第36話 もぬけの殻

「……なんだこの有様は。竜巻でも起きたのか?」


知らせを受けて駆け付けたカイルは、庭の惨状を目の当たりにして青ざめた。地面はえぐれ、枝や葉が散乱し、植え込みも何者かに荒らされたような跡があちこちにできている。ここで繰り広げられた戦いがいかに激しかったかを物語るには十分すぎる光景だった。


「ごめんなさい、こんなことになってしまって。せめて私がいれば違っていたかもしれないのに」


外出先から急いで飛んで来たレディ・ナタリーは、彼女には珍しく意気消沈した様子を隠せなかった。まさかあれだけ強固に張り巡らせた防御魔法が突破されるなんて。ビクトールやカイルとよく話し合って隙のないように対策したつもりだったのに。


ふと正門の方に目を向けると、ビクトールがちょうど姿を現したところだった。彼もまた、呆然とした表情ですっかり変わり果てた庭を見ていた。


「ビクトール、魔法薬の方は平気か?」


「ああ、ダスティンさんがちょうど休みで来てくれていたからどうにかなった」


ビクトールは、庭に視線を固定したまま上の空で答えた。目の前の現実を受け入れられないといった様子だ。


「二人ともこっち来て。あなたたちが来るまでそのままにしておいたけど、そろそろフローラを戻してやらないと」


レディ・ナタリーが二人に声をかけ、建物の中へと招き入れた。彼らはおぼつかない足取りでカエルになったフローラが保護されている部屋へと向かった。空いた部屋の一つに通された二人は、テーブルの上にいて、じっとこちらを睨んでいるように見えるカエルと対峙した。


ビクトールもカイルも、そのカエルを目の当たりにしても何も言わなかった。気まずい沈黙が流れた後、ビクトールは無造作に杖を取り出し面倒くさそうに呪文を唱えた。その直後、カエルはフローラの姿に戻った。


「ちょっと、急に戻さないでよ! 相手は女の子なのよ!」


「リリアーナが受けた恐怖と恥辱はこんなもんじゃなかった」


レディ・ナタリーが慌てて大きな布をフローラに被せながら叱ったが、ビクトールは顔を背けたまま血走った眼を地面に固定して吐き捨てるように答えた。


「リリアーナ様も忠実なしもべを持ったものね! 随分骨抜きにされたようだけど、どうやってたらしこまれたの?」


人間に戻ったフローラは、大きな布で体を隠しながらも口調は強気のままだった。代わりにカイルが杖を取り出して彼女をけん制した。


「元の姿に戻ったとはいえ、ここは敵陣の中で君は丸腰だ。少しは自分の立場をわきまえろ」


「はっ、あんたもいつもと随分様子が違うじゃない、今までのは全てお芝居だったわけ? 化けるのがお上手ね、カイル?」


「俺は元々あんたたちを監視するために取り巻きになっていただけだ。今となっちゃ隠す意味もないが」


「リリアーナ様もなかなかやるわね。自分が無能だからって二人の男を操って、ルークに毒を盛ったり、それが失敗したら呪いをかけるなんて」


「毒じゃなくて術表しの薬だよ。犯人は俺だ。リリアーナは関係ない」


カイルの言葉にフローラは目を丸くした。


「はあっ? なんであんたが?」


「便宜上あそこにいた全員に飲ませたが、俺の目的は別の人間だ。家の命令でね。もちろん誰かは教えられないが」


「……ルークが目覚めたらあんたら一家全員ぶっ潰してやる」


フローラはこれ以上ないくらいに顔を歪ませて言ったが、カイルは涼しい顔で「どうぞご自由に」と答えただけだった。


「あと、ルーク殿下の呪いとリリアーナは関係ないわよ。全てあなたの勘違い。その結果とんでもないことになってしまったけど」


今度はレディ・ナタリーが口を挟んだが、フローラは年長者だろうがお構いないらしく不遜な態度を崩さなかった。


「あいつ以外にいないじゃない! 誰よりもルークを恨んでたのよ! 一人じゃ何にもできないけど、ここにいる男どもを使えば可能だわ! それに他の魔法使いもあいつが関係してるって言ってたもの」


「……癒しの力だか何だか知らんが、お前本当にバカだな」


それまで黙って話を聞いていたビクトールが、嫌悪感を露わにしたまま口を開いた。フローラも吐きそうな顔でビクトールに目を向ける。


「まあでも、俺たち似た者同士かも。結局生粋の貴族には敵わないんだよ」


「はあ? あんたと私が? 冗談はよしてよ!?」


「どんなに強い魔力を持っていようが、倫理の底が抜けているから平気で恐ろしいことをやってのける。これが生まれながらの貴族だと、周りの人間が諫めてブレーキをかけてくれる。元々恵まれているから無茶もしない。ところが、俺たちのような平民は、周囲に認められたくて浅ましくもガツガツする。だから非合法の魔法薬で儲けたり、他人を蹴落とすことも平気でやるようになるんだ」


ビクトールは魂が抜けたような状態で、半ば自分に言い聞かせるように力なく呟いた。


「同じ平民でも私は何不自由なく育ったわ。スラム街のドブネズミと一緒にしないでくださる?」


「いいかげんにしろ。とにかく君はこれで無罪放免というわけにはいかない。無断でリリアーナを襲い、孤児院にも甚大な被害を与えた。身柄はうちで預からせてもらう。しばらくギャレット家の監視下に置かれることになるからそのつもりで。先ほど国王陛下からも許可をいただいた」


「はああ? あんたの家は取り潰すって言ったでしょ? 陛下からも確認したとか何言ってんの?」


なおもフローラはわめき散らしたが、カイルは配下の者たちにフローラを任せ、ビクトールと一緒に部屋を出た。


「リリアーナの部屋も見てちょうだい。誰も彼女が出て行ったのを見てないんだけど、荷物がなくなってるのよ」


レディ・ナタリーに次に案内されたのは、リリアーナの部屋だった。キャビネットの上に立てかけられた鏡の周りの床に金色の髪の毛が乱雑に散らばっている。


「この長さだとかなり短く切ったようだな。男の子に変装して逃げるつもりだったのかな?」


「うちにある男子用の服がいくつかなくなってるの。その通りだと思うわ」


「ここに来た時着ていた服もなくなっている。どこかで売って金に換えるつもりかもしれない」


「じゃあ、その品を探せばある程度足取りはつかめるかも?」


3人がそんな話をしていると、部屋に入って来る大きな人影を認めた。リリアーナの父、オズワルド公爵だった。


「一体これはどういう事だ? あんな偉そうな口を叩いたくせに?」


オズワルド公爵の場を支配するような威圧的な物言いに、ビクトールは沈痛な面持ちのままじっとうつむくしかなかった。


「娘を守ると言ったから追手もかけなかったし、告発もしなかった。それがなんだ、このザマは? 娘はどこへ行った?」


うつむいたまま何も答えることができないビクトールに対し、公爵は大きな張り手を食らわせた。


「ちょっと! 何するんですか! いくら公爵といえども見過ごせません!」


体が吹っ飛んで床に強く倒れこんだビクトールを抱き起しながら、レディ・ナタリーは抗議の声を上げた。


「公爵、やめてください! これはビクトールの責任ではありません!」


カイルも公爵に食って掛かった。しかし、ビクトールは力なく「いいんだ、公爵の言う通りだ」と呟くだけだった。


とは言えカイルには分かっていた。事を起こした張本人のフローラではなく、ビクトールだけに怒りの矛先が向いた理由は彼の身分が低いからだ。立場の弱い者だけに攻撃を向ける理不尽さに腹が立って仕方なかった。


「もう君たちには関わらないでいただきたい。あとはこちらで探す」


そう言い残してオズワルド公爵が部屋を出て行った後で、カイルはひざまずいてビクトールの状態を確認した。


「ありがとう、大丈夫だよ。今回のことは俺が招いた結果だ」


「何言ってんだよ、お前はかなり警戒して対策も何重にしていたじゃないか、それが何でこんなことに」


そんな話をしていると、子供の一人が泣きじゃくるデボラを連れて彼らの元にやって来た。


「レディ・ナタリー! デボラだよ!デボラがあの女を入れたんだよ!」


「私知らなかったのよ! だってフローラ様が悪い人の訳がないもの! きっと何か事情があるに決まってるわ!」


それを聞いたレディ・ナタリーはさーっと顔が青ざめた。まさか自分のところの子供が原因だったなんて。


「デボラ、本当なの? あなたがフローラを入れたの?」


「だってリリアーナに話があるって言ったんだもの。まさかこんなことになるなんて知らなかった、本当よ!」


孤児院に住む者や出入りする者以外は入れないように、敷地全体に防御の魔法をかけたはずだ。フローラがこの中に入れたのは、デボラと急激に親密になって部外者ではないと認識させたからと考えられる。この中にフローラの信望者がいると分かった時点で何らかの対策をしておくべきだった。ビクトールは悔やんでも悔やみきれなかった。


レディ・ナタリーは半狂乱に泣きじゃくるデボラをなだめるために部屋を出て行った。後にはカイルとビクトールだけが残された。


「これからどうする? 公爵はああ言ってたけど、何もしないわけにはいかないだろう?」


「やれるところから始めよう。服を換金する必要があるからある程度大きな町を目指すと思う。一日でどれくらい進めるだろう?」


「リリアーナの捜索は俺がやる。お前は魔法薬作りに戻れ」


カイルの提案にビクトールは驚いて目を見開いた。


「何言ってるんだ? 今は魔法薬どころじゃないだろう?」


「でもお前だって時間がないだろう? 人探しなら俺にもできるが魔法薬作りは代わってやれない。お前にしかできないことを今はやれ」


「こんな気持ちで集中できるわけがない」


「でもやらなきゃ駄目だ。ダスティンさんが言ってたよ。お前、かなりヤバい案件に首突っ込んでるんだってな。俺たちにも教えてくれなかっただろう」


ビクトールは黙り込んだ。カイル親子には伝えてないことがあったのは事実だ。


「失敗したら確実に死ぬ。成功したところでどこまでうまくいくか分からない。そんな低い確率の薬を成功させられるのはお前だけだ。本音を言えば、危険な道を選ぶのはやめて欲しい。ダスティンさんも同じ考えだと思う。それでも協力するのはお前の意思を尊重しているからだよ。今はそれだけに集中しろ。他のことは俺に任せておけ。ギャレット家なら人探しは専門分野だ」


ビクトールはまっすぐカイルを見た。今までにも散々世話になったのに、それでも隠し事をしていたことをカイルは責めなかった。将来ギャレット家で働くことが決まっていても、ここまで義理を果たす必要はないはずなのに。ビクトールは感謝と申し訳なさで一杯になった。


「ありがとう、俺みたいな奴のために。ここまでしてくれる価値もないのに。本当に図々しいんだが、もう一つお願いを聞いてくれないか? と言っても今言っても意味ないと思うけど」


ビクトールは一息ついてから、言いにくいことを言う時の癖で少し目を泳がせながら口を開いた。


「前にリリアーナに結婚を申し込んだって言ってたよな? もし今でも気持ちが変わってなかったらもう一度——」


「おい、待てよ。そんなの自分がやればいいだろう? なんで俺に言うんだ?」


「いや、身分の差とかあるし……それに……」


「やなこった。どうせまた断られるだけだ。元々そんな提案をしたのは、お前を愛人にしとけば二人とも離れずに済むし、ギャレット家に紐づけることもできて一石二鳥と思ったからだよ」


「あ、愛人? 俺が? リリアーナの?」


ビクトールは余りにも突拍子もない話に、絶望的な状況にもかかわらず顔を赤くして目を白黒させた。


「でも彼女そんな性格じゃないだろ。お前も正々堂々と当たって砕けろよ」


カイルはふっとビクトールに微笑みかけ、肩をぽんと叩いた。とにかく嘆いてばかりでは何も始まらない。リリアーナを見つけ魔法薬を完成させる、このことに集中するしかなかった。

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