第16話 異世界の理(ことわり)


 ルールーとダンカンが通過した広大な公園の跡地は、かつて【ショーワ記念公園】と呼ばれ、国内でも有数の広さを誇る緑豊かな国営の施設だった。しかし、今は雑草と木が生い茂り人の姿は無い。そんな原初の姿を取り戻しつつある公園の中を、何かが移動していく。


 草を掻き分け、捻れた木々の幹を避けながら進むそれは、元は人口池のほとりで羽を休める水鳥の群れへと音も無く近付き、捕らえようと狙っているようだ。


 と、水鳥が気配を察したのか周囲を見回し始め、首を巡らしながらクワクワと鳴き立てる。そうして岸辺から水の中に入り、外敵から少しでも身を守ろうと野生の勘を働かせて安堵したかに見えたのだが、


 トンッ、と地を蹴って飛び出した影が宙を舞い、岸辺から水面に巨体を跳ねさせながら飛び込み、水飛沫を上げながら水鳥を顎で捉え、そして前肢でもう一羽抑え付けるようにして捕まえた。


 パキポキ、と咥えた水鳥を骨ごと噛み砕きながら食らい、水の中に沈めて激しく抵抗していたもう一羽を抑えたまま動きを止める。


 口元から水鳥の血を垂らし、羽根を飛び散らしながら一羽目を飲み込むと、頭を下げて水中に押し付けていた水鳥の首へと噛み付き、身を翻して岸辺えと戻っていく。


 その獣は、茶色の毛皮に包まれた身体と、たてがみを蓄えた猛々しい顔がライオンに似ているが背中にはコウモリそっくりの皮膜の張った翼が生え、長く伸びた尻尾の先にはサソリの毒針が備わっていた。それは異世界の獣、通称マンティコアと呼ばれる魔獣だった。


 そのマンティコアは悠々と水鳥を咥えながら茂みに戻り、辺りを気にする事も無く獲物を食らい始める。しかし小さな水鳥の身体では巨体を維持するには程遠く、再び獲物を求めて徘徊するのは確実だろう。



 …と、その時。マンティコアの耳が何かが近付く音を聞き付け、音のする方へと顔を向けた。そして、それがマンティコアの見た最後の光景だった。


 バボッ、という音と共に、突然マンティコアの頭部がひしゃげ、じょうごを押し付けたように内側へと窪んでから破裂したのだ。そしてバシャッ、と脳漿と肉片、そして頭蓋骨の破片を撒き散らしながら、首から下は生前の姿をしばらく保ち雄々しく立っていたが、やがて四肢から力が抜けると脱け殻と化した身体は弛緩し、腹這いの姿勢から二度と立ち上がる事は無かった。



 「おーっ、デカいなぁ…クソ袋にしちゃあ立派なもんだが、遠距離射撃の的なら何でも一緒だな!」


 そう言いながらルールーはマンティコアの死体に近付くと、しゃがみ込んで装具入れからマーカーを取り出し、スイッチを入れてから死体に刺した。ピッ、と電子音を出して作動を知らせるマーカーを眺めてから、ルールーは立ち上がると担いでいた電磁ライフルを背負い、鼻歌を歌いながら公園の外へと歩き出した。





 「…付近一帯の、魔獣を狩れだって?」


 ヨモギの提案にルールーは眉間にシワを寄せ、あからさまな不満顔になる。彼女にしてみれば、今まで進んで行ってきた仕事である。わざわざ部外者のヨモギから頼まれてやる必要は無い上に、メリットも無い。


 「いえ、帰還を早める為には必要な事なんですよ。まず、どうしてオールド・トーキョーは東西南北が狂って抜け出せなくなるのか、お話しましょう」


 出来の悪い生徒に向かって丁重に説明する調子でヨモギが話し出すと、ルールーは再び機嫌を損ねて口を閉ざす。しかし、自分が戻る為に必要ならば、今は黙って聞くしかないと判っているからか、反発する事は無かった。


 「…オールド・トーキョーは、全く異なる世界と現世が交差して不安定な状況になっています。その為、半径三十キロ内の面積に、異世界の広大な空間がすっぽり収まっている訳ですが…答えは簡単なんです」


 そう言ってからヨモギはポケットからハンカチを取り出すと、真ん中に掌大のボールを載せて四隅を縛って包み込んだ。


 「…ほら、これで判るでしょう?」

 「…何だよ、つまりトーキョーを異世界がすっぽり包み込んでるって事か?」


 思わずダンカンが身を乗り出して口を挟むと、ヨモギはその通り、と言いながらハンカチを解いてボールを取り出した。


 「どうして、とかどのように、等の理屈は判りません。けれど、オールド・トーキョーは現在も異世界に包み込まれ、時々接している面同士を干渉させながら存続しています。だから、外から一時間掛けて進んで来た道程が、帰りは十時間掛かる事もありますし、逆に一日掛けて進んできた後、戻りは二時間で戻れる事も…」

 「…じゃあ、今からぶっ飛ばして走りゃ帰れるんじゃねーのか?」


 堪え切れなくなったルールーがヨモギを遮ると、彼は頭を振りながら付け加えた。


 「問題は…先程のハンカチと同じなんですよ。結び目が解けない限り、外に出る事は出来ないんです」


 その言葉を聞いたルールーは、再び食って掛かろうと口を開きかけたが、ヨモギは落ち着かせようとするように手の平を突き出してから、静かな口調で説明した。


 「お気持ちは判ります、でも…ただ闇雲に進んでも出られませんし、その結び目を解く事は出来ません。但し、私が立てた一つの推論が正しければ…お二方はここから解放されて、元の場所に戻れるかもしれません」


 


 「…異世界と、こちらの世界。その結束を緩める為には…強い魔力を持った生き物を狩り、二つの世界の均衡を傾かせるしか無いのです」


 …ヨモギの発言にルールーとダンカンは大いなる疑問を感じながら、しかし一つの反論も出せぬまま、彼の提案に身を委ねる事にした。


 但し、彼等の様々な憶測を通り越し、事態は更に混迷を深めていく。それも過酷な方向へと…。




 



 





 

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