第43話 一緒に死んでくれないか

二人きりになっても何を話したらいいのか分からない。ビクトールの方は大事な話があるらしいが、一向に口を開いてくれない。しびれを切らしたリリアーナは自分から口火を切った。


「あ、ありがとう。見つけてくれたのがあなた達でよかった。心配かけてごめんなさい」


「いや、俺たちこそ見込みが甘かった。まさか孤児院が襲撃されるとは思わなかった」


二人とも視線を地面に固定したままぎごちなく会話を交わした。


「あなたがくれたネックレスがとても役に立ったわ。私の魔力ではとてもフローラに太刀打ちできなかった」


「リリアーナの呪文が正しかったからだよ。いくら魔力があってもきちんと呪文を唱えなければ意味がない。くさらずに魔法の勉強を真面目に頑張って来たお陰だ」


リリアーナはビクトールに褒めてもらえて素直に嬉しかった。目に見えない努力を誰かに評価してもらえたのは初めてだ。おまけにビクトールの様子が更に柔らかくなっている気がする。全体的に角が取れたと言うか、雰囲気が明らかに変わっている。


「ねえ、あなた私のこと名前で呼ぶようになったのね。前は青の魔女と言ってたくせに。どんな心境の変化があったの?」


「名前には言霊があるから相手を引き寄せる力があると言っただろう。別に信じちゃいないが、そういうものでもすがらないとやってられない。だから名前を呼んだ」


それってどういう意味? と尋ねようとしたが、理由に思い当たったリリアーナは一人赤面した。いやでも、単純に自分が行方不明になったからに過ぎないかもしれない。


「本当は重い話をしにここに来たんだけど、そういうのどうでもよくなっちゃったな。リリアーナが元気に舞台で跳ねてる姿見たら、今まで悩んでいたのがバカバカしくなってきた」


突然、ビクトールはふっきれたように顔を上げると、笑いながらリリアーナを見つめた。いつもの眉間にしわを寄せているしかめ面ではなく、年相応のリラックスした表情をしている。彼がこんなに柔らかい表情をしているのをリリアーナは見たことがなかったので、思わず見つめ返してしまった。


「やっぱり生きている人間がいい。どんな御託を並べようが、死んだ者に寄り添っているとこっちまで病んでしまう。どんな形でもいいから生きているのが一番だ」


突然彼が妙なことを言い出したので、リリアーナは戸惑った。一体何のことを言っているのだろう。


「ちょ、どうしたの、ビクトール? あなた変よ?」


おろおろしながら言うリリアーナを覗き込むように、ビクトールは首を傾げ、そして晴れ晴れした表情で恐ろしいことを口にした。


「ねえ、リリアーナ。一緒に死んでくれないか」


**********


二人の間を沈黙が取り囲んだ。建物の中からはショーの音楽が漏れ聞こえているはずだが、どこか果てしなく遠い場所のような気がする。リリアーナは、ビクトールが何を言ったのか一瞬分からなかった。


「は? 今何て……」


「正確には薬を飲んで仮死状態になる。俺が調合した薬がうまくいけば元に戻れる。それしか君を救う方法はない」


この人は何を言っているのだろう、そもそも自分を救うとはどういうことなのか?


「説明が下手ですまない、どこから始めていいか分からなくて。まず、聖女候補が言ったことは事実だ。王太子の異変にはリリアーナが関係している」


「私何もしてない! 何も知らない! あなたなら信じてくれるでしょ!」


必死に弁明するリリアーナを、ビクトールは静かに受け止めた。


「分かってるよ。正確には君の母親が仕組んだことだ。アレクサンドラ・オズワルドのやったことだ」


こんなところで母の名前が出てくるとは思わなかった。以前ビクトールに母について聞かれたことがあるが、それと関係あるのだろうか?


「どうしてここでお母様の名前が出てくるの?」


「以前リリアーナの記憶を覗かせてもらった。前に研究室で眠ってしまったことがあっただろう。あれは触れるだけで記憶を読み取れる薬に間違って暴露してしまったので、安全のために眠らせたんだ」


ということは……リリアーナは何を見られたのだろうと想像してしまい、かーっと熱くなった頬を両手で押さえた。


「すまない……聖女候補が君に何をしたかも知っている。それでアレクサンドラの死の真相も知った」


「お母様の死の真相……私も知らないのよ?」


「リリアーナは子供だったし、それに故意に記憶を抜かれているから分からなくて当然だ。大人になって本当の意味を悟らせないためにしたんだろう」


どうしてそんなことを? リリアーナは、寒くもないのに背筋がぞくっとしてがたがた震え出した。無意識のままビクトールの方に身体をもたせ掛けたが、そのことにも気づかないくらいだ。ビクトールは優しく労わるように、彼女の身体に腕を回した。


「だが、俺はその様子を垣間見て、どんな魔法を使ったか分かった。それは魔法をかけた者の死と引き換えに、かけられた者の望みが何でも叶う術だ。娘のために最大の守護魔法を授けたというわけだ」


「私はそんなの望んでいない……! お母様には生きて欲しかった!」


リリアーナの絞り出すような声に呼応するかのように、ビクトールは回した腕に力を込めた。


「ごめん、動揺させることばかり話して……更にアレクサンドラはもう一つ魔法をかけていた。これが王太子にかけた呪いのことだ。王太子が誠実なままだったら作動しないはずだった。でも現実にはそうならなかった」


「婚約破棄をしたからルークが呪いにかかったの?」


ビクトールは暗い表情のまま頷いた。


「リリアーナからすれば、王太子の安否なんて知ったこっちゃないと思う。でも王室としては、アレクサンドラのかけた呪いを解いてもらわなくてはならない。でも君を捕らえたところで、呪いの解き方が分からなければ意味がない。だから代わりに、実家に監禁することにした。本当の意味で自由の身になるには呪いを解く必要がある。それはリリアーナにかけられた魔法を解くという意味でもあるんだ」


「……どうしてお母様はそんな面倒なことをしたのだろう」


リリアーナの声は暗く沈んでいた。今まで信じて来た世界ががらがらと音を立てて崩れ去ったような気持ちだ。あの優しい母が。何を信じていいのか分からない。


「娘の行く末を心配したんだろう。王太子が完全に信じられなかったとか。命と引き換えにするだけあって守護魔法としては最強だ。その分難易度も半端ないからできるのはごく限られた者になる」


それでもリリアーナは納得できるはずがなかった。ぶんぶんと首を横に振って否定しようとする彼女を見て、信じられなくても無理はないとビクトールは思った。


「アレクサンドラの魔法を解いて王太子を解放しないといけない。それを解く鍵はリリアーナの中にあるんだ。その鍵を取って来る方法はあるにはあるが、とてつもなく難しい。アレクサンドラほどの天才でなければ無理だろう。彼女は、自分と同程度の天才にこの謎を解いて欲しいと思っている。彼女の求めるレベルに到達できたか自信がないが、それに近づこうとは頑張ってみた」


「もしかしてビクトールが……?」


「魔法技術省に入り込んだのもそのためだ。アレクサンドラの辿った道を後追いして彼女の思考を読み取ろうとしてきた。今まで呪いを解くための薬を調合していた。そのせいでここまで時間がかかってしまった。でももう一つ問題がある。リリアーナの中にある鍵を取って来る人間がもう一人必要になる」


まさか……リリアーナは先ほどビクトールが発した奇妙な言葉に思い当たった。


「もう一人の人間も薬を飲む必要がある。生きるか死ぬか分からない薬を飲んでくれる人間なんて他にいないだろう?」


「ビクトール……あなたが……?」


リリアーナは信じられないという表情で眉一つ動かさないビクトールを見つめた。


「それに、リリアーナだって自分の心を赤の他人に暴かれたくないだろう? もし俺のこと信用してくれればだけど……」


「信用できる人間なんてあなた以外にいないわよ! でも私のために危険な目にあってほしくもない。そんな事させられない!」


「でも、俺も自分の腕がどこまで通用するか試してみたいんだ。アレクサンドラができたことが自分にもできるか。これは魔法薬師としての野望だ。俺のエゴだ」


ビクトールは、リリアーナの両肩を抱いてまっすぐ彼女を見据えた。


「頼む。俺を信じてくれ。もつれた糸をほどいてリリアーナを自由にしたい。俺も他のどんな魔法使いでも成しえなかった偉業を達成したい。危険な方法だがこれしかないんだ。そのために俺が調合した魔法薬を一緒に飲んでくれ。失敗したら正に『証拠の残らない毒薬』になるな。でもそんなことにはならない。絶対救い出して見せる」


ここまで一気に言うと、ビクトールはリリアーナを自分の中に引き寄せ、両手でぎゅっと抱きしめた。

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