14. 協議に進展あり

「ヴォルタ1641か。よく手に入ったな」


 4月初旬、帝国首都カエルレウム近郊。

 ミュレーズ公爵家が保有する別荘の裏庭で、同行したミュレーズ兵団の私兵の1人が持つ銃を見て、ヴィオレッタはつぶやいた。

 普通、高位貴族の抱える私兵集団が持っている火器といえば、型落ちの軍用小銃や短機関銃、もしくは民生用の散弾銃くらいで、正規軍が現行で使用している火器を持っていることは非常に珍しい。

 実際、他の私兵達が手にしているのは、現在帝国軍が使用している半自動小銃の前に採用されていた手動式小銃である。着剣機能が取り払われた、猟銃として広く使われているもので、恐らくは帝国軍からの払い下げ品であろうことがうかがえる。

 この為、軽機関銃を持って警備に立つ私兵は目立った。

 隣で紙巻煙草を喫っていたマノンが紫煙を吐きながら言う。


「ヴォルタから直接買っているそうよ」


 ヴォルタ社は、主に機関銃を設計・販売している銃器製造会社である。

 当然ではあるが機関銃は本来民生使用されるようなものではない為、同社の売り上げのほとんどは帝国軍に占められているのだが、新大陸や東方大陸の中小国への輸出にも余念がない。

 ヴォルタ1641軽機関銃も帝国軍で採用されている他、新大陸の中小国の軍隊で見ることが出来る。ヴィオレッタにとっても、非常に見慣れた支援火器だ。

 ミュレーズ兵団の制服は帝国陸軍の一般歩兵と似ていることもあって、別荘の警備に立つ彼らはまるで10年程前の帝国兵とそっくりだった。


「ロジーヌ・ペリエ嬢、ご到着」


 私兵の1人がヴィオレッタとマノンにそう耳打ちし、マノンが紙巻煙草を灰皿に放り込むと、2人はお互いに身なりと装備の確認をし合う。

 ヴィオレッタはこの1か月程で、ミュレーズ家の護衛侍女達にすっかり馴染なじんでいた。

 マノンやビーチェとも気安く話す関係になり、エミリアや使用人らからは「ヴィオラ」の愛称で呼ばれるまでになっていた。


 さて、護衛侍女とは、その名の通り主人の護衛を兼ねる侍女のことだ。

 通常、女中にそういったの技能は求められず、女主人に付き従う侍女も例外ではない。精々自身を身代わりにして主人の命を守るくらいは出来るだろうが、それが時間稼ぎ程度にしかならないことは言うまでもない。

 しかし専門の護衛というのは男性が圧倒的に多く、それはまた貴族の女性にとっては日常的に状況が発生する可能性が高い。また、周囲の者に無用の警戒心を与える可能性もある。

 そこで、同性であれば行ける場所ならばどこへでも同行可能で、かつ周囲をやたらと威圧しにくい使用人として、護衛侍女という職種が誕生したのである。

 して、この職種は高位貴族の家に特有のものだった。

 家族に専属の侍女が就くことは下位貴族でも珍しくなく、実際アンセルミ家でもジュリアンとテオドラにはそれぞれ1人ずつ侍女が居るが、彼女らは普通の侍女で、荒事など以ての外である。

 侍女としての仕事をこなしつつ戦闘技能にも優れた女中という人材は滅多に居ない。危険度が高い上に貴重な人材であるが故に、給与水準も上げざるを得ない為、この職種を見ることが出来るのは使用人の母数が多い高位貴族の家に限られた。


 ミュレーズ公爵家の護衛侍女の服装は、他の家に仕えるそれと同じように、普通の侍女が身に着ける女中服が元となっており、衣服自体は黒色のお仕着せなのでパッと見では普通の侍女と見分けがつきにくい。

 しかし細部には違いが多く見られる。

 例えば前掛けの型。通常の侍女は白い布帯で腰を締めているが、護衛侍女なこれを白色の革帯で締める。布に見えるようにか艶消しもされており、正面からは金具も見えない。

 また、護衛侍女の立ち姿の輪郭は、通常の侍女に比べて全体的にダボついて見える。短剣や拳銃等といった携行武器を前掛けの中に隠し持っているのだ。

 襦裙スカートの丈も異なる。通常の侍女はくるぶしまで隠れる長さだが、護衛侍女の襦裙は脹脛ふくらはぎの中頃まで出ており、そして女中達の履く革靴ではなく、軍用のものに似た編上長靴が見えていた。


「よし、じゃあ行きますか」


 この日は、この別荘の茶会室でエミリアとその友人の伯爵令嬢、ロジーヌとフラヴィの茶会が予定されていた。

 お互いの身なりの確認を終えたヴィオレッタとマノンは建物へと入り、茶会室へと歩いていく。



        *        *        *



「先日はご迷惑をおかけしました」


 挨拶を終え、世間話に入ろうかというところで、ロジーヌはエミリアと伯爵令嬢に向かって頭を下げた。

 こうした時は上位の者から話を始めるのが礼儀だが、エミリアも伯爵令嬢も話が分かっているので頭を上げるよう優しく促す。


「良いのですよ。寧ろ、私達の方へ投げたのは良い判断でした」


 先日、とは4月に入ったばかりのある日のことだ。

 その日の昼休み。

 教養学科3年生の教室に、ジルド第3皇子が乗り込んできたのである。泣きそうな顔のロジーヌの手を引いて。

 突然の皇族の襲来に教室内の面々は狼狽ろうばいしたが、その皇族ににらまれているエミリアは涼しい顔で取り巻きを引き連れ、彼を教室の外へと促した。

 そこで用件を尋ねたところ、ジルドは「礼装の件だ!」と怒鳴った。

 ジルドがいわく「エミリアがロジーヌを脅し、自身がロジーヌに贈った夜会用の礼装を皇室に返還させた」ということらしい。

 エミリアは「ああ、か」と納得すると共に、「そう飛躍するのか」と寧ろ感心してしまった。


 発端は3月の初旬。

 女子寮のロジーヌの部屋に、ジルドから夜会用の礼装とそれに合わせた婦人靴が贈られてきたことだ。

 帝国における社交期は概ね5月頃からだが、その準備はもっと前から始めることになる。

 そしてその準備期間は、下位貴族や平民富裕層に比べて高位貴族の方が長い傾向にあり、主催としての会場の準備等がその一礼だが、最も顕著なのは礼装の用意である。

 工業化によって既製服という概念が生み出されたとはいえ、大量生産の既製服はどちらかといえば平民の象徴であり、高位貴族は高級な注文服を用意するのが一般的だ。というより、高位貴族にとって既製服を身に着けるのは財力の誇示と、持つ者の使う義務という面において恥ずべきことですらあった。

 ミュレーズ公爵令嬢たるエミリアは当然、注文服を用意する。それも、遅くとも3か月前、早ければ前年の社交期終わりからもう準備を始める程だ。

 一方、高級な既製服というものも登場してきており、近年は下位貴族や富裕平民の間でそれが流行ってきている。

 無論、下位貴族の庶子であるロジーヌもこのクチで、大抵社交期の直前に既製品の礼装を何着か用意していた。

 今年もそうするつもりで、まだ準備に着手していなかったのだが、そこへジルドから礼装が贈られてきたのである。

 ロジーヌは翌朝部屋に迎えに来た親友ベルナデッタに相談し、翌日にはアンセルミ家を通してそれらを皇室に返還した。

 その際にフラヴィを通してエミリアにも伝えており、ジルドが教室に乗り込んできた時には既にエミリアの方でも事情を把握していたのである。

 この日、贈った礼装の話になったのは全くの偶然であったが、送り返したと聞いたジルドは理由を問い詰め、ロジーヌはつい「婚約者様に申し訳ない」と零し、やはり婚約者が彼女に圧力をかけたのだと激昂げっこうした彼が彼女の手を引いてエミリアの居る教室に乗り込んだ、というわけであった。

 なので、丁度良い機会、と言わんばかりにエミリアはジルドに問うた。

 「」と。

 ジルドは怪訝けげんな顔になり「当然だ」と答えた。加えて「何だ、お前も欲しいのか」と続けた。

 エミリアは「いいえ。をよくお考え下さい」と返した。

 その直後、ロジーヌはジルドに声を掛け、彼が彼女の手を握ったままであることを指摘した。

 ジルドが慌てて手を離すと、ロジーヌは即座に断りを入れてその場から逃げ出したのであった。初々しい恋人のようなそのやり取りが周囲の失笑を買ったのは言うまでもない。


「お陰で、婚約解消の話を進められそうです。あちらの有責で」


 古い慣習ではあるが、帝国において男性が自ら選んだ衣類を女性に贈るのは、遠回しな求婚を意味する。遠回しなものなので女性がそれを固辞してもまた別の機会に贈ることが出来、女性が受け入れるまで何度も贈って情熱を示すことも多い。

 これは肉体関係よりも重い意味を持ち、逆説的に浮気の免罪符として使われることもある。本来結婚すべき女性にこれを贈ることで義理を果たしながら、別の女性を溺愛するような者も少なからず居るわけだ。

 今回の事例であればエミリアに礼装を贈っていればロジーヌに入れ揚げながらも婚約者に義理を果たしたことになるはずだった。

 だが、よりにもよってジルドはロジーヌに自ら選んだ礼装を贈ったのだ。余談だが贈られた礼装を一目見た彼女は「趣味が合わない」と零したという。


 それに加えて、調べるにその費用は第3皇子の交際費から捻出されていた。

 本来ジルドに付けられた交際費は自身の為か、婚約者であるエミリアの為に使う目的で用意されたものだ。

 それを使って婚約者でもない少女に礼装を贈った、というのは予算の私的流用といっても過言ではない。

 ジルドがその意味を知らない筈はない――少なくとも、皇室は言い逃れが出来なくなった。


 これには遂に皇室側も折れ、皇室有責での婚約解消の方向でミュレーズ家と協議を始め、エミリアの父フェルナンドは貴族院議会への根回しも始めた。

 ジルドも皇室内で聴取を受けており、ここ数日は学校を欠席している。

 エミリア自身、昨日も皇城に呼び出されて協議に参加したばかりだ。


「私達の婚約解消は時間の問題です。早ければ、秋になる前に片が付くでしょう」


 ロジーヌがエミリアの茶会に招かれるのも、恐らくそれまでだろう。

 それを察した彼女は、安心感のような、虚無感のような、不思議な感慨を覚えた。

 ジルドやエミリアの関係者という立場から解放されると捉えるべきなのか、エミリアという友人が遠い存在に戻ってしまうと捉えるべきなのか。

 その感慨を見透かしたように、エミリアは微笑んだ。


「全て終わっても、またお茶にはお呼びしますよ。ですもの」


 少なくとも、ロジーヌの中でその言葉は嬉しいものだった。

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