第5話 美しくも猛々しい

 茶色い毛並けなみの耳と、フサフサとした尻尾しっぽ

 そんな、明らかに普通の人間とは違う特徴とくちょうを持った女の子が、今俺の目の前にいる。

 しゃべる猫に始まって、魔物にエルフにガルーダ。ついに獣人じゅうじんまで現れた。

 これはもう、あれだよな。

 俺、別の世界に飛ばされたってことだよな?

 正しくは、俺の住んでた地域ちいきごと全部、異世界に転移てんいしたってとこか?

 そう考えれば、ネットとかテレビを使えないのもうなずけるし。


 って、今はそんなこと考えてる場合じゃないんだ。

「すぐに手当てしてやるからな、ちょっとそこで待っててくれ」

「あ、は、はい」

 かすれる声でこたえる女の子は、茫然ぼうぜんとしつつも涙をこぼし続けてる。

 どうして泣いてるのか、そんなのは考えるまでも無かった。


 彼女が大事にかかえてるおさな獣人じゅうじんの子供。

 その子はきっと、彼女の家族、ってことだよな。

 このスーパーがドラッグストア併設へいせつの店で助かった。

 って言っても、見たところひど火傷やけどみたいだから、俺に何とかすることができるのかは、正直分からないな。


軟膏なんこう包帯ほうたいと、あ、消毒液しょうどくえきとかもあった方が良いよな。それと、水だ。そう言えば、ラップでつつめば良くなるとか聞いたことあるような。調べてみるか」

 ころがってたかごの中に必要なものをほうり込んだ俺は、無意識むいしきにポケットのスマホを手に取った。

 そして、火傷やけどの手当について調べようとして、ようやく思い出す。


「……そうだった、つながらないんだ。これは完全に現代病げんだいびょうだな」

 そもそもバッテリーも底をつきそうだし。取り合えず、分かることだけでもやろう。

 そう考えてすぐに引き返した俺は、不安げな表情の彼女と、どこかけわしい表情のおぼろむかえられる。

 ……おぼろ、どうしてそんなにかなな目でこっちを見るんだよ。


「弟を、助けて」

 小さな弟をかかえたまま、段ボールに腰かけている獣人じゅうじんの女の子。

 そんな彼女にうなずいて見せ、処置しょちをするために弟に手を伸ばした俺は、そこでようやく気が付いた。

 この子はもう、息をしてない。


 彼女が大事そうにかかえてたから見えてなかったけど、おさな獣人じゅうじんの子は、俺が想像してたよりも何倍もひど火傷やけどってたみたいだ。

 当然、俺に何かができるわけないだろ?

 魔法まほうを使えれば、話は変わったのかな?


「あの……」

「すまない。この子は、もう」

「……うそ、うそ、でしょ?」

 そうつぶやいた彼女の声が、ふるえてる。

 そりゃ当然だよな。目の前で、家族を失ったんだから。俺も、もっと配慮はいりょすればよかった。


 今の俺に出来ることは、何かあるか?

 彼女をなぐさめる?

 いや、名前も知らないような奴になぐさめられても、心はえないか。

 あるとすれば、彼女自身のやけどの治療ちりょうをするくらいだろ。

 でも……。


「ぅ……うぅ……」

 動かない弟に顔をうずめるような体勢たいせいで泣いている彼女に、声を掛ける事なんかできないだろ。

 まるで、何もかもを押し殺すようなうめき声を上げる彼女を、俺はただ茫然ぼうぜんながめることしかできなかった。


 そうして数時間が経った頃か、泣きつかれたのかようやく眠ったらしい獣人じゅうじんの女の子に、うすっぺらい布を掛けた俺は、おぼろと二人で店の奥に移動する。

 近くで話して、起こしてしまったら悪いからな。


「何もできなかったな……」

「仕方ないさ。彼女がここに来た時にはすでに、あの子はもう、事切れてたみたいだからな」

「……そうなのか?」

「あぁ」

「彼女自身も、かなりひど火傷やけどだった」

「だな。でも、今はゆっくり休ませた方が良いだろう。治療ちりょうは明日の朝にでもしてやろう。そうと決まれば、今日はオイラ達も休もうぜ」

理屈りくつは分かるけど、でも、ねむれる気がしないな」

「それでも、だ。お前さんまで倒れたら、誰があの子を治療ちりょうできるんだ?」

「分かったよ」


 おぼろの言ってることは正しい。

 エルフと出会ったあの日から、今日で4日目。

 まだまだ分からないことだらけで、ただでさえ頭が混乱こんらんしてるんだ。

 こんなところで疲弊ひへいしてる場合じゃないよな。


 眠ろう。

 固い床に寝転がって、そのまま目を閉じた俺は、何も考えないように努めた。

 だけど、一向に眠気がおそってこない。

 変だよな、仕事中はあんなに眠くなることが多いのに。


 そうやって、しばらくの間寝付けない状況に俺が苦戦くせんしていると、不意に何かの音がスーパーの中にひびき渡った。

 カランッというその音は、何かが落ちた音かな?

 咄嗟とっさに目を開けた俺は、周囲を警戒けいかいする。


 何もいない。何も聞こえない。

 真っ暗な店の中には、俺とおぼろしかいないように思えた。

 だけど、かすかな気配けはいが、店の入り口の方からただよって来る。


おぼろ……」

「あぁ、何かいるぞ」

「あの子か?」

「分からん。でも、あの子とは違うニオイな気がするぞ」


 そう言うおぼろの言葉に緊張きんちょうを覚えた俺は、そばに置いておいたかさを手に取って身構える。

「とりあえず、あの子の所に戻ろう。魔物が入り込んだんなら、守ってやらないと」

「そうだな」

 この数日の間で、暗闇の中で暮らすことにれて来た俺。

 それでも、こうして敵が近くにいるかもしれないとなれば、かなり怖いな。


 なるべく音を立てないように、彼女が寝ているであろう場所に向かって、ゆっくりと進む。

 距離はそれほど離れていないはずだ。あともう少し進めば、彼女が寝ている様子を確認できるはず。


 そう思った俺は、直後、かすかな声を耳にする。

「クゥン……クゥン……」

 どこかで聞いたことあるような泣き声。

 その鳴き声の方へ進んだ俺は、暗闇の中にうずくまってる巨大な影を目にした。


「クゥン……クゥン……」

 大きな耳と尻尾しっぽを持ったその影は、さっきまで彼女が寝ていた場所にいる。

 そんな様子を見た俺は、全ての事情をさっした。

「もしかして……あの子か?」

 何の気なしに、おぼろに向けて告げた俺。

 だけど、それがいけなかった。


 ピクッと耳をふるわせた巨大な影が、勢いよく俺の方を振り返る。

 当然、ばっちり目を合わせてしまった俺は、すっかり狼のように変貌へんぼうげてしまった彼女の様子に、威圧いあつされてしまった。

 っていうか、真っ赤にかがやく目が怖すぎるんだが。


 緊張きんちょうのせいで身動きを取れなくなった俺。

 そんな俺をジーッと見つめて来る彼女も、微動びどうだにしない。

 これってあれか?

 狼男おおかみおとこの話でよくあるけど、おおかみになってる間は理性りせいを失っちゃうとか、そんなやつか?

「そ、そんなこと、無いよな?」

 きっと、覚えてくれてるはずだ。

 そう思って俺が一歩前に踏み出したその瞬間、彼女が明確に敵意てきいき出しにしてきた。


「やばっ!!」

「逃げるぞ颯斗はやと!!」

 うなり声をあげる彼女に背を向け、全力で建物の出口に走る。

 でも多分、俺の足じゃ彼女から逃げれる確率かくりつは低いよな。


「くそっ!! ここで死ぬのか!?」

あきらめるな!! 今は全力で、建物から出ろ!!」

「アオォォォォォォン」

 背後から彼女の遠吠えが追いかけて来る。

 びりびりとふるえる空気にはじき出されるように、俺は勢いよく扉をこじ開けて、外に飛び出した。


 いきおあまって体勢たいせいくずした俺が、道路に盛大にコケたのと同時に、頭上を何かがかすめていく。

 何事かと体勢たいせいととのえ直しながら、かすめた何かの後を目で追った俺は、路上ろじょうに立ちはだかる巨大な影を見た。


 その影は、煌々こうこうと輝く2つの月に向かって、かかえ込んでいた全てを解き放つかのように、吠え声を上げる。

 うつくしくも猛々たけだけしい遠吠とおぼえ。

 その声はきっと、どこまでもひびいていくに違いない。

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