11. 公爵家の新しい使用人(前)

 新年以来、ロジーヌは度々友人達と共にエミリア・ミュレーズの茶会に招かれるようになった。

 フラヴィ・ロンディクスとエミリアの側近の伯爵令嬢との4人だけの情報交換的な茶会もあったが、大抵はミュレーズ家取り巻きの令嬢達とベルナデッタ・インサナ達も同席する普通の茶会だった。

 その頃になるとロジーヌに対する嫌がらせの類はすっかり沈静化しており、寧ろ彼女に同情的な空気が醸成され始めていた。

 エミリアの努力によるものが大きいが、ミュレーズ家と親密な関係にある高位貴族の子女から話し掛けられることが増え、時には茶会や食事に招かれることもあり、有用な交友関係を広げておきたかったロジーヌにとって貴重な機会となった。

 一方、下位貴族の子女や平民出身者には逆にジルド第3皇子とロジーヌの恋路を応援するかの如き風潮が広がった。彼らにしてみれば「ラメリア出の平民の娘が皇子の心を射止めた」というのは実に甘く空想的で、成り上がりの夢を抱かせるような物語に思えたのだ。

 無論、そうした恋物語は事実無根である。ロジーヌ本人の意思としてはエミリアはかく、ジルドとはあまり関わり合いになりたくない。


 そんな3月半ばのある日。フラヴィと共に招かれ、ミュレーズ家の町屋敷で4人だけの茶会の席であった。

 既にミュレーズ家と皇室は婚約解消の検討を始めている、とエミリアに明かされたのだ。

 自分のせいで大事になってしまったのではないか、と気に病むロジーヌを、エミリアは優しく慰めてくれた。

 だが、その婚約解消の検討が中々進まない理由を聞いた時、ロジーヌも流石にあきれてしまった。


「えぇ……?」


 婚約解消の検討は皇室とミュレーズ公爵家の間で行われているが、皇室、ミュレーズ家、そしてジルドの間で意見が分かれており、難航している。

 まずミュレーズ家としては一貫して皇室有責での婚約解消を目指している。ジルドが婚約者であるエミリアを差し置いてロジーヌに懸想してしまったのが原因なのだから当然だ。

 対する皇室は、婚約解消を渋っている。

 理由としては、婚約解消にしても婚約破棄にしても、最終的には貴族院議会での承認が必要なことが挙がる。

 皇室典範で「皇族の婚姻関係には貴族院議会での承認が必要である」と定められている為、10年程前にはジルドとエミリアの婚約も貴族院議会での議題に上った。

 といっても第3皇子が既に親戚関係にある公爵家の婿に入るというのは当時の貴族達の利害関係に大した影響を及ぼすような話ではなく、寧ろ2人の誕生時から実しやかにささやかれてきた既定路線のようなものであった為、調整は非常に順調に進み、貴族院議会はあっさりとこれを全会一致で承認した。何なら一番乗り気ではなかったのがミュレーズ家だったくらいである。

 そう、だったのだ。

 つまるところそれは(少なくとも当時の)貴族の利害関係で最も納得のいく結果が2人の婚約だったということであり、今更その婚約をなかったことにしたいという議題を持ち出したところで、承認を得るにはを強いられることとなる。

 これがまた、皇室の態度を硬化させていた。

 エミリアの父フェルナンド自身はたった一人の愛娘のことであり、また本人がそうした政治のやり取りを楽しむ傾向にあるのでそのような調整は苦でもない。

 しかし皇室としては一度決めたものを覆すことをいとう現皇帝や、穏やかで政治に向かない性情の持ち主である正妃が矢面に立つことになるので、そうした面倒を回避出来る婚約継続を推している。

 そしてジルド本人はといえば、彼は全面的にミュレーズ公爵家側の有責という形での婚約解消――というより婚約破棄を主張している。誰がどう聞いても駄々をこねているようにしか思えないが、当事者であるし皇族でもあるし、ということで配慮はしなければならない。

 結局、婚約解消なのか婚約破棄なのか、それとも継続なのか。それすらも決まらないままなのだ。


「うーん……この席だから言えることなのですが、皇子殿下の言い分にはかなり無理があると言いますか……ただの我儘わがままと言いますか……」


 フラヴィが言うと、エミリアと彼女の側近の伯爵令嬢は一瞬目を合わせてクスクスと笑い出した。

 最近は伯爵令嬢ともそこそこ打ち解けることが出来た、とフラヴィもロジーヌも思っている。それでも彼女の笑顔はかなり珍しく、特に今回のような笑い方は初めてだ。

 この人もフツーに笑うんだ……、と思って彼女を眺めるロジーヌを気にする様子もなく、伯爵令嬢は扇子で口元を隠したまま、その笑みを浮かべた瞳をフラヴィへと向ける。


、ね。フラヴィさんからの信頼を勝ち取れているようでうれしいわ」

「あっ……!」


 貴族社会において、下位貴族の子女が上位貴族の子女の前で皇子の批判をするなどということはを招きかねない危険行為だ。例えこういった内密の茶会でのことであっても、それは「この人の前であれば口に出せる」というがなければ成り立たない。

 世の中にはこうした失言を引き出すことに精を出す貴族も少なくないのだ。

 社交界において皇室に対して批判的なうわさ話が出来るのは、伯爵以上の爵位を持つ高位貴族の特権ともいえることである。

 思わず手で自身の口を覆ったフラヴィに、エミリアは微笑みかけた。


「気を遣わないでくださいませ。私達は既にでしょう?」


 お友達認定されてる――と、フラヴィは心臓が止まりそうな顔になったが、寧ろそんな顔をしたいのは彼女の隣で愛想笑いをしているロジーヌの方である。

 フラヴィの父親ロンディクス子爵は内務次官補なのでその爵位を維持している為、その娘フラヴィもれっきとした貴族で、将来的にも貴族として振舞うことになる。

 一方のロジーヌの身分は法的にはただの平民だ。母親が断ったのでアンセルミ家との婚姻関係もなく、立場としてはただの使用人の娘に過ぎない。

 対するエミリアは皇室からの信頼厚く、帝国の穀倉地帯エトゥールッセ州を所領とするミュレーズ公爵家の一人娘である。ロジーヌから見ても完璧な高位貴族の令嬢だ。

 彼女が知る限り帝国貴族の頂点に立つべき人物であると、そう思えるだけののようなものが、目の前の一つ年下の少女からは醸し出されているのである。

 雲の上の人。ロジーヌにとってエミリア・ミュレーズとは雲の上の人であった。

 ……出来ればそうあって欲しかったと、ロジーヌは未だに心の底から思うことがある。


「そうそう。それと、今日はお会いしていただきたい人が居るの」

「?」


 エミリアがロジーヌとフラヴィに会わせたい人物とは?

 2人が小首を傾げていると、エミリアの側に立っていた女中が部屋の扉を開き、廊下に声を掛ける。

 入ってきたのは、ロジーヌのよく知る人物であった。


「えっ、ヴィー姉様? その恰好かっこうは?」


 公爵家の女中服に身を包んだ、ヴィオレッタである。狼狽ろうばいしたロジーヌに小さく微笑みながら淑女の礼をし、エミリアの斜め後ろに立つ。


「先週から私の護衛侍女として雇った、アンセルミ男爵家のヴィオレッタよ――そう、ロジーヌさんのお姉様の。ふふっ、驚かせることが出来たみたいね」


 コロコロと笑うエミリアに、ロジーヌは絶句した。

 ここ1か月程アンセルミ家には帰っていないので、異母姉がどこで何をしているのかなど詳しくは知らなかったのだ。まさかミュレーズ家の使用人になっていたとは。


「お察しがつくと思うけど、彼女の雇用は貴女と殿下の件についての連絡役という側面があるわ」

「連絡役……」


 知っての通り、ミュレーズ家とアンセルミ家の間にはがあった。

 アンセルミ家はソルダノ伯爵家の寄子であり、皇室や他の高位貴族との連絡には伯爵を通さねば角が立つ。

 ソルダノ伯爵とミュレーズ公爵フェルナンドは別に仲が悪いわけではないが、特別友好的というわけでもない。年齢も領地も離れているし、貴族院議会でも意見が合致したりしなかったりだ。得意分野も全く違うので交流がほとんどなく、今回の件に関して貴族院の控室で少しばかり相談したのが久々の会話だった程である。

 なので逆に言えばソルダノ伯爵は問題なく取次ぎをしてくれるはずだった。

 しかし、伯爵夫人はアンセルミ家に対する個人的な悪感情からそれを妨害するなのだ。そして伯爵は恐妻家の気があり、夫人をたしなめられない。

 それでは此度こたびの問題の対応策を検討することに支障をきたすことは火を見るよりも明らかだった為、まず皇室が皇族であり空軍軍人でもあるティベリオ第2皇子を通して陸軍軍人であるヴィオレッタに接触するという形で連絡手段と、ジルドからの贈り物の引き取り手段を確保した。

 そしてそれに続いてミュレーズ家も、戦争の英雄であるヴィオレッタを娘の護衛として雇用するという形で連絡手段にしたわけである。


 ミュレーズ公爵は古典的タカ派――帝国本土を中心とした中央大陸内での覇権維持を標榜ひょうぼうする派閥の長であり、その主張は連邦の権益と衝突するものでもあった為、連邦政府残党からは殊更に敵視されている。

 戦争中も停戦後も、フェルナンドは幾度となくその命を狙われ、当然の如くそれは彼の家族にも及んだ。

 なので、娘であるエミリアが護衛侍女として戦争の英雄を雇用するのは実に自然なことなのだ。寧ろ数日前のお茶会で某侯爵令嬢に「今更?」と言われた程である。

 ソルダノ伯爵はそのにも気付いただろうが、夫人に頭が上がらず自身が連絡役として機能していない自覚があるらしく、また皇室と公爵家のやり方に文句を言えようはずもないので、黙認している。

 こうして皇室と公爵家に対するアンセルミ男爵家の窓口はヴィオレッタが務めることとなったのであった。

 いくら男爵家のきょうだい達の中で一番暇で一番適任だったからといって、流石に負担をかけ過ぎなのでは、とロジーヌは内心申し訳なく思いながら、女中服姿の異母姉を見遣った。

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