第8話

 東西日向町には鉄塔がある。

 元々この鉄塔は、日本光化学思想に所属する芸術家たちを支援するプロジェクトとして作られたものであった。本来であれば、そこには数多くの作品が展示される予定だった。

 今は、中に入ることはできないものの、外の階段やエレベーターを使って屋上に行くことはできる。ただ、老朽化が進んでいるため常に金属同士がきしむ音が響いている。地域住民はいつ倒壊するのかと怯えながら暮らしているそうだ。

 簡素でむき出しのエレベーターを稼働させて、私と先輩は上昇していく。

「ここが目的地なのか」

「正確には屋上です」

 東西日向町と日差町と黍町を一望できる。しかし、ほぼ山であるし、少し遠くを見れば海なので色としては緑と青ばかりである。退屈な景色である。

 エレベーターが止まり、金網の扉が開く。

 地上七十メートル。

 青い空と白い雲、そして鼠色で亀裂の入ったアスファルト。

 ここにも何か作品を飾る予定だったのだろうか。

 元々日本光化学思想は、この東西日向町で隆盛を誇った主の神という宗教団体の後身である。主の神とは、北海道出身のハザマヨシテルが社長をしていた経営コンサルタント会社の名称である。

 ハザマヨシテルは、デザイナーとして大成してから、国政に進出するも失敗。その後、日本という国に不満を持って自称亡命を繰り返し行い、亡命した国々から強制退去を命じられ同じく帰国を繰り返す。実家のある北海道では近隣住民から白い目で見られ生活ができず、この東西日向町に引っ越した。その際に、興した会社が主の神であった。主な業務は経営コンサルタントとしているが実績はなく、怪しまれないように人を集める手段として利用していたと考えられる。事実、活動内容はハザマヨシテルが自身の体に傷をつけるなどといったパフォーマンスや、包丁を持ってのデモ行進などであった。だが、その過激な活動は信者を生み出すこととなり、徐々に賛同する者たちを東西日向町に集めることに成功した。人数は三百人程度であったが何故か裕福な家庭の出身者が多く、潤沢な資金から、本部の建設、広告などにお金をかけ始め、名前を主の神から日本光化学思想へ変更した。独自の化学的見地、数学的見地、また生物学的見地に基づいた、不幸や幸福の質量からなるHolicarule spinqudom theory通称ホリクダム理論を提唱。この理論の証明のためと称して資金を集める際に、何人かの政治家の汚職の証拠をつかみ脅迫したことで、警察に追われることとなる。しかし、勢いが弱まることはなかった。こうして、より巨大化、いや肥大化していった。

 この鉄塔の完成は日本光化学思想の芸術部門の最終的な目標とされていたようだ。

「右奥のベンチに誰か座っているが、あの男か」

「はい。本日、お話を聞かせていただく予定の神です」

 神は、ハザマヨシテルという名を捨てたと言った。故に神と呼ばなければ質問には答えないと言った。

 神は私と先輩の姿を確認するとベンチの上に立ち、つま先立ちをして細い目でこちらを見つめた。

「我は神である。ここに呼びだして何の用か」

「ここで、飛び降り自殺をしていただけませんか」

 私は軽く頭を下げた。

「我は神だぞ」

「いいえ、神のなり損ねです。日本光化学思想はこのあたりでは一応古株の組織です。しかし、ある日、クローズドシアターがやって来てしまった」

「あやつらは、研究と言っていたがマザーペックを神とした宗教である」

「えぇ。その面があることは間違いないでしょう。私もそう思います。しかし、組織としての内実が何であれ、日本光化学思想はマザーペックをトップとしたクローズドシアターを明らかに敵視しました」

「いかにも」

「神として、クローズドシアターを恐れたわけですね」

「そのようなことは断じてないっ」

「クローズドシアターの手によって日本光化学思想は壊滅状態にありますが、神であるあなたはここにいて、そして信者たちは少数ですが活動を続けています」

「素晴らしいことである」

「信者たちはクローズドシアターを破壊しようと考えています。いや、マザーペックを殺そうとしていると言ってもいいでしょう」

「日本光化学思想をこのような状況にまで追い込んだのは、間違いなくクローズドシアターである。信者たちが怒り狂っているのも無理はない。これは天罰である」

「ですが、それも上手くいっていません」

「途中なだけである」

「いいえ、失敗です」

「失敗などしていないっ」

「神を名乗っておきながら現実を見ないのは、超キモいです。夢見過ぎで、キモいキモい」

「そういうことではないっ」

「いい大人が何をしているんですか。まだ、神とか名乗っているんですか。早く卒業してください。見ていてウザいです。マジでウザい」

「神だぞっ。我は神だぞっ」

「はいはい、うるさいよ。はいはい、うるさいうるさい。とにかく、クローズドシアターは、日本光化学思想について何の興味も持っていません。日本光化学思想のただの片思いです。勝負になっていません。はい、諦めて死んでください」

「勝負という言葉で表現するなっ、聖戦であるっ」

「神のくせにうるさい。あと口が臭い。いいですか、クローズドシアターは、日本光化学思想が残り続けている限りは、攻撃してくる可能性が微小でも残っていることを面倒だとは思っています」

「やはり、日本光化学思想は強い影響力を持っているのだっ」

 面倒な神である。

 私は、クローズドシアターの中に入りたい。そのためには、手土産があった方がいい。

 日本光化学思想のトップであるハザマヨシテル、いや、神の飛び降り自殺の動画が欲しいのだ。

「神、早く飛び降り自殺をしてください。この高さなら絶対に助かりません、お願いします」

「神は死なないっ」

「本当に死なないなら飛び降りて証明してください。先輩、この神を突き飛ばしてください」

 先輩が首を振って携帯電話を取り出し、録画を始める。

「俺はカメラ係だ。知らん」

 私は先輩のこういう所が嫌いだ。車を出してくれて撮影もしてくれているのなら、ついでに突き飛ばすくらいサービスだろう。

 先輩は才能と実力では私よりも低い位置にいるのだから、こういう時は私の手を汚させてはいけないと使命感を持って動いてもらいたいところだ。きっと、親の教育がなっていないのだろう。話題の毒親育ちに決まっている。私よりも早く生まれてきた程度のことで、私は敬語を使ってあげているのだから、感謝をしながら動くべきだ。

 神は、目を泳がせていた。

 つい鼻で笑ってしまった。

 神は、自信を失っているのだ。

 神のくせに。

 だから飛び降りをしない。

 有耶無耶にしようとしているのだろう。

 そもそも日本光化学思想の運営に失敗したのだから、一緒に神もこの世から消え去るべきだ。無意味に存在しているくらいなら、さっさと生と死の壁を超越するのだと叫びながら、伝説になればいい。

 そう、私は目の前の神を本当の神にするために一緒に悩んでいるだけなのだ。

 これは自殺を唆しているのではない。神への尊敬の念なのだ。

 思考のベクトルが定まってくると視界が非常に晴れてくる。清々しいことこの上ない。昨晩、貴重なマスママゼフェックを食べたが、ここまでの気持ちにはなれなかった。

 私は神に近づくと、神の頬を一秒間に二回のペースで叩く。肉と肉が揺れて密着する時に発生する音がリズミカルに屋上を響き渡る。

 神が逃げる。

 私は先回りするように動いて、神の鳩尾に拳を入れる。

 神が白い液体と細かく千切れたインスタントラーメンの麺を吐き出しながら後ろへと下がり、屋上の手すりへとつかまる。自分でお腹のあたりをさすりながら、今度は緑色の粒が混じった赤い液体を吐き出した。

「地面を汚さない方が良いと思います」

 私は踵で思い切り神の足を踏みつける。神の足の骨がきしみ、肉が僅かに形を変える音が聞こえてくる。

「我はぁっ、神であるっ」

「思いますっ、思います思いますっ、すっごくとっても思いますっ。だからぁっ、ここで死んだら完璧ですっ。いけますよ、あなた神なんでしょっ」

「かっ、神だっ」

「じゃあ、飛び降りても死にませんって、大丈夫ですって、私っ、信じてますからっ」

「ああっ、神だっ。私はっ」

「そうですっ、あなたは神っ、人間を超悦してるっ、神っ」

 私は神の後頭部を捕まえて、体をくの字に折らせると顔面に勢いよく膝を入れる。神が後ろにのけぞってしまうと衝撃が分散されてしまうので、しっかりと抑えていた。

 そのおかげで、神の中にあった心が完全に砕けたのが見て取れた。

 体の反応でなんとなく分かるものである。

 神ごっこじゃなくて、本当に神にならないとこれが終わらないことを理解してくれたようである。

 安心した。

「我は、か、神。神だ」

 知ってる知ってる。だから早くして。

 このあたりのホテルでやってる朝食バイキングの時間がもう終わっちゃうから。

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