第41話 リリアーナに会いたい

リリアーナが「邯鄲の夢」に身を隠している頃、カイル宅をダスティンが訪問した。ギャレット家とは一応遠縁ということにはなっているが、人嫌い社交嫌いで有名なダスティンが自分から会いに来るなんて珍しいことだったので、カイルとギャレット侯爵は驚きをもって迎えた。


「え? ビクトールの様子がおかしいって?」


カイルは思わず身を乗り出して聞き返した。孤児院での一件があってからビクトールとは会っておらず、まさかそんなことになっているとは思いもしなかった。


「魔法薬は完成しそうなんだが、没頭し過ぎたのか気持ちの切り替えができてないみたいで。最近じっと考え込む時間が増えているんだ。俺は仕事が終わってからじゃないと来れないし、いつも傍には着いてやれない。こんな時悩みを聞いてやれるのはカイルしかいないと思う」


ダスティンにそう言われカイルは戸惑った。自分は他人に利用される人間ではない、利用されるくらいならこちらから利用してやるという心構えで、人と接して来たカイルにとって、ビクトールは何から何まで規格外の人物だった。


経済力も後ろ盾もない身分の低い平民の特待生を高額の報酬で釣って、表に流通しない禁断の魔法薬を作らせるためのただの便利屋。それだけの存在のはずだったのに、気づくといつの間にか自分の方が振り回されていた。しかも困ったことにそれが嫌ではなかったりする。カイルはやれやれと言うようにため息をついた。


「分かりましたよ。明日にでも顔を出してきます」


翌日、カイルは別荘の地下室にあるビクトールの実験室に足を運んだ。ビクトールは、前と同じように何でお前が来たんだと、眉間にしわを寄せながら小言を言った。一見するといつもと変わりないが、よく観察すると少し元気がない。元々悪かった顔色がさらに悪化しているようだ。


「ダスティンさんが心配していたぞ。会いに行ってやれと言われて来たんだ」


「別に心配するようなことは何もないよ。ただ……」


ビクトールとしては珍しく、自信なさげに地面に視線を落としたのをカイルは見逃さなかった。


「ただ……?」


ビクトールは説明する代わりに、黙ってアレクサンドラからの手紙をカイルに渡した。


「これは、リリアーナの母親の署名が入っている手紙じゃないか! どこで見つけた?」


「ダスティンさんに禁書庫に行ってもらった時、本の間に挟まっていたのを発見したんだ。これを読むと全ては彼女の手の平で踊らされているに過ぎないということがよく分かるよ」


カイルは手紙に目を通した。最初はここまでたどり着けたことに対する賛辞の言葉が綴られていた。次には、なぜこの魔法を使うに至ったかの動機が、「この手紙を見つけることができたあなたには、既に説明不要かとは存じますが」から始まる書き出しと共に書いてあった。そして最後に、ある魔法薬のレシピが書かれていた。


「最後にあるレシピは、俺が最初に禁書庫に行った時に見つけたやつの修正版だ。記述が間違っていると言ったの覚えているか? ご丁寧にも正しいものを教えてくれたんだ。親切すぎて涙が出てくるよ」


そう言うビクトールの表情はとても苦々しげだった。


「でもどうやって正しいレシピを発見したんだろう?」


「知るか。一つだけ言えるのは、アレクサンドラ・オズワルドは魔法の天才だったということだ。そして他の方面でも頭がいい。あとは……多分寂しかったんだ」


「寂しかった?」


「自分の境地にたどり着く者がいなくて独りぼっちだった。同じ目線に立って同じ景色を一緒に見てくれる同士が欲しかった。俗な言い方をすれば天才ゆえの孤独というか。だからこの手紙を遺したんだと思う。時を越えて追いついてくれる者を待っていたんだと思う」


「じゃあ、ビクトールはアレクサンドラに認められたということじゃないか。喜ぶべきなんじゃないか?」


カイルはビクトールを励ますように言ったが、ビクトールは黙ってかぶりを振った。


「この魔法薬に取り掛かるようになってから、絶えずアレクサンドラの影を感じる。ここはどう考えて修正したのだろうとか、この結論に至るまでの過程はこうに違いないとか。彼女の思考が手に取るように分かる。まるで彼女が歩いた道の跡を必死で探して追いかけていると言うか。そうしているうちに彼女の心の叫びが聞こえるような気がするんだ。ここは寂しいから早く迎えに来て、って。まるで張り巡らされた蜘蛛の糸に絡め取られそうで怖くなる」


「やれやれ。死せるアレクサンドラ生けるビクトールを走らす、か」


カイルは天を仰ぎながらため息とともに呟いた。


「何だそれ?」


「遥か東洋の国の逸話だよ。それはともかく、ダスティンさんが言ってたのはこのことか。ビクトールがアレクサンドラの亡霊に囚われていると。最近ちょっとハマりすぎなんだよ。うまいもん食ってよく寝ればきっとよくなるよ、知らんけど。何か気晴らしとかないの?」


次元の違う戦いに自分が口を挟める隙間はないと早々に見切りを付けたカイルは、他のことに頭を切り替えるような提案をしてみた。


「気晴らしなんて……ただ、リリアーナに会いたい」


ビクトールは何ら臆することなく、表情も変えずにぽつりと呟いた。却ってカイルの方が面食らったくらいだ。ビクトールがこんなにストレートにリリアーナへの気持ちを口にするほど思いを募らせているとは予想外だった。


「そ、そりゃ会えるもんならすぐに会わせたいけどさ、まだどこにいるか確定してないんだから仕方ないじゃないか」


「ん? 今確定してないって言ったな? 見当ならついているのか?」


ビクトールの鋭い追及にカイルは目を泳がせた。


「見当って言うか……リリアーナの衣類と装飾品が見つかってどの町にいるかは見当がついているんだ。ただ、まだ裏を取ってないのでお前に知らせる段階ではないと思って。もし本当なら仰天するような話だし」


そう言われたら余計に気になるではないか。ビクトールはカイルに掴みかからんばかりに食いついた。


「いいから教えてくれ。俺は大丈夫だから」


しかし、カイルの話を聞いてビクトールは仰天してひっくり返る羽目になった。


「何だって? キャバレーの舞台に立っているって?」


**********


「ビック、あと5分だが用意はできてるか?」


ダンの呼びかけに対し、リリアーナはクラバットを結びながらはいと返事をした。それにしてもどうしてこうなったのだろう。私はここで何をやっているのだろうか。彼女は1週間前の出来事を思い出した。


「ビック、そうじゃない! ライラと息を合わせて!」


リリアーナの舞台のためにディーンは簡単な脚本を書いた。海賊に囚われた愛しの姫を救いに行く若い貴公子。対戦相手の海賊はライラが務めることになった。剣技の心得があってリリアーナと合わせられそうなのは彼女しかいなかったからだ。


「右、左、右、右、左。お互いの息が合わないと怪我をしてしまうぞ」


リリアーナが学んだのは実践のための剣術であって、舞台で見せる剣技ではない。本質的には全く質が異なるのだが、そんなことディーンにはお構いなしだった。ライラはどんなことでも飲みこみが早く、すぐに上手に合わせることができるようになった。むしろリリアーナの方が初めての経験に戸惑うばかりである。しかし、猛特訓の末、何とか形にすることができた。


お姫様役はジュディスが率先して手を上げた。元々ジュディスの抜けた穴を埋めるという名目で始めたことなのだが、ビックの相手役なら進んでやりたいと懸命に志願したのだ。これでは本末転倒だが、選ばれて純粋に喜ぶジュディスを見たらまんざらでもない気持ちになった。


練習の休憩時間、中庭のベンチに座って休むリリアーナに、ライラが飲み物を持って来た。


「はい、お疲れ様。喉が渇いたでしょう? レモネードを作って来たわ」


リリアーナは礼を言って快く受け取った。じんわりと汗ばむ体にレモネードの爽快感は効果てきめんだ。


「初めての割によくやってるじゃないの。セリフ回しも上手だし、これならきっと人気がでるわよ」


ライラはお世辞でもなさそうな口調で言った。掃除などの雑用は下手だが、剣技については飲みこみが早いことに感心していた。


「相手役がライラさんだからどうにかなっているんです。僕が拙いところもカバーしてくれて助かってます…………その、僕の正体のこと知っているんですよね?」


リリアーナは、周りに人がいないのを確認してから、声を落として尋ねた。


「ああ、そのこと? ディーンが喋っちゃったのね? ここにいる若い子たちはまだ気づいてないから大丈夫よ、安心して。私もディーンも言いふらすつもりはないから」


からっとした調子で話すライラを見て、どうであれこの人を信じるしかないなとリリアーナは思った。


「ありがとうございます……ついでに聞きたいんですけど、こないだジュディスが殴られたでしょう? ああいうのは多いんですか?」


「全くないといったら嘘になるわね。ジュディスみたいな若い子はみくびられやすいのよ。前にもあったでしょう、あの時は確かあなたが助けてくれたのよね?」


リリアーナは静かに頷いた。


「ライラさんも指名があったら昼間にお客さんと会うことがあるんですか?」


「そりゃそうよ、ここのダンサーはみなやってることよ。私はトップダンサーだから高く付くけれど」


リリアーナは、ここで前から思っていた疑問を聞こうかどうか迷った。しばらく考え込んでいたが、思い切って聞いてみることにした。


「あの……普段ディーンさんと仲がいいじゃありませんか。それで色々悩んだりしないのかなあ……って。あっごめんなさい、余計なことを言って」


つい口を滑らせて慌てるリリアーナだったが、ライラは別に気分を害した様子はなかった。


「いいのよ別に。私たちの関係はそういうのとは違うから。幼馴染の友達よ。お互い承知の上だからいいの」


そういうものなのかしら……とリリアーナは考えた。それにしては、ライラとディーンの距離は近すぎる気がしてしまう。そんな彼女の思考を読んだかのように、ライラが口を開いた。


「正直言うとね、昔は女の子らしい夢を見たこともあったの。小さい頃から仲がよかったから。でも父が借金を抱えてうちは没落、一方ディーンの家は順調に財産を増やして、大人になる頃には差が広がっていた。だからディーンはそれなりの家からお嫁さんを貰うことが期待されてて、こんな一介の踊り子が入る余地はない。でもいいの。こうして同じ仕事場で楽しく仕事できているから」


ここまで言うと、ライラは朗らかに笑った。辛く葛藤する時期はもうとうに過ぎたような、ふっきれた笑みだった。ディーンの方はどう思っているのだろう。彼女に「貴族の論理とは違う」と言った時、一瞬厳しい表情になった背景が分かるような気がした。リリアーナだって、好きな相手と一緒になれるほど自由な身分ではない。ただ、自分によくしてくれた人は幸せでいて欲しい。漠然とそう願った。


「……ビック、聞いてるのか? もう出番だぞ」


しばらく物思いにふけっていたら、再びダンに呼びかけられて、リリアーナはハッと我に返った。慌てて舞台の袖に向かう。この時はまだ知らなかった。客席にビクトールとカイルがいることを。


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