第35話 キャットファイト
建物の外に出てどこかへ逃げようと思った瞬間、フローラに追いつかれ射程圏内に入ってしまったことに気付いた。このまま背を向けていては確実にやられる。フローラは、普段のおしとやかな彼女からは想像できないような高笑いを響かせた。気の触れたような哄笑が鉛色の曇り空に響き渡る。
それを聞いたリリアーナは覚悟を決め、逃げるのをやめてフローラと向き合った。今の自分は建物を背にしていない。攻撃が向かってきても他人を巻き添えにする心配はないだろう。
「あなたこそ、聖女候補の割には癒し魔法より攻撃魔法の方が得意みたいじゃない? どこでそんな魔法覚えたの? 未来の聖女さまのそんな姿をルーク殿下が見たら卒倒するわよ?」
フローラは言葉で答える代わりに、新たな攻撃魔法をぶつけて来た。まともに食らったらかなりのダメージを受けるであろうその魔法をリリアーナはネックレスの魔力を使って跳ね返した。これで2つ目だ。数珠は全部でいくつあっただろう。リリアーナは残りの数珠を計算して、石が全部壊れる前に決着を付けなければならないと頭を巡らせた。
「貴族の落ちこぼれが偉そうなこと言ってんじゃねーよ! なあんにもできないくせに恥ずかしくないの? 今だってみんなに守られるだけのお姫様のくせに、よくのうのうと生きていられるわね!」
またフローラの攻撃魔法が飛んできた。今度は身をかわして何とか避けることができた。できるだけネックレスの魔力は温存しておきたい。
「魔力がない分素早さだけはあるのね。でもどこまで私の魔法をよけきれるかしら? こちらは仮にダメージを食らっても癒しの魔法が使えるのよ。なかったことにできる私とできないあなたとでは、最初から勝負は決まってるの。無駄な抵抗はよしてちょうだい」
「さっきから聞いてれば、悪役のセリフそのままじゃない。言葉遣いも汚いし、王太子妃教育ちゃんとやってるの? 人の婚約者を奪って蹴落として、それでも足りないなんて本当に強欲な女。そろそろ天罰が下る頃よ?」
外の騒ぎを聞きつけて孤児院の子供たちが集まって来た。外に出るのは職員に止められたが、窓にへばりつくようにフローラとリリアーナの戦いを見ている。
「どうしてリリアーナが襲われてるの? あのお姉ちゃんは誰?」
「このままじゃリリアーナがやられちゃう! 誰か助けて!」
「えっ、悪いのはリリアーナの方じゃないの。もう一人はルーク殿下の婚約者のフローラ様よ?」
デボラが驚いて隣の子供に説明したが、言われた方はデボラを睨むように見上げて反論した。
「何言ってんの? どう見ても悪いのはフローラとかいう奴だろ? どうして何も抵抗しないリリアーナを攻撃しているの?」
デボラは信じられなかった。あのお優しいフローラ様が悪者のように扱われるなんて。今までそんな発想をしたこともなかった。確かに言われてみればそう見えなくもない。しかも手引きしたのは自分なのだ。もしかしたらとんでもないことをしてしまったのではないかと、今更になって青ざめた。
「どうしましょう、よりによってレディ・ナタリーがいない時に侵入されるなんて。すぐに知らせなきゃ」
職員は混乱する子供たちをなだめる一方で、リリアーナを助けたくても手出しできる状況ではないことに途方に暮れた。魔法が使えない者がどうこうできる次元でないのは明らかだ。この状況で下手に飛び出したら却って足を引っ張ってしまう。
外では、フローラとリリアーナが激しい魔法の応酬を繰り広げていた。リリアーナは、ビクトールの魔力に頼らなければフローラとまともに対峙できない。それでもフローラの攻撃を魔力で跳ね返すだけで精いっぱいだった。魔力が込められた玉はあとどれくらい残っているのか、そろそろ蹴りを付けなければこちらが負けてしまう。
「でも一つだけ安心したわ。ここまで追いかけてくるとは、殿下を愛しているのは本当のようね。王太子妃の地位が欲しかっただけなんじゃと疑ったことは謝ってあげる」
こんな状況においてもなお、リリアーナは不敵な笑みを浮かべながら憎まれ口を叩いた。一瞬でも相手にしてやったりという感覚を覚えさせるのは、プライドが許さなかった。
「何を言っても通じないでしょうけど、この件私は無関係よ? 好きの反対は無関心って知ってる? あんな男もうどうでもいいからあんたにあげる。お古でよければどうぞ」
「っざけんな! あんたが関係してるのは調べがついてるのよ! なのに誰も手出ししないから私が来たわけ! 呪いをかけた張本人を消せば術は解けるらしいわよ? 生きて捕らえようと思ったけど、この場で葬ってあげましょうか? それでも私は正当防衛ね!」
誰がそんな話を? リリアーナは訳が分からず混乱した。術をかけた本人が死ねば呪いが解ける話は聞いたことがあるが、身に覚えがない罪で殺されるなんてたまらない。しかし、フローラの錯乱した様子を見たら言葉が通じるとは思えなかった。
そうしているうちに、フローラが大きく両手を振りかぶって呪文の構えの姿勢を作るのが見えた。今度こそやられる。リリアーナも無意識にネックレスを握りながら自分の杖にビクトールの魔力を込めて呪文を唱えた。
二つの呪文がぶつかりあってひときわ大きな爆発音が起きる。窓から様子をうかがっていた子供たちは咄嗟に頭を庇って床に這いつくばった。ガラス窓が震えるほどの衝撃が伝わり轟音が耳をつんざく。湧き上がった砂埃がようやく収まる頃見えた人影は——リリアーナの方だった。
リリアーナは杖の構えをしたまま肩でぜえぜえと大きく息をしていた。彼女も全く無傷だったわけではないらしく、あちこちから血が出ている。しかし、フローラの影はどこにも見えない。フローラはどうしたのだろうと、みなが固唾をのんで見守っていると、リリアーナの足元に一匹のカエルが跳びまわっているのをようやく発見した。
「フローラ様、いつかのお返しです。よくお似合いですわよ。ではごきげんよう」
リリアーナはぴょんぴょん飛び回るカエルを冷たく睨みつけながらそう言うと、建物の中に入って自分の部屋に向かい最低限の荷物をまとめた。どこへ行けばいいのか皆目見当がつかないが、不思議と何を準備すればいいのか冷静に考えられた。この姿ではどこへ行っても目立ってしまうから変装が必要だ。
リリアーナは傍らにあったハサミを取って無造作に髪の毛を短く切った。そして孤児院にあった男児用の子供服を拝借して髪色が目立たないように帽子を被った。鏡に写った自分の姿を見てこれで少年に見えるだろうかと確認してから、ここに来た時に着ていた自分の衣服とバレッタを鞄に詰め込んだ。着の身着のままで来たので、金目の物は何もないが少しでも売って足しにしたい。
最後にビクトールが調合した魔法薬を入れて誰に挨拶することもなく裏口から孤児院を出て行った。誰も驚きの余り体が硬直して、リリアーナが出て行ったところを見た者はいなかった。
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