04. 空軍少佐殿下の訪問

 1654年の秋もそろそろ終わりといえる頃。

 皇帝誕生日の式典の準備に追われていたアズーリア帝国陸軍第100師団の司令部に、1人の空軍将校が訪ねてきた。

 第1親衛航空団第1戦闘飛行隊の将校搭乗員の徽章きしょうを身に着けたその男は、その用向きを皇帝生誕日式典での展示飛行に関する打ち合わせとしていたが、そんなものは建前に過ぎないだろうというのは司令部の従兵にも分かる話だった。式典の主催部隊は近衛師団であり、第100師団はそこに参列するに過ぎず、そういった案件は近衛師団司令部に問い合わせるのが筋である。

 しかし、それを指摘する者は居ない。

 その空軍将校がティベリオ・パトロニ――帝国の第2皇子であった為だ。


 ティベリオ第2皇子は側妃の子であった。

 アズーリア帝国皇室における側室とその子の制度は少々特殊であり、諸外国における公妾こうしょうの子と違って皇位継承権を有している。

 しかしその継承順位は年齢や性別に関係なく正室の子より低くなり、彼の場合は年齢では皇太子に次ぐ2番目だが、継承順位は正妃の子である2人の皇女とジルド第3皇子より下である。

 こうした側妃の子は、大抵の場合は成人時に伯爵位を得て家臣に列せられるか、良家に婿入りまたは嫁入りするのだが、ティベリオはこれまた特殊な例で、側妃の旧姓であるパトロニ姓を名乗って空軍に奉職していた。


 現皇帝の側妃は法服貴族の筆頭とも言われるパトロニ侯爵家の娘であり、現在の宰相の妹でもある。

 その性格は一言でいえば「女傑」。

 正妃がお淑やかで物静かなのに対して、彼女は兎角とかく明るく溌溂はつらつとしていて、何よりだった。

 野心といっても、皇位を脅かすような類のものではない。彼女の野心の重点は帝国を皇室の名の下に、如何に偉大な国にするかという点に置かれているのだ。

 その為、兄と共に法服貴族をまとめ上げて役人の質の向上に努め、そして息子であるティベリオは厳しくしつけて文官か軍人かを選ばせ、挙句の果てには空軍軍人の道を選んだ彼を戦場に送り込んだ。

 そんな女傑に育てられ、戦闘機操縦士として戦場の空で死闘を繰り広げた経験を持つ彼は、軍人としては実に公明正大かつ実直な男で、一方皇族としては皇子らしからぬ気さくな人物として知られていた。

 なので、この度の第100師団司令部訪問はこれまでの彼の印象からすると少し意外な出来事ですらあった。

 師団長に出迎えられた彼は、とある女性将校との面会を希望したのだ。


「もう少しを考えていただけませんか」


 指名された女性将校――ヴィオレッタ・アンセルミ予備役少佐は、応接室でティベリオに苦言を呈した。

 勤務中にで女性将校を訪ねるなどというのは彼の看板に傷がつくのではないかという懸念と、その訪ねられる女性将校が自分だという事実に彼女は渋い顔をしていた。

 皇族が用向きを誤魔化して誰かを訪問するというのは、往々にして政治か恋愛のどちらかが本当の理由だというのは誰にでも想像がつく。特に、皇族の男性が女性を訪ねるのは後者であると考える人間は多い。

 実際、師団長がどういう気を回したのか室内にはティベリオとヴィオレッタだけである。従兵が廊下で待機しているのはいつも通りだが、大抵は副官や下士官が同席するはずなのにも関わらず。といっても、ヴィオレッタには固定の副官が就いていないのだが。

 ヴィオレッタは政治も恋愛も嫌いだ。軍隊と戦場を愛している。

 だから戦争が終わって戦う機会がなくなると、すぐに予備役に入った。このまま昇進すれば師団参謀や参謀本部付になることになり、どうしても政治が絡むようになる。元々大隊長にすらなる気がなかったのに、戦場で昇進して成り上がってしまったのだ。彼女は今でも中隊長か小隊長に戻りたいと思っている。

 ティベリオは苦笑した。彼は彼女のことを事前によく調べていた為、その事情もある程度は把握していた。


「すまないね。実は異母弟おとうとのことなんだ」

「……ジルド皇子殿下の?」

「ああ。それとうわさの『不死身の貴婦人』を一目見てみたかったのもある」

「くたばるまでは誰だって不死身ですよ」


 ヴィオレッタ・アンセルミは、先のアーテリア戦争で、率いる第23歩兵大隊と共にその勇名をとどろかせた歩兵将校だった。

 アーテリア戦争は、アズーリア帝国と北方の大国クラスニア連邦に挟まれるように存在する帝国の衛星国アーテリア大公国での内乱に端を発する戦争である。1650年12月から1652年11月までの約1年11か月間続き、最終的にはクラスニア連邦で内戦が勃発したことで停戦した。係争地アーテリア大公国は現在戦災からの復興中だ。

 開戦時、第2師団第23歩兵大隊の中尉として小隊を指揮していた彼女は、所属する中隊の指揮官が戦死したことで中隊長代行を引き受け活躍。代わりの中隊長も着任してすぐに戦死してしまい、第2師団司令部は彼女を大尉に野戦昇進させて正式な中隊長に任命した。

 その数か月後には大隊長が狙撃されて戦死したので、今度は大隊長代行に。

 そんな調子で半年近く戦った頃。陸軍参謀本部が攻勢に特化した部隊として、第201機動旅団を編成すると、第23歩兵大隊は損害率が5割を超えても戦闘を続行し任務を達成したという凄まじい戦闘力と指揮統率力を見せていたことで目を付けられ、この旅団に編入された。

 編入時にヴィオレッタの代わりの大隊長もやってきたが、とある戦闘で大隊本部に砲弾が直撃し、大隊長も重傷を負って後送。彼女はまたも大隊長代行となった。

 そうしてそのまま停戦まで約1年、数多の負傷を経験しつつもすぐに復帰してくる「不死身の貴婦人」ことヴィオレッタ・アンセルミ大尉と、彼女が率いる「狂犬大隊」こと第23歩兵大隊は各地の戦場で帝国陸軍随一の活躍を見せ、全軍で最も高い所属将兵の勲章受章率と、全軍で最も多い部隊としての勲章受章数、そして戦闘での死傷者が授与される戦傷勲章の受賞者があまりに多いので「戦傷勲章大隊」というあだ名も付けられたという伝説を打ち立てたのであった。

 尚、彼女は戦後第201機動旅団の解隊によって第2師団に戻された第23歩兵大隊の動員が解除されると、参謀本部からの参謀職の打診を蹴って「また戦争が起きたら戻る」と言って退役した。あくまで最前線主義を貫くつもりだった。

 現在は予備役部隊である第100師団第1001歩兵大隊指揮官として、週2日程度出勤し、定期訓練や事務仕事をこなして過ごしている。本当は2週間に1度程度でも良いのだが、「あまりに暇だと勘が鈍る」のでこうして出ている。

 閑話休題。


「それで、殿下の件とは?」


 紅茶を口にしながら、ヴィオレッタはティベリオに本題を促す。

 彼は脚を組んだ。


「ジルドが最近入れ揚げているロジーヌという娘は、君の何だ?」

「妹です」


 即答。

 ティベリオの口角が上がった。


「成程。異母妹が皇子に嫁入りするのは、アンセルミ家にとってはとても栄誉なことではないと?」

この上ない栄誉だったでしょう」

「普通に選ばれたのであれば?」

「ええ。法的な手続きに則って、政略的な意味があって、その上でアンセルミ家の娘が皇族に認められたとあればそうでした。しかし……アンセルミ家の立場で言わせていただけば、ミュレーズ公爵家との政争になりかねないというこの状況は、です。また、仮に向こうが引き下がったとしても……あの子が殿下を愛することは難しいでしょう」

「おいおい、ジルドが気の毒だ。男として魅力がないと言いたいのか?」

「いいえ。第3皇子殿下が如何に魅力的だったとしても、この状況そのものがなのです」

「どういう意味だ?」


 怪訝けげんな顔になったティベリオを見て、ヴィオレッタは一瞬目の前の紅茶に視線を落とす。

 彼も釣られて視線を紅茶に落としたが、次の瞬間にはヴィオレッタが口を開いていた。


「……お調べになられれば分かることと思いますが、あの子は私達の父の不義で生まれた子です。そうした自身の出生についても知っており、それを人一倍気にしています」

「この状況をジルドの不義と捉えていると?」

「私達もその見解ですが」

「婚約は婚約、あくまで結婚ではないとしてもか」

「少なくともミュレーズ家に対する不義理ではありましょう」


 彼女の言葉に、ティベリオは暫し黙り込んだ。

 室内に茶器と受皿が当たる音と、低卓に受皿を置く音だけが響く。


「手紙を見た時も思ったが、君達が賢明かつ謙虚で良かったよ」

「お褒めに与り光栄です」

「これはかなり繊細な問題だ。巻き込む形になって申し訳ないが、今後も協力体制を築きたい。今日、私が君に接触した理由でもある」


 ティベリオの言葉に、ヴィオレッタの眉が少し上がる。


「実を言うと、私には3つの身分がある。1つは皇子。もう1つは空軍将校。そして最後の1つが――皇室情報院、係官」

「……成程。皇子殿下の不祥事は皇室情報院の職掌ですか」


 帝国には複数の情報機関が存在するが、その中でも宮内省皇室情報院は特に国内や植民地での防諜ぼうちょうと、貴族関係の問題を専門としており、当然ながら今回のジルド第3皇子の醜聞に関しても彼らが主軸となって調べ、解決することとなっていた。


「陸軍情報部が皇室情報院をどう呼んでいるかご存知ですか?」

「『襦裙スカートの中ののぞき屋』だろう。知っているさ」


 皇室情報院は先々代の女帝が皇女時代に、当時皇室が抱えていた「影」と呼ばれる情報機関と宮内省が設置していた近衛騎士団諜報部を統合し、効率化する為に再編することを提案したのを発祥としており、取り扱う分野が国内の貴族関係に圧倒的に偏っていることも相俟あいまって、軍部や外務省の情報機関からは「襦裙の中の覗き屋」の蔑称で呼ばれることがある。


「しかし君に陸軍情報部の知り合いが居るのは知らなかったな」

「乙女には秘密が付き物ですよ、殿下」

「戦乙女の間違いだろう?」


 悪戯っぽく言ったヴィオレッタに、ティベリオは肩をすくめた。

 彼女の大まかな略歴は分かっているが、その中に陸軍情報部とのつながりは特になかった。精々士官学校の同期生が居るだとか、戦争中に陸軍情報部の将校と接触した可能性があるだとか、そういったことくらいだ。いずれも一般的な将校にはよくあることであり、特に親しいというような情報はない。


「それで、だ。こちらとしては今後協力体制を築いていきたい。具体的には連絡網と接触方法、それと現状での心配事。例えば……ロジーヌ嬢への贈り物で、処分に困っているものとかね」

「『覗き屋』の異名は伊達だてではなさそうですね」

「まあね。どうだろう、まずは連絡の方法から話してみないか。『方法をもう少し考えろ』と言っていただろう?」


 ティベリオが言うと、ヴィオレッタは対面して以来、初めての微笑を彼に向けた。


「ご用向きは『打ち合わせ』でしたね、パトロニ

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