第11話 帰る理由は君がくれた

 ここで遅すぎた名刺交換タイムが始まった。


「私の名前は赤崎(あかさき)ちえ。大学四年の福祉学科だよ」

「自分は淵川秋です。自分は専門に通ってます」

「専門かぁ、何系?」

「ライター系です」


 正直に小説専攻というのには躊躇いがあった俺は、ほんの少し濁して伝えた。別に小説専攻自体を恥じているわけではなかった。そこに通っているのに文章を何一つ書ききれず、結果を残せていない自分に恥じていた。


「ライター系か~、文字打つんだよね? 頭よさそう」

「いやいや、普通に赤崎さんのほうが賢いよ」

「そんなことないよー」と謙虚に言う赤崎さんの隣で俺は名前も聞けたので、俺は今日一日のことを朝書いたっきりのノートに綴り始めた。


「何書いてるの?」赤崎さんはこちらに近づいて、肩まで伸びた長い黒髪を後ろに払うと、ノートを覗きこむようにして尋ねてきた。

「今日一日、あったことを記録に残してる」

「へぇ、見せてよ」

「いいよ」

 赤崎さんはノートを手に取るとスラスラと目を通している。なんと言われるのだろうか。物語ではないといえ、これも文章だ。良し悪しがある。他人に文章を読まれるのは慣れているはずなのに、その恐怖だけはいつまでたっても消えてくれない。


「なんか文章が面白いね。作家みたい。私、淵川くんが作家になったら本買いたいな」

 〝作家〟という言葉が出てくるとは思わず、息が詰まりそうになった。作家はつい先日まで、それだけを夢見て学校に通っていた。俺の夢だった。そしてその夢だけを見続けたが故に、自分と作家までの道のりが、どれほど果てしなく険しい道のりなのかを悟って、その苦しみから逃げるようにここまできたのだ。


 それが、赤崎さんのたった一言で吹き飛んでしまった。もう十分だろう。

「うん、作家になったら絶対に言うね」


 そうしたところで、ボブの生徒とユウキくんも戻ってきたので、二人にも名前をノートに書いてもらった。時刻は夕方の十八時をまわっており、そそくさとみんな帰る支度を始めた。


 校舎を出ると赤みを帯びた夕焼けが顔を強く照り付けてくる。

「淵川君はこの後どうするの?」

「近くをぶらつきながら、ネカフェに泊まろうと思うよ」

「そうね。それがいいね」

 赤崎さんは頷きながら納得しているようだった。


 別れ際、なんて言えばいいか分からなかった。ただ言葉にならない感謝だけが胸の内から溢れていた。その時の俺は目に映る全てが愛おしく、宝物のように感じた。きっとこの光景はこの先も胸に残るのだろうと思った。そして、散々取り繕ってきたけれど別れ際だけは見栄も張れず、いつも通りの不甲斐ない淵川秋がそこにいた。名残惜しさを感じながら、じゃあね。そう言おうとした瞬間、遮るように赤崎さんが言った。


「淵川くん! また明日も学校に来なよ! この辺ウロついてたら私がつかまえてあげるから!」


 それは叶わない約束だった。なぜなら、俺は明日には福岡に帰ろうと決めていた。それは赤崎さんたちのお陰だった。俺には帰る理由が見つかった、人生を変える出会いだったかと言われたら分からないけれど、それでもこの出会いに意味を見出すために俺は帰らなければならない。俺はもうここには来ないとは言えず、俺は今日一番の感謝を込めて

「うん! またこの辺に近づいたら寄るよ!」と言った。

「じゃあ、またね!」


 バックの夕焼けに負けないくらい大きく手を振る赤崎さんの光景を最後に、俺の一日ぽっきりの一人旅は終わった。

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淵川秋の刹那的冒険譚 淵川秋 @xabpg

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