第7話 徳山の温情
「もしもし、聞こえていますか、おじいさん。おじいさんの指差した方向に徳山大学はありませんでした。山なら目前にありますが」
そんな空虚な呟きをこぼして、小さくため息をついた。あれから、おじいさんの言った通りに進み続けたが、いくら経っても住宅街を抜けられる様子はなく、むしろ住宅街に飲まれていった。気づけば、背中に見えていたはずの大通りは見えなくなっており、目の前の大きな山が、ここで行き止まりだと言わんばかりにそびえたっている。
幸い方向感覚だけはある。俺は諦めて通ってきた道を戻りながら、通行人がいたら声を掛けて道を尋ねようと心に決めて、来た道を引き返し始めた。
「誰もいないな」
無意識に、寂しさを紛らわすような独り言がこぼれていた。
「なんだっけ、『最上の思考は孤独のうちに出来る』だったか。今なら最適解を導きだせるかもしれない」
ちなみに、この発言はトーマス・エジソンが言った、〝最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる〟という言葉を引用したものだった。
しばらく歩いて大通りが見えてきたころ。来たときは気づかなかったのだろう、質素なカーキ色をした壁の、豆腐型の建築物が左手にあった。養護施設か何かだろうか、一瞥してそのまま通り過ぎようとしていたところ、目の端に映った「徳山秋月郵便局」という文字が俺の足を止めさせた。
「郵便局⁉ 郵便局はやばいぞ‼」
語彙力がかなり低下しつつも、そこにある建築物に歓喜の声を上げていた。何故なら、郵便局なら当然、街のどこにでも郵便物を運んでいるはずであり、現在の俺にとっては街のロードマップといっても差し支えなかっただからだ。
焦る気持ちを抑えて中に足を運ぶと、入ってすぐ正面にはATMがあり、右手には窓口、その奥に印刷機やらパソコンが机とセットでずらりと並んでいた。局員は窓口付近に一人、奥に二人ほどいた。
「すみません、この辺一帯の地図ってありますか?」俺は即座に窓口に駆け寄ると、 手前の若い女性局員さんに聞こえるくらいのボリュームで問いかけた。局員さんは声に応じて、こちらに近づくと「えっと、用途は?」と訝しんだ表情で言った。当然の反応だ、中に入ってくるなり、地図があるかなんて問いかけてくる不調法者だ。というか、もはや不審者である。
「えっと、道に迷ってしまいまして……」
「え!」俺の素っ頓狂な説明に驚く女性の局員さん。
「ど、どちらから来られたんですか?」今までの素振りで察したのだろう、今度は局員さんが困ったように問いかけてくる。
「福岡から。夏休みなので、遊びに来ました」
「まぁ! それは遠路はるばる徳山にようこそ!」
俺が学生と分かって容疑が晴れたのだろうか、今度は一転して歓迎されてしまった。なんだか気恥ずかしく「……はい」と答えることしか出来なかった。
「それで、地図でしたよね。すみません、地図はないんですよ。どこか行先があるんですか?」
いつの間にか、後ろにいたおばあさんと三十歳くらいのお兄さんの局員さんも、こちらまで様子を見に来ていた。
「はい、徳山大学に行こうと思っています」
「徳山大でしたら、すぐ出た先の大通りを出て真っ直ぐ進んで……あっ、ちょっと待ってくださいね」
女性局員さんはそそくさと後ろの方に行くと、何やら紙に書いている。
すると、朗らかで優しそうな顔つきのおばあさんが、思いもよらないことを言った。
「徳山大だったら送って行こうか?」
「いえ、せっかくなので歩いていこうと思います。すみません、ありがとうございます」
俺は赤の他人の自分にそこまで言ってくれたことに感謝しつつ、なるべく自然に返したものの、内心は驚きと混乱の渦中にいた。徳山に来て、驚いたのはこれで二度目だ。いくら迷子だったとはいえ、ここまで親切にしてくれるものなのだろうか。いや、きっと徳山の人たちが親切なのだろう。今まで親切にされたことがないといえば嘘になるが、ここ数年は他人からの温情というものから縁遠い過ごし方をしていたため、新鮮な気持ちだった。
「でも、大丈夫? 徳山大はここから結構あるよ?」
今度はお兄さんの方が心配をしてくれた。
「大丈夫です。歩いて行くのも、旅の醍醐味だと思うので」
「あらあら、凄いわねぇ」
おばあさんは片手を頬につきながら感心したように言った。そんなところで先ほどまで後ろでなにやら作業をしていた、女性局員さんが戻ってきた。
「はい、これ」
手渡されたものは手書きの地図だった。紙には徳山大学までの道のりがチェックポイントを挟みつつ、簡潔に分かりやすく記されている。
「徳山大学はそこの大通りを出て左に真っ直ぐ進んで、最初の分かれ道を右に進むの。そしてずぅっと真っ直ぐ進んだ先の交差点を左に曲がって、あとは坂を上って行ったら途中で看板が出てるからわかると思う」と口頭でも詳しく説明してくれた。
「すみませんわざわざ、地図まで書いて頂いて、本当にありがとうございます」
「いーえ。頑張ってね!」
重ね重ねお礼を言い、深くお辞儀をすると、局員さんたちに見送られながら、俺は郵便局を出た。
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