第11話

「それでは最上階に到着するまでしばらくお待ちください」

 エレベーターの扉が閉まり、主任の姿が見えなくなる。

 最初だけ、上から軽く押しつぶされるような不快な感覚があった。しかし、直ぐに楽になる。

 エレベーターの中はすべてが黒く、四隅にいたっては光も吸収しているかのようであり、距離感を掴むことができない。階数表示はない。外も見えない。

 どこかに向かっているのか。主任は最上階と言っていたが、それさえ疑わしい。

「さっきの電話の相手は誰だ」

「さあ」

 先輩はわざとらしくため息をついた。

「マザーペックの噂は幾つもある」

「はい」

「そのほとんどが、尾鰭のついたものであり信用するに値しないと言われている」

「はい」

「ただ、その噂の核となる部分は本当だ」

「どういう意味ですか」

「俺はマザーペックに会ったことがある」

「あぁ、なんとなく、そうだろうとは思っていました」

「正確にはマザーペックの姿は見ていない。大学生の頃に、ある教授にマザーペックと話してみるか、と言われて日稲城街にある国立薬効研究センターに行った。部屋が二つあって、磨りガラスで区切られていた。私はそのうちの一つに入り、磨りガラスの向こう側に影を見た」

「それが」

「マザーペックだった。渡された携帯電話を通して会話をした」

「本物であるという確証はあるのですか」

「ない。騙された可能性もある。顔も見えないし、分かったのは声と発言内容だけだ」

「どうでしたか」

「声は幼かったように思う。男なのか女なのかも分からない」

「発言の湿度は」

「乾いていた。清潔な言葉だった」

「そう思いたかったというだけでは」

「可能性はある」

「マザーペックと何を話したのですか」

「印象深かったことは幾つかある」

「はい」

「マザーペックは、幽霊や妖精、宇宙人、雪男、呪いのようなオカルトめいた話ばかりしていた」

「オカルトを科学的に解剖するというような」

「違う。本当にただオカルトをオカルトとして話していた。別に、何かに繋がるような話でもない。人知を超えた何かがあり、それは信じるしかないという内容だった」

「オカルトについて研究をしているのでしょうか」

「かもしれない」

 マザーペックは元々連続殺人鬼で、子どもの足を切り取って食べていたが、その明晰な頭脳を買われて研究者になったという噂を聞いたことがある。

 マザーペックは寝たきりの老人で、その横には美人なナースがおり、マザーペックの瞬きの回数で代わりに文字を打って論文を作ったり、研究をしているという噂を聞いたこともある。

 私は私の生みの親から、お前は小さい頃にマザーペック先生に抱いてもらったことがあるから頭がよくなったのかもしれないな、と言われたこともある。

「マザーペックの父親と母親について知っているか」

「いえ、知りません」

「教えてやってもいい」

「条件は何ですか」

「一人でマザーペックと話してこい」

「え」

「俺はエレベーターで待つことにする。主任が言っていたように、犬に好かれたのはお前だけだ。マザーペックもお前が話しに来ると思っているはずだ」

「でも」

「俺が行ったら邪魔になる」

「そうでしょうか」

「行け」

「分かりました」

「マザーペックの父親と母親は、マザーペックが誕生する二年前に亡くなっている。もしかしたら、その点が突破口になるかもしれない。一応、伝えておく」

「それは、出生に関して質問してほしいということですか」

「あぁ。そうだ」

「取引をしましょう。私はその質問をします、その代わり、先輩の全財産の半分をください」

「俺は、自分はついて行かないと譲歩した」

「譲歩したのではなく、邪魔者であると自覚しただけです。才能がないのにプライドの高い凡人に生まれたご自身の人生を呪ってください」

 エレベーターの稼働音のみが聞こえる。

「分かった」

「では、その質問をしましょう。その上で、マザーペックからの回答を聞きたい場合は、残りの半分もください」

 先輩がエレベーターの壁を思い切り叩いた。

 しかし、エレベーターは揺れない。

 私も動かない。

「俺はお前の先輩になれるよう、頑張っていたつもりだ」

「はい。上手くやれていると思っているんだろうなあ、と」

「そう思っていたのか」

「はい」

「俺だけか」

 エレベーターが開く。

 先輩は動かなかった。

 私はマザーペックと話したかったので、直ぐにエレベーターを降りた。

 扉が閉まる。

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