16. 楽しい野外遊歩

 内務省治安警察局の捜査によれば、エミリア・ミュレーズ銃撃事件の実行犯は連邦保安委員会の残党で、使用されたヴォルタ1641軽機関銃は4月に国家憲兵隊がファッジェタル・カーラで発見した木箱に入っていたものと推定された。戦争から5年も経過していない現在、帝国軍の小火器を非合法に手に入れる方法は幾らでも存在してしまうので、厳密な出処は調査中である。

 銃撃に使われた集合住宅2階の一室は、全く無関係の夫婦が暮らす部屋であった。

 実行犯達は当日にこの部屋に押し入り、夫婦を脅迫して浴室に押し込んでいたのだが、ヴィオレッタが集合住宅に入ってきたのに気付いた見張りが玄関に気を取られた隙を突いて妻が逃げ出したのだ。それが、ヴィオレッタが2階の廊下で遭遇した女性と散弾銃の男であった。

 この日この時間帯にこの場所を通るという情報は運転手が彼らに漏らしたものであったようだが、皮肉にもその運転手は銃撃で命を落としており、それが判明した頃には葬式もミュレーズ家から遺族への補償の支払いも済んでしまっていた。

 実際に軽機関銃を発砲していた男はヴィオレッタが生け捕りにした為、国家憲兵隊に引き渡された後、治安警察局の取り調べによってそれなりに有益な情報を吐いたという。

 要するに、この事件は連邦保安委員会によるミュレーズ家への恐怖主義テロ工作であった。

 死者はミュレーズ家の運転手と散弾銃の男、偽警察官の3名のみで、負傷者はミュレーズ家の護衛侍女マノン・フォルジュが重傷、部屋に押し入られた夫婦が実行犯らからの暴行によって軽傷の他、軽機関銃の流れ弾を受けた通行人3名が重軽傷を負った。

 警察が駆け付けた際には既に出血多量で昏倒こんとうしていたマノンが、それら顛末てんまつを全て聞いたのは事件から数日後、漸く意識を取り戻した時である。


 エミリアは事件後の数日間、いつも通りに振舞って見せてはいたが、身近な者からすれば心境としてかなり塞ぎ込んでいることが見て取れ、マノンが意識を回復したと聞いた時には目に見えて元気を取り戻した。

 使用人一人の為に塞ぎ込まないで欲しい、とマノンは笑ったが、それ以上に深い感謝の意も示し、そして他者が思っていたより早くに職場復帰を果たすこととなった。

 2週間以上は入院するように言われていたが、その前に退院し、6月に入る頃には再びエミリアの護衛に就くようになったのである。

 一時は右足を失うか否かというところであったが、病院での治療が間に合ったお陰で五体満足のまま退院出来たことも当人らにとって幸いであった。


 ミュレーズ家には数多の見舞いがあり、皇室からも見舞いの品が届いた。

 しかし一応未だ婚約者であるはずのジルドからはそういったものは一切なかった。

 5月末になって、未だに何も見舞いをしていないと知ったティベリオと皇太子が彼を直接たしなめ、流石に簡単なものを1つ贈ってはきた。

 ただこれもジルド本人が選んだものなどではないことが明らかで、エミリアの侍女を通して内情を知った皇室の面々は、先の礼装の件も合わせて、最早婚約解消しを確信してしまったという。


 さて、帝国の公立学校は基本的に6月から8月を長期休暇としている。

 貴族の社交期と重なる時期でもあるが、この時期に旅行等に行く貴族も多いのは学校に通う子女が長期休暇に入る為である。

 ミュレーズ家も毎年6月か7月に、2週間程の家族旅行に出掛けるのが通例だったのだが、今年はエミリアとジルドの婚約解消の件もあり、更に先の銃撃事件も起きてしまったことで中止となった。

 しかし旅行が中止になったからといって、旅行の為に空けていた2週間の予定がすぐに埋まるものでもない。

 そこで、彼女は首都近辺で野外遊歩ピクニックへ出掛けることにし、予定の空いている友人らにも声を掛けた。

 といっても、この時期に予定の空いている帝国貴族はそう多くない。首都に出てきているような貴族子女は猶更で、地方へ帰省している者や丁度別の社交の予定がある者の方が多い。

 なので、集まったのはエミリアと同じ国立高等学校教養学科3年生の令嬢が数名、ミュレーズ家の取引先の富裕平民子女が数名、そして――


「本日はお招きいただきありがとうございます。アンセルミ男爵家の、ヴィオレッタにございます」

「ようこそ、ヴィオラ。ロジーヌさんも」


 ロジーヌとベルナデッタ、そして今日はの、ヴィオレッタだった。


「ベルナデッタ・インサナです。お招きいただきありがとうございます」

「ふふ、ようこそ、ベルナデッタさん。直接お話するのは初めてかしら」

「そうですね。以前、柑橘かんきつの品評会でお会いしたことはありましたが、お話するのは初めてです」


 実はベルナデッタはこれまでもミュレーズ家の園遊会や夜会への出席経験があった。

 といっても、貴族令嬢ではない彼女が出席することの出来る会は専ら商取引関係者が出席するもので、ミュレーズ家との関係があったのも幾つかの入札会や品評会である。

 インサナ商会は一応帝国全土に展開する大手卸売業者ではあるが、その地盤は帝国東部に集中しており、ミュレーズ家が治めるエトゥールッセ州含めた西部ではどちらかといえばしている。

 商人の独立性が高く、流動性の激しい傾向にある東部に比べて、西部では歴史ある商家等を貴族が囲い込んでいることが多く、そうした業者を競合相手と考えるとどうしても彼らを囲い込む貴族達とことになってしまうのだ。

 ミュレーズ家も当然特定の業者――特に寄子貴族が運営する幾つかの卸売業者を優遇しており、インサナ商会は中々エトゥールッセ州に展開することが出来ないでいた。

 この為、ベルナデッタにとってこの野外遊歩は一種の好機ともいえた。

 ミュレーズ家の令嬢であるエミリアから好印象を得られれば、エトゥールッセ州へ進出する切欠となるかもしれないのだ。

 表には全く出さないが、彼女は心の内で商魂を燃やしていた。


「やれやれ、野外遊歩でここに入ることになろうとは」


 この日の野外遊歩は、どちらかといえば園遊会に近いものだ。園遊会と異なるのは、エミリアが自身の趣味だけで選んだ客を招待した為に、上は伯爵令嬢から下は富裕平民の子女まで、様々な身分の招待客が入り混じっていることくらいである。

 なので用意された料理は大規模な茶会と遜色なく、会場に至っては首都カエルレウム近郊にあるユニウスの丘――皇室が保有する狩猟公園であるという豪華っぷりであった。

 ロジーヌやベルナデッタは勿論もちろん、ヴィオレッタもこの公園に入るのは初めてだった。

 偶然使用の予定がなく空いていたからとはいえ、普通ならば高位貴族でも易々と借りることが出来るような会場ではない。

 それを格式のある狩猟会や園遊会ではなく、野外遊歩で借りているのだ。

 森林の周囲は不用意に人が入らないように管理人が見回っているので歩ける範囲は意外に狭いが、それでもユニウスの丘は広大な公園だった。

 ベルナデッタが遠回しな商談に、その横でロジーヌが料理に夢中になっているのを尻目に、ヴィオレッタは他の招待客に挨拶しながら会場を見て回る。


「今日は軍服でも女中服でもないんだな」


 不意に背後から声を掛けられ、ヴィオレッタは振り向いた。


「……恐れ多くもご挨拶申し上げます、殿下」

「やあ、相変わらずだね。アンセルミ嬢」


 第2皇子のティベリオ・パトロニだった。

 ヴィオレッタは思わず溜息ためいきを吐く。挨拶もなしに背後から声を掛けるのは身分に関係なく無礼な行為だ。

 なのでヴィオレッタの挨拶も少々失礼なものとなったのだが、それ程気安い関係になった覚えも、少なくとも彼女としてはなかった。


「話は聞いたよ。君の武勇伝がまた増えたな」

うれしくはありません」

「だろうね。君はがあるものな」


 お道化たように言うティベリオに、ヴィオレッタはまた溜息交じりに返す。

 戦場で数々の武勲を打ち立ててきた彼女ではあるが、戦争に心を痛めなかったわけではない。

 戦場を愛してはいるが、部下や同僚の死は彼女にとっても悲しいものであり、その死の上に成り立つ武功の結果として得た勲章の数々は、あくまで甘んじて受け入れたに過ぎない。

 この為、彼女は自身の戦果についてはほとんど口にしたがらない節があった。

 先日の銃撃事件もそうである。

 国家憲兵隊の取り調べに対しては素直に証言したが、それ以外では全くといって良い程口にしない。

 ただエミリアが無事で良かったということと、マノンが復帰出来そうで良かったということくらいしか話題にしなかった。

 それがまた謙虚な英雄であると社交界では人気なのだが、ヴィオレッタ本人はそんなつもりはなく、単に自身の戦果とその代償に対する自責の念があるだけである。

 ティベリオは同じく戦場に出た身としてそれに理解を示し、しかしそれで短絡的に分かった気になろうとはしなかったことが、唯一彼女にとって好印象であった。

 くつくつと笑って見せていたティベリオが、すっと神妙な表情になる。


「皇室情報院としても礼を言いたい。事件の発生まで、彼らの活動を察知することが出来なかったのは、我々のだ」


 内務省治安警察局が国家憲兵隊の介入部隊を投入して行っていた国内の恐怖主義者テロリスト掃討作戦は、皇室情報院からの要請と情報提供によるものであった。

 皇室情報院は高位貴族の暗殺という目的までは突き止めていたが、その具体的な方法や日時までは突き止められずにいたのだ。

 そうして時間ばかりが過ぎていき、結局エミリアへの銃撃事件が起きてしまった。

 なので当日ヴィオレッタが護衛侍女として同行していたから無事だったようなものだったと、彼らは認識しているのである。


「お嬢様にも申し上げたことではありますが、それが私達の仕事です。ですので、今回の件が皇室情報院の失点だとは思いません、


 ヴィオレッタはそこまで言うとはたと振り向き、ふっと微笑んだ。


「ただまぁ、もしもそれを殿下が私に対する借りだと思っておられるのであれば、それは近い内に返していただくことになるでしょう」


 どこか諧謔かいぎゃく的でありながら、しかし妙な妖艶さも持ち合わせたその微笑みに、ティベリオはその顔に少しばかり驚愕きょうがくの色を見せ、次の瞬間には小さく噴き出した。


「そうだな。君に対する借りが出来た。きっと近い内に返すことになるだろう」


 丁度やってきた使用人の盆から取った果実酒をヴィオレッタにも渡しながら、彼は今一度彼女の顔を眺めて言った。


「しかし君もそういう顔が出来るんだな。真面目な顔かあきれた顔ばかりだと思っていた」

「誰のせいだとお思いですか、殿下」


 またも溜息交じりに言う彼女に、皇族相手に臆せずその態度をとることが出来るのもまた彼女らしいところだ、と思うティベリオであった。

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