05. ロジーヌの友達

 ジルド第3皇子との交際は、ロジーヌにとって苦痛以外の何物でもなかった。

 2人の会話というものは、皇族と臣下のそれだ。

 ジルドが話し、ロジーヌは問われた時に答えるのみ。彼女が出来ることは時々相槌あいづちを打つことと彼の言葉を曖昧に肯定することのみで、彼はそれに何の違和感も覚えておらず、故に会話は成立してしまう。

 本来ならばロジーヌは臣下として苦言を呈することは出来たのだが、彼女はそれが不敬ととられることを強く恐れており、結局交際は続いてしまっていた。

 彼がロジーヌを愛人にしたがっているという線も考えられたが、ミュレーズ公爵家に婿入りする身で最初から愛人を設けるというのは流石に非常識が過ぎる。

 側室など以ての外だ。側室を持つことは皇族にのみ許された特権ではあるが、これまた婿入りする身で、しかも下位貴族の庶子を迎え入れるなど前代未聞である。

 いずれにせよ、等がなかったのはロジーヌの親友ベルナデッタ・インサナの努力によるものが大きいといえよう。

 彼女は可能な限りロジーヌに付き添い、朝は女子寮の彼女の部屋まで迎えに行く程の徹底ぶりであった。


 また、それ以外にもロジーヌには頼もしい友人達が居た。

 ロンディクス子爵令嬢フラヴィを筆頭に、数人の教養学科生である。

 彼女らは協力してジルドの目からロジーヌを遠ざけるよう務め、またロジーヌやベルナデッタの困りごとには親身になって相談に乗った。

 フラヴィ以外は最初ロジーヌに少々懐疑的な目を向けていたが、彼女の人柄や本音に触れると、すぐにその警戒を解いた。

 何より彼女らはいずれも法服の下位貴族や裕福な平民の娘であり、貴族と平民の身分差がありながら対等な友人として付き合えることは、その出生から貴族とも平民とも付き合い難い面のあったロジーヌにとっては気楽で有難い存在であった。


「えっ、もしかして、アンセルミ? 『不死身の貴婦人』の?」


 ある日の昼休み。

 経営学科の校舎でロジーヌを探し回るジルドをやり過ごし、教養学科の談話室に招かれた彼女は、そこで家族のことを聞かれて自分の出生を話すことになった。

 アンセルミの名を聞いてまず大きく反応したのは、ロレンツォ男爵令嬢ダニエラである。

 ロレンツォ家は「法服貴族というより軍服貴族」と呼ばれる程の陸軍一家だ。彼女の父親は現役の陸軍将校、母親は元軍医、兄も現在陸軍士官学校に居るという。勿論もちろん祖父も曽祖父も陸軍軍人であった。

 そんな彼女が両親も従軍した先の戦争に興味を持つのは当然で、各地の戦場で赫奕かくやくたる戦果を挙げた「不死身の貴婦人」ヴィオレッタ・アンセルミ少佐の名前も勿論知っていた。

 戦争中の姉のことをあまり詳しく聞いていないロジーヌは「よく知ってるね」と苦笑したが、ダニエラの興奮は収まらない。


「知らない方がおかしいよ。404高地で連邦軍の師団を2つも壊滅させた『狂犬大隊』の指揮官だよ?」

「……それ褒められてるの?」

「褒めてるよ! 『狂犬大隊』って言ったら帝国陸軍で個人の勲章受章率最多、部隊の勲章受章数最多の伝説の部隊なんだから!」

「そ、そうなんだ」


 ロジーヌは軍人としてのヴィオレッタについて、戦争中に2回昇進したことと、沢山の負傷とそれに対する勲章をもらっていること、負傷が多かったことから「不死身の貴婦人」と呼ばれたこと、そして現在は予備役として週に何度か首都の駐屯地で仕事をしていることくらいしか知らない。なので「狂犬大隊」などという恐ろし気な部隊やその部隊が挙げた戦果のことなど知らなかった。


「アンセルミといえば、今のご当主はジュリアン様でしょ?」

「あ、うん、そうだね」

「ラメリア復活の立役者として有名よね」


 次にアンセルミの名に反応を見せたのは大衆向け自動車製造会社であるザナルディ社の社長令嬢ジーナ・ザナルディである。

 軍事に疎くても商売には興味のあるロジーヌは、長男ジュリアンがラメリア産果実酒とその原料であるブドウの販路を開拓した実績はよく知っている。


 数年前まで、ラメリア地方の果実酒は他の銘柄に押され、地方内のどこの領地でもその売り上げに伸び悩んでいた。

 元々ラメリア産果実酒は高級志向のものではなく、どちらかといえば庶民向けの果実酒だった。安価だが酸味が強く、比較的裕福な平民や下位貴族の男性に人気が高かった。

 しかし他地方から新たな品種を使った、より安価かつ美味な果実酒が登場し、その人気に陰りが生じてきたのが数十年前の話。

 当然、ラメリア地方のブドウ農家達も新品種の研究を始めたが、その進捗は全く芳しくなく、近年は「中の下」の烙印らくいんを押されてラメリアは全くパッとしない果実酒の産地となっていた。

 そこに一石を投じたのがジュリアン・アンセルミである。

 彼はまずヴィオレッタの伝手を使って陸軍の兵士向けにラメリア産果実酒を売り込んだ。当時アンセルミ家はイラリオの一件でラメリア地方の社交界から干されてしまっており、最初は陸軍東部方面軍も難色を示したが、ラメリア地方出身者が多く、ヴィオレッタも所属していた第2師団が半ば同情的に受け入れたことでその橋頭保を築くことに成功した。

 その際に卸売業者として接触したのがラメリア地方を拠点とするダルベルト商会であり、そこには三女クラリッサが嫁いでいる。余談だが彼女と夫であるダルベルト商会社長子息は恋愛結婚で、アンセルミ家が抱える醜聞から結婚を中々認めない社長夫妻を本人達が根気強く説き伏せての婚姻であった。

 して、クラリッサは果実酒としてではなく、ブドウとしての販売を画策した。

 元々、ラメリア地方のブドウは酸味が強いことで知られ、干しブドウや果実酒にするならかく、ほかの調理法やそのまま食べることには向かないと言われていた。

 この為、ジュリアンはクラリッサの提案をいまいち理解出来ずにいたのだが、彼女は大手通信機器会社のステッラ社に勤めている科学者だという友人を連れてきた。

 いわく「ラメリアのブドウは酒石酸が多い」。

 化学の知識に疎いジュリアンは――否、クラリッサと彼女が連れてきた科学者以外はその話が何なのか全く分からなかった。

 ただ、彼らが言うにはラメリアの酸味が強いブドウは、食べるには向かずとも通信機器に用いる原料を抽出するには向いているのだということだけは分かった。

 こうして、今ではラメリア地方は兵士向けの果実酒と通信機器の原材料という軍需物資の生産地として帝国の各軍省――特にステッラ社の通信機を採用する空軍省調達局と、水中聴音機の開発を同社と共同で行っている海軍技術研究部が重きを置く地域となったのである。

 また、丁度その時期に戦争が起きた影響で特需が発生したことからこの地方の経済も潤い、計画を主導したとされるジュリアンは「ラメリア復活の立役者」と商業関係者の間で一躍有名になった。

 この件とヴィオレッタの戦場での活躍により、ラメリア地方を治める寄親であるソルダノ伯爵家から直々に謝罪を受け、2年程前からは社交界への復帰も果たした。

 この話をよく知っているロジーヌは「半分くらいはクラリッサの功績ではないか」と内心思ってはいるが、矢面に立って有名になったことで胃に穴が開きそうな程苦労しているのはジュリアンであり、クラリッサの方は彼の陰でダルベルト商会と共に暗躍することを楽しんでいるので何も言わないでいた。


「そうそう、ジュリアン様の奥さんは科学者なのよね?」

「うん、テオドラさん」


 ジュリアンの妻テオドラは、先述のクラリッサの友人であった。

 子爵家の三女として生まれた彼女は幼い頃から非常に好奇心旺盛な少女で、10歳の頃には自分から毒物を口にして生死の境を彷徨さまよったこともあり、それを後悔していないと豪語する変人だ。

 しかしその頭脳は本物であり、高等学校卒業後は工業大学へ進んで学位を取り、卒業すると数多の引く手からステッラ社を選んで最先端の電子技術に触れるようになった。

 そんな彼女の初恋は、アンセルミ家との仕事で出会ったジュリアンとなった。曰く「名状し難いのだけど取り敢えず可愛い」とのことで、彼女を憎からず思っていた彼もそれをあっさり受け入れ、彼女の実家の子爵家もすっかり結婚を諦めていたが故にすんなりと認めてしまったことで、テオドラはとんとん拍子にアンセルミ男爵夫人の座へと収まってしまったのであった。


 そこまで話が弾んだところで、不意に会話が途切れた。

 フラヴィとダニエラとジーナはそれぞれ顔を見合わせる。

 その沈黙に不安を覚えたロジーヌが3人の顔をそれぞれ見遣るが、彼女らの視線が自分へと戻ると途端に小さくなってしまった。


「……ロジーヌさん。うちの兄、今帝国大学に行っているんだけど、まだ結婚相手を探しててね?」

「え、うん、そうなんだ?」


 ジーナが言うと、負けじとダニエラも声を上げる。


「うちの兄は陸軍士官学校に行ってるの! 勿論結婚はまだよ!」

「うん、そっか」


 フラヴィも身を乗り出した。


「私も弟が居るの。今初等学校高等科の2年なんだけど……」

「いや、ちょっと、どうしたの、皆?」


 急な3人の剣幕に、ロジーヌはドン引きした。

 隣で黙っていたベルナデッタが苦笑する。


「あんたが望んでたことよ。フラヴィさん達からしてみれば、アンセルミ家とつながれる、意外な足掛かりを発見してしまったってわけね」


 ベルナデッタはインサナ家の一人娘であり、元々アンセルミ家に目を付けていた。まだ独身である次男ヴィットリオを婿に取るか、婚姻までいかなくても交友関係の一つとしては確保しておくという打算から、ロジーヌに近付いたのである。

 それで彼女に触れている内にその人柄に篭絡ろうらくされ、今は純粋な友情での付き合いにもなっているのだが、とベルナデッタは内心自嘲しつつ、3人へと目を向けた。

 つまり、3人も気付いてしまったわけだ。

 今躍進中の新進気鋭貴族であり、戦争の英雄も抱えているアンセルミ家に接近する好機が、目の前に座っている少女であることに。


「まさか、皇子はこれを知って?」

「いや、知らないと思うな……」


 フラヴィが口にした疑問は、ロジーヌによって即座に否定された。

 ジルドと接していて気付くのは、彼が王侯貴族らしい打算ではなく、純粋にロジーヌの容姿や声への興味と下心のみで接近してきていることだ。容姿に優れているばかりに、人からのそういう目や態度に慣れている彼女はそれを見抜いていた。


「まさか見た目だけで近付いてきてんの?」

「た、多分、そう……」

「うわぁ……」

「エミリア様だってこの上なく素敵な方なのに、普通別の女になびく?」

「靡いちゃったんだよなァこれが……」


 先程までのことがうそのように、今度は年頃の少女達らしく下世話な話で盛り上がる。

 その現金さと切り替えの早さに思わず苦笑しつつ、ロジーヌはその脳裏に一応恋敵ということになるのであろう公爵令嬢の顔を思い浮かべた。

 ロジーヌにしてみれば、エミリアの方が自分より容姿も整っているし、気品がある。髪の色は自分と同じ金髪で、髪質も近いが、顔立ちはきりっとしていて凛々りりしい。少しぼんやりした印象を与えがちな垂れ目の自分と違って、気丈ではっきりした性格が目付きにも表れている、美しい令嬢だ。

 そんな見た目麗しく、気品にも優れた婚約者を差し置いて、一体自分のどこにかれたというのだろう。顔立ちの好みは人それぞれなので、皇子にとってはエミリアより自分の方が好ましい顔立ちだったのだろうか。それともエミリアと違って何も言わず黙って従ってくれる従順な女を求めているのだろうか。それとも――結局身体が最有力候補か。

 ロジーヌは母親譲りの豊かな肢体の持ち主だ。

 小柄で、内気で、それでいて豊満な肢体と愛らしい顔立ちは男の目を惹きやすいところまでカミラと同じだ。カミラはそれで先代男爵に目を付けられ、愛する恋人との子ではない自分を産む羽目になった。

 ジルドが先代男爵と同じように、自分の身体に惹かれているだけなのだとしたら――先述の通り、愛人として迎え入れられるのは非常識だ。公爵家は確実に良い顔をしない。

 何より、そのような立場はロジーヌ自身の矜持きょうじが許さない。不義の子である自分がまた別の不義の相手など。

 それだけに、彼女の内心ではジルドに対する嫌悪感が高まっていた。

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