12. 公爵家の新しい使用人(後)

 エトゥールッセ公爵ミュレーズ家は、帝国北西部の広大な穀倉地帯にして交通の要衝たるエトゥールッセ州を治める大貴族である。

 その元祖は帝国成立前、この地にグライア人諸邦と西アズーリア人諸邦が乱立していた時代にまで遡ることが出来、帝国成立後も現皇帝から6代前の皇女を嫁に迎え入れるまで暫くは皇室の血を引かない公爵家として独立性の高かった家でもあるが、政治的には帝国本土のある中央大陸での覇権確立・維持を主張する古典的タカ派のまとめ役兼抑え役を代々務めており、現在も籍を置いている貴族院議会だけでなく、庶民院議会にも影響力を持つ帝国政界の重鎮である。

 更にそこに当代のフェルナンドが、法服貴族の頂点に立つ宰相パトロニ侯爵や、現職の陸軍大臣、内務大臣等とも個人的な親交があるという理由も加わり、帝国貴族の頂点ともいわれる程であった。

 そんな大貴族であるが故、当然ながら敵も多い。

 帝国内の外向的タカ派――植民地支配体制の強化と新大陸や南方大陸の植民地の拡大を主張する派閥にとっては政敵に当たる他、西方国家群の国粋派閥は勿論もちろんのこと、穏健派にもミュレーズ家に対する警戒心を隠さない者は少なくない。

 そして何より、ミュレーズ家を開闢かいびゃく以来の宿敵が如く敵視しているのが、かつての連邦政府――旧バグロヴィエフ政権だ。

 ミュレーズ家が率いる古典的タカ派の主張は、南方大陸や新大陸等に権益を持たず中央大陸での覇権確立を志す連邦にしてみれば、その途上でいずれ衝突することが明らかであり、実に目障りな存在であった。

 同政権は1570年代のクラスニア革命とその後の連邦政府樹立以来、約80年間に渡って世襲で終身大統領を務めてきたバグロヴィエフ家が率いた政権であったが、先のアーテリア戦争の最中に何度目かの動員令に反発した民衆と、彼らの支持を受けた革命政府によって政権の座を追われた。

 この為、現在は一般的に「連邦政府残党」と呼称されている一方、内戦を戦う勢力の中では一大勢力といっても過言ではない規模を持っているのも事実で、また、政権時代の悪名高い情報機関、連邦保安委員会の諜報員ちょうほういん達は未だに各国に潜伏したままとなっている。寧ろ、本国が内戦中である現在も国外で何かしらの工作活動を継続しているというのが、各国の政府にとって不気味なところであった。

 実際、帝国内にも相当数が潜伏していると見られており、先年には帝国の有力貴族の暗殺未遂事件も起きていた。下手人は制圧の際に死亡したが、遺留品からその所属が連邦保安委員会であったことを帝国内務省治安警察局は看破したのである。

 いずれにせよ、ミュレーズ家は連邦政府が実質瓦解し、戦争が停戦状態になった今現在も、この連邦政府の亡霊達から命を狙われ続けている。それだけは確かなことであった。


「というよりは、今やただの恐怖主義者テロリストだが」


 3月初旬、ミュレーズ公爵家の町屋敷、応接室。

 現在の家族を狙う敵対者について、ミュレーズ公爵フェルナンドはそう締め括った。

 室内には使用人の他に、娘のエミリアと何故か第2皇子ティベリオ、そして、この日の主役たるヴィオレッタが居る。

 この4者がこの日ここに集った名目は、要するにヴィオレッタの護衛侍女としての雇用面接であった。

 といっても、雇用の可否は最初から決まっている。彼女の雇用はただ護衛侍女を雇うという話ではなく、皇室とアンセルミ家との連絡役の役割も持たせる為のものであるのだから。

 なので、勤務形態もやや特殊だ。

 ミュレーズ家の護衛侍女は現在8名居り、ヴィオレッタで9人目となる。

 彼女らの内7名は住み込みで、基本的に護衛対象である公爵夫人や娘エミリアと寝食を共にする一方、もう2名――ヴィオレッタと、公爵夫人の護衛侍女の1人は、ヴィオレッタは陸軍の予備役将校の傍ら、もう1人は他の高位貴族の護衛侍女と兼任で入っており、週3日程度勤務することになっていた。

 ヴィオレッタはアンセルミ家との連絡役として、もう1人の方も似たような理由なので、要するにこの2人は護衛侍女という立場を兼ねた他家との連絡役なのである。


「ヴィオレッタ・アンセルミ。君には我が娘を、その身を賭してでも守ってもらうことになる。娘に対して良からぬことを考える輩――単なる下劣な誘拐犯から、バグロヴィエフの亡霊に至るまで、ありとあらゆる脅威からな」


 荒事になるぞ、と付け加えたフェルナンドに対して、ヴィオレッタは無感動な表情のまま応じた。


「勿論です。ミュレーズ家とアンセルミ家の連絡役という序ではありますが、あくまでも護衛侍女として微力を尽くします」


 小柄な体躯たいくに比して、その言葉には重みがあるように感ぜられた。


「謙遜は不要だ。『不死身の貴婦人』の実力が微力というのならば、我が帝国の将兵は皆腑抜ふぬけということになってしまう」


 カラカラと笑う父に、エミリアも釣られてクスクスと笑い出す。

 軍人の間では一般的な慣用句のようなものなので謙遜というわけではないのだが、と内心では思いつつ、ヴィオレッタとティベリオも頬を緩めた。

 ミュレーズ家はタカ派ではあるが、家自体が武闘派というわけではない。現当主フェルナンドも、隠居しているその父も、いずれも軍隊の経験はなかった。現在のミュレーズ家親族で軍人なのはフェルナンドの年の離れた弟だけである。


「さて。ここで紹介しておこう」


 一頻り笑った後、フェルナンドが手招きすると出入口の横に立っていた屈強な男が一歩前に歩み出た。

 堀の深い顔立ちに口元を引き締めた表情の、厳めしい印象の男だ。


「ミュレーズ兵団、副長のニコラス・フォルジュだ。陸軍予備役中佐でもある。兵団司令官は私だが、知っての通り戦闘のことは分からないんでね。兵団の指揮は実質彼が執っている」


 ミュレーズ兵団とは、ミュレーズ公爵家が抱える私兵集団だ。

 基本的に領地内の治安維持や領主の保有する施設類の警備等を行っているが、有事の際には戦場に出る準軍事組織という側面もある。先の戦争でも兵団の構成員とエトゥールッセ州領民からの志願者でエトゥールッセ義勇連隊を組織し、戦場に送られたことがある。

 フォルジュ中佐は主からの紹介に合わせて、鋭い靴音を響かせながら敬礼する。視線は彼を見上げるヴィオレッタの目に注がれているが、その瞳に感情の色は見えない。表情も少しも動かず、受け止め方によってはにらんでいるとも思えた。

 双方無言のまま視線を交わし、仕草でのみ挨拶をしたところで、フェルナンドがエミリアの後ろに立つ侍女に手を向ける。向けられた侍女は静かに淑女の礼をした。


「護衛侍女のマノン・フォルジュだ。エミリア専属だから、君の先任者になるな」


 こちらにも無言のまま会釈をする。

 フォルジュ中佐と同じ姓なのは、親子か親戚かだろうか、とヴィオレッタは内心思った。少なくとも毛髪の色は同じようだ。


「他の使用人とは追々会ってくれ。ただし、君を雇用する真意を知っているのは、今この場に居る者だけだ」


 隠し立てすることでもなかろうがな、と付け加えながら、フェルナンドはティベリオ以外の全員に退室を促した。



        *        *        *



 応接室から退室したヴィオレッタは、ビーチェという別の護衛侍女にエミリアの護衛を任せたマノンによって、ミュレーズ家の町屋敷内を案内された。

 説明を受けながら、各部屋の構造や動線を記憶・考察していく。

 その行程の最後。2階の露台で、マノンは立ち止まってヴィオレッタへと振り返った。


「ヴィオレッタ・アンセルミ少佐」


 マノンは一般的な女性どころか、帝国人男性よりも背の高い女性だ。そんな彼女が至近距離で正面に立つと、小柄なヴィオレッタにとっては巨人も同然だったが、今更彼女はそんなことではひるまない。マノンとしてもそれは承知だったらしい。


「私は――いえ、フォルジュ子爵家は、あなたに恩義がある」

「……あなた方とは、初見だと思うのですが」

「覚えておられませんか? 51年の冬、アジェタルグでエトゥールッセ義勇連隊をお救いくださった。あの連隊は私の父が率い、そして兄も所属していたのです」


 確かに、覚えがあった。

 1651年11月、北アーテリアのブノワ平原で帝国軍と大公国軍が連邦軍の主力を包囲していた頃、その包囲を狭める為の小規模な攻勢が頓挫した際に、エトゥールッセ義勇連隊は正規軍との連絡不備によって敵の勢力圏内に孤立した。

 撤退時に迂回うかい機動をとった連邦軍騎兵の追撃を受け、アジェタルグという小さな農村近郊の森林に押し込まれてしまったのだ。

 略奪を受けて無人となった農場に立て籠もり、2度に渡る連邦軍の攻撃を撃退はしたものの、敵中に孤立しているという事実は如何ともし難く、また2度目の攻撃では化学砲弾を撃ち込まれたことで多くの死傷者を出しており、物資の欠乏と士気の低下は数日の内に連隊から戦闘力を奪っていった。

 帝国軍はエトゥールッセ義勇連隊を救う為、救出部隊を差し向けたが連邦軍に撃退されてしまい、戦域の指揮を執る帝国軍北方軍司令部では同連隊について「失われた部隊」とささやかれ始めていた。

 そんな中、参謀本部は連邦軍包囲に参加していた帝国軍第201機動旅団からこの義勇連隊救出に旅団の中核たる第23歩兵大隊と第112歩兵大隊の投入を決定。

 代理指揮官ヴィオレッタが率いる第23歩兵大隊は連邦軍防御線に侵蝕しんしょくすると数時間で防御線に穴を開け、アジェタルグ近郊を包囲する連邦軍部隊の指揮所を制圧して回ることで、後続の第112歩兵大隊にエトゥールッセ義勇連隊を救出する時間を与えた。

 連隊は作戦開始の翌日には第112歩兵大隊と合流して包囲から脱出し、第23歩兵大隊の支援を受けながら撤退することに成功したのであった。

 無論、第23歩兵大隊と第112歩兵大隊も無傷とはいかない。

 この戦闘で第23歩兵大隊は4割近い損害をこうむり、ヴィオレッタ自身も迫撃砲弾の爆風を受けて負傷した。両大隊合わせて約200名の負傷者の内、復帰したのは僅かに20名程度である。戦死者も両大隊で110名弱に上った。

 尚、帝国軍における歩兵大隊は約660名を定員としており、第201機動旅団の歩兵大隊は増強大隊として定員780名前後である。

 ヴィオレッタは包帯所で治療を受けてすぐに残存兵力をまとめて旅団の戦線へ戻った為、エトゥールッセ義勇連隊の指揮官とは面会もしなかったが、どうやらあの時連隊の指揮を執っていたのはフォルジュ中佐で、その長男も連隊に従軍していたらしい。


「気にしないでください。あれは戦争で、あれが私達の任務でした。私達は仕事をこなしたまでです」


 ヴィオレッタの返答に、彼女を見つめるマノンの碧眼へきがんが揺らぐ。


「ですが――恩義は確かです。機会があれば、そのご恩をお返しさせていただきたい」

「では、機会があれば」


 ヴィオレッタが差し出した右手にマノンの右手が重なった。

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