第13話

「研究とは何だと思いますか」

「その質問の意図とは」

「マザーペックさんの意見を聞きたいのです」

「それだけのことですか」

「あぁ、すみません。それだけです」

「勝手に謝らないでください。気分が悪い」

「すみません」

「モラトリアムだと考えます」

「それはどのような意味でしょうか」

「解説が必要ですか」

「すみません。深く理解したいのです」

「研究とは見渡す作業です。非常に事務的であり、創造と言う方もいますが本質ではありません。あくまで発見なのです。ないものをあることにするのではなく、あるものをあると言う作業です。それは何かのプライドや、生き方、生き様によってなされるものであってはなりません。情緒であってはならないのです」

「少々、横暴ですがそれは理系的な研究という枠組みがあってこその意見なのではありませんか」

「ここはあなたの住む世界ですか」

「えぇ、その、どういう意味でしょうか」

「ここはクローズドシアターです。あなたが住んでいる世界は観客席です。そして幕が開いている時だけ同じ空間であり、幕が下りたら別の空間なのです。そもそも、継続した空間になっているということが思い違いなのです。幕がないだけで、区切られているのです」

「失礼しました。思い上がりでした」

「その上で語らせていただければ、研究者は時としてよく転ぶものです。それは非常に俗物的で些末なものです。けれど、その俗物的な世界に足を乗せていることが研究を継続させ、かつ研究という行為から生まれる研究者の定義を作り出しているのです。これが矛盾です。高尚という場所に両足を乗せて俗物に肩を入れることはできませんが、その逆は可能なのです。そして、それは研究者ではなく人間ということであり、命を抱えているということの証明なのです。研究とは、意識の部分で、または精神の部分と言ってもいいかもしれませんが、そこから逸脱を可能とする行為なのです」

「物理的と言いますか」

「現実、と言いたいのでしょう」

「はい、そうです」

「それとはまた別の視点です」

「えぇ、有難う御座います。少し分かりました」

「研究とは必ず足元にある小石を気付かせなくするものです。それによって研究者が転ぶと研究者以外は、研究者のことを笑いものにします。多くを学んでおきながら、目の前の異物を発見し、観察し、回避することができないのかと。研究者とは笑われるのが宿命です。しかし研究者は、その笑った者たちがまだ認知できていない、地球に向かっている巨大な隕石については、とうの昔から気付いているのです。そして、ずっと考えているのです」

「目の前の小石に気付かずつまずくことはあっても、遠くに見える隕石にはいち早く気付いてその回避方法を探っているということですか」

「反復とは浅はかです」

「大変失礼しました」

「つまり、触れ合っていないことが幸福なのです」

「受け入れられるということですか」

「はい」

「何故ですか」

「俗物ではないからです。高尚だからです。知るということで満足できるのです」

「いや、その。死にますよね」

「避けられますか」

「重ね重ねすみません」

「しかし、本当にそのような研究者もいるでしょう。それが先ほどの話にも繋がるのです。俗物であることから逃れることはできませんが、意識、思考、哲学、理想、そういったものだけは高尚という位置に両足を降ろすことができる。だから、現実を蔑ろにできる。自分を捨てられると言ってもいいかもしれません。乱暴な言い方をすれば、知ったことではないということです。現実や、場所、命等の価値を自由にコントロールできるということです」

「実際にその事象が目の前まで来たら焦りませんか」

「焦る者もいるでしょう」

「だとしたら、損じゃないですか」

「それは、俗物という理想から逃げてはならない、ということですか」

「そうですね。そう、言ってもいいかもしれません」

「理想を現実に置くのか否か、それが適切かどうかということを質問しているのですか」

「えぇ、そうですね。はい、そうです」

「それは人それぞれでしょう」

「そうですね。すみません」

「研究という行為を突き詰めていけば、いつか辿り着く場所ではあるとは言い切っておきましょう。自分の人生を使って表現する限りは、高尚や本質的な理解から逃れることはできません。そして、それを行う限りは俗物というものから両足が離れる感覚を味わうことができます。これは一つの麻薬的効果を持っていると言っていいでしょう。病みつきということですね。体がない状態。命がない状態というのも正確かもしれません。意識だけが漂っていて、情報だけが注ぎ込まれる感覚です」

「私には、まだ分かりません。その境地には辿り着いていないように思います」

「すみません。訂正をしても」

「はい、構いません」

「意識もないということです」

「なるほど」

 私は研究というもの自体を深く考えたことはない。研究というものを道具として扱ったことはあっても、対象としては見ていないのだ。

 マザーペックの沈黙は、何かを考えているというよりかは、こちらに考えるように時間を与えているようだった。

「他に質問はありますか」

「えぇと、そうですね。戦争はなくなりますか」

「戦争がなくなることが理想ですが、戦争が起きているのは健全です」

「不老不死は実現可能ですか」

「不老不死の定義を変えることで可能になります。不老不死を実現するのは医療技術の進歩ではなく、人間の倫理の変化です」

「性に関わる問題は解決しますか」

「しません」

「子どもと大人の違いについて教えてください」

「失敗した時、子どもは泣きますが立ち上がります。大人は笑って誤魔化して立ち上がりません」

「人間が生きていく上で最も必要なものはなんですか」

「娯楽です」

「死とはなんですか」

「義務であり権利です」

「生とはなんですか」

「義務です」

「過去と現在と未来の境界を教えてください」

「何かを成そうと思った時、これが過去です。何かを成そうと行動している時、これが現在です。そして何かを成し遂げた時、これが未来です」

「どうすれば悩まずに生きていけますか」

「まずはその質問をすることから、やめてみては如何ですか」

 マザーペックの呼吸音は一切聞こえない。言葉のみである。それがまた、会話ではなくスピーチを聞かされているような感覚を加速させる。

 私を話し相手として認識してくれているのか不安になってくる。

「今、あなたに話しかけていますが、耳からその情報が入ってきているわけではありませんね」

「はい、何かの振動によって、言葉が聞こえてきます」

「テレパシーと言ってもいいかもしれません」

「そうですね」

「ですが、情報の伝達手段が増えたからといって意思を正確に伝えられるかは別の問題です」

「はい」

「私はあなたのために言葉を選んで会話をしようとは思っていません。その瞬間に浮かんだ言葉で説明をしました。ですが、あなたはある程度は理解しました。それは私が手段を選んだからではなく、ましてや、あなたを気遣ったわけでも、あなたと同じ言語を使っているからでもありません」

「なんとなく気づいていたから、ということですか」

「その通りです。会話が通じるとは、言葉の意味やその裏の真意が伝わるということではありません。話を聞く前から受信者もその内容について考えていて、同じ結論が出ていたということです。時間の経過によって結論が一致することではなく、既にお互いの結論が一致していたことを指すのです」

「それは会話ではないと思います」

「えぇ、そうです。人間は今まで会話なんてしたことがないのです」

 ディスプレイの中の赤いハートが消えた。

 もう、マザーペックは話しかけてくれなかった。

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