だった。

 何度か直接の接触もあり、それが大衆紙の記者であることは分かっていたが、決して愉快なものではない。

 その人物が数日前から現れていないことに気付いたのは、他でもないロジーヌであった。

 先日の外出でそれを口にした彼女の疑問に応えるべく、使用人らは独自に調べていたのだ。


「ありがとう、エーベ」

「いいえ」


 エーベ・テバルディはロジーヌの母カミラと同年代の女性で、今やアンセルミ家使用人の中でもかなりの古参の部類に入る女中だ。

 アンセルミ家は領地貴族の中でもかなりの守旧派に属し、使用人らは殆どが領地カルタリッツァの出身者で占められている。領地にある本宅の使用人は勿論、首都の町屋敷の使用人や守衛等もほぼ全員がカルタリッツァから連れて来られており、また町屋敷や首都近郊の別荘は全て住み込みの使用人としている。

 領地貴族の間では町屋敷の使用人は首都の出身者を雇うことの方が一般的で、近年は町屋敷の守衛に民間の警備会社等を入れる家も多く、徹底して自らの領地の出身者のみを使用人として雇用しているは寧ろ珍しい方だ。

 一方、その分だけ使用人達のアンセルミ家に対する忠誠心と団結力は高く、非常に閉鎖的な気質がある。長兄ジュリアンの妻テオドラも結婚した当初はその空気に慣れるのに苦労したといい、先代マリエッタの夫イラリオは結局慣れることが出来なかった挙句にカミラへの愚行に走ってしまった。

 そしてそんな彼らの中にあって、エーベとカミラは数少ないカルタリッツァ出身でない女中であった。

 彼女らは出身地方こそ違うが、同じ新大陸出身の戦災孤児である。アンセルミ家にやってきた経緯も同じで、戦災孤児支援事業の一環で行われている就業斡旋あっせんの結果マリエッタに雇われたというものだった。

 この為、実際の出生地は違うが、心はカルタリッツァ出身者も同然で、寧ろ帰る場所がない分、他の使用人らに比べて忠誠心が高いともいえる程である。

 そんな経緯もあって、エーベはカミラとは親友ともいえる仲であり、カミラの娘であるロジーヌのことも実の娘のように接し、ロジーヌからしてみても彼女は母親同然の相手であった。


 自動車が正門を抜け、公道を走り出しても、特に写真を撮られたり知らない誰かが何かをしてくるわけでもない。

 ロジーヌはそれに平穏を感じ、肩の力を抜いて伸びをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る