三小節目 何も知らない中で

 一次審査を終えた挑戦者たちは、お菓子を食べたりマンガを読んだりしながら、審査結果の発表を気長に待っていた。

 しかし、誰もが心の内に莫大な恐怖を抱えていた。それはやはり、休憩中に起きたハプニングが原因だろう。

 バリケードでベースを担当するとうこういちが、恐怖に耐えかねて発狂したのだ。負ければ借金800万を背負うという恐怖、それをたった一か月で返済しなければならないという恐怖に。

 伊藤の精神状態はたかはしらバンドメンバーの諭しによって改善したが、その一件によってそこにいる全員が自分の置かれた状況を思い出したのである。

 恐怖をごまかすために、彼らは他愛もない話をし、何かを口にし、たばこの煙で胸をいっぱいにした。

 そこには軽食、飲み物、ある程度の娯楽はそろっていたが、唯一酒だけはなかったため、普段からアルコールに体を浸している者は逆にストレスをためていた。

 そうして、皆がつかの間の休暇を思い思いに過ごし、高橋ら緑組が休憩所に入って約二時間後。


 扉が大きな音を立てて開き、園崎と取り巻きの黒服数名が現れた。

 園崎を見た休憩所の黒服は慌てて直立不動。百名の挑戦者たちにも緊張が走る。

 園崎はバインダーを手に、意味不明な微笑を浮かべていた。

 「挑戦者たちよ、一次審査の結果が出たぞ」ついに発表されるのか、と休憩所にざわめきと焦りが生まれた。

 しかし、その二つを足しても挑戦者の心に巣食うの半分にも満たなかった。

 「只今より一次審査の結果を発表する。呼ばれたものは前に出るように」園崎がそういうとその場がシーンと静まり返る。

 皆が心臓の鼓動を高め、ある者は我こそが勝者だと自信を持っていたり、ある者は自身の運命を悲観して絶望感に陥ったり、ある者は今までに祈ったこともない神に祈っていた。

 「高順位から発表する。第一位、青組8番、じまさとし」人ごみの中から、小太りの男が現れた。年齢は三十代くらいだろうか。

 自分が合格することはわかっていたのか、不敵な笑みを浮かべている。

 「第二位、緑組8番、さくらすすむ」その声を聞いてバリケードのメンバーは狂喜乱舞した。

 「やったな桜井!!!」「すげえじゃん!!!」「さすが桜井!!!」三人で桜井に飛びつき口々に桜井をほめた。桜井はもみくちゃにされて照れていた。

 それから数人の名前が呼ばれた。歓喜に叫ぶ者、涙を流す者、ホッと胸をなでおろすものなどがいた。そして、誰かの名前が呼ばれるために、名前を呼ばれていない者たちの不安と焦り、そして恐怖が少しずつ、海の潮が満ちるかのように増幅していった。

 「第十五位、緑組6番、高橋しゅんすけ」ここで高橋の名が呼ばれる。

 高橋は自分の名前が呼ばれたことに気づかず、いや気づいてはいた、気づいてはいたのだが、茫然とそこに突っ立っていた。まさか自分が合格していたとは思わなかったからだ。

 「オイ高橋、呼ばれてるぞ!!!」「やったじゃねーか!! 流石高橋だな!!!」づかと伊藤に肩を叩かれてようやく我に返った高橋は、様々な感情がこみあげてくるのを感じた。

 「うああ……あああ……! うわああああああああああ!!」喜び、一時の安堵感、開放感がマーブル模様を描いて喉元に湧き上がり、嗚咽となって口から放出された。

 それから第十六位から第十九位の名前が呼ばれ、後は第二十位を残すのみとなった。

 バリケードのメンバーのうち、まだ手塚と伊藤が呼ばれていない。すでに合格を勝ち取った桜井と高橋は、二人のうちどちらかの合格を祈っていた。

 手塚は、自分が受かれば伊藤を助けてやれるし、伊藤が受かっても自分を助けてくれると信じていた。

 ……そして、運命の宣告が行われる。


 「第二十位、緑組5番、伊藤幸一」一瞬の沈黙が流れる。

 「え、俺?」伊藤は自分が合格したという実感がわかないように見えた。

 戸惑いながら手塚を見ると、手塚は鈍った笑顔を浮かべながら「お、おめでとう伊藤!!」と伊藤をねぎらう言葉を聞かせた。その声はあまり聞き心地の良いものではなかった。

 伊藤は戸惑うそぶりを見せながら前に出る。そして一度振り返ってこう言った。

 「安心しろ、俺たちが勝ち残ったら、必ず助けてやるからな!」勿論、高橋も桜井も同じことを考えていた。

 「以上、二十名が一次審査合格者だ。では今から二次試験の会場に移動する。ついてこい」園崎は踵を返して扉の向こうへ歩き出した。

 それに続いて二十人の一次審査合格者がカモの子のようについて行く。

 「高橋ー!! 伊藤ー!! 桜井ー!!」彼らを呼ぶ八十人の敗北者の内の一人。三人が振り返ると、手塚が涙を流しながら手を振っていた。

 「頑張れよー!! お前らー!! 絶対東京ドームで演奏しようなー!!!」手塚だけでなく、合格者の中に仲間がいる敗北者たちも口々に彼らへのエールを叫んだ。

 高橋たちはその声にこたえようとしたが、「足並みを乱すな!!」と園崎に一喝され、恐縮して歩き続けた。

 最後の一人が休憩所を出た時、黒服によって重々しく扉が閉められた。

 ズズーン……と腹の底に響く音が聞こえた時、高橋はなぜかを覚えた。


 もう、この四人で演奏することはできないのではないか、と感じたからだ。


  園崎に連れられた二十人の合格者は、ゼッケンを回収され、廊下を歩く途中でまた目隠しをされ、今度は長距離バスに乗せられた。勿論、彼らは何に乗せられているかも気づかない。

 そうしてまた一時間程度車が走る音を聞き、気づけばベッドがたくさんある建物に通されていた。

 「二次審査は明日午前九時から行う。今日はここで休息を取れ。夕食は後に運ぶ」休息を取れ、と言われたその部屋は、コンクリートの壁がむき出しになっており、埃があちこちに溜まっている劣悪な環境だった。当然の権利のように窓は一切ない。

 あるのは二十床のベッドと水道とトイレと、点滅するいくつかの蛍光灯。

 まあとにかく、彼らはとても疲れていたので、迷わず各自ベッドにダイブしたり、倒れ伏したりした。

 「ハァ……あいつ大丈夫かな」高橋は一人残った手塚の身を案じていた。

 「まあ……大丈夫さ。俺たちが助けてやるんだから」隣のベッドに腰を下ろしていた桜井が言った。

 伊藤は、ベッドに横たわったまま何もしゃべらなかった。


 三十分か、一時間か、二時間ほどたった時(先の休憩所にもこの部屋にも時計がないため、彼らの時間感覚は狂っていた)、黒服たちが夕食を持ってきた。

 欠けたプラスチック製のプレートに、冷えたべちゃめし、冷えたサケの切り身、冷えた味噌汁。疲れた体を癒すにはあまりにも質素であった。

 しかし彼らは文句も言わずに完食した。どうせ文句を言っても聞きいられるわけがないうえに、食事を没収されるかあるいはもっとひどい目にあわされることを確信していたからである。

 そのまま彼らはシャワーも浴びられずに就寝時間となった。


 高橋は眠ろうとするも眠れず、ストレスを感じていた。

 眠れないストレスに加え、二次審査以降何をやらされるのか、一次審査で不合格になった手塚たちはどうなってしまうのか……彼らが何も知らされずにいたことを不満に思っていた。一次審査の時は少なくとも「ソルフェージュで審査する」ということだけはわかっていたが、それを伝えられたのも当日の審査数時間前。

 だが、高橋は一次審査を突破した。二次審査の内容もおそらく直前に伝えられるだろう。そんなことはどうでもいい。

 何も知らないのは全員同じだ。今この部屋で寝ている自分を含めた二十人は、何も知らない中で難しい試験を突破した猛者なんだ。これからどんな審査内容が待っていようと、自分なら必ず突破できる。高橋はそう自分に言い聞かせた。



 「起床っ!!!」部屋の天井にあるスピーカーから大音量でアナウンスと、謎のファンファーレが響き渡る。

 爆音に耐えかねた挑戦者たちは耐えかねず跳び起きた。

 「朝食だ。命に感謝して食え」黒服たちがそう言って寝ぼけた挑戦者と、まともに眠れなかった挑戦者に渡した朝食は、一欠けらのパンとコップ一杯の牛乳だけ。これでは二次審査に臨む体力が養われるはずがない。

 それよりも彼らは、黒服たちに聞きたいことが二つあった。一つ、現在の時刻。二つ、二次審査の内容。

 不満そうに高橋が朝食を食べていると、「なあなああんた、高橋君やろ? やっぱあんたもひどいと思ってへんか? あいつらのやり口。」突然、高橋の左隣で寝ていた男が声をかけてきた。小太りで三十代くらいの関西人だ。

 高橋や一部の挑戦者は彼のことを知っていた。知っているのは名前と一次審査の成績くらいだったが。

 「一次審査で一位だった、児嶋……さん」「なんやその呼び方ー! 慧でええってええってー!!」初対面だというのにフレンドリーに接してくる児嶋に対して、高橋は少し安心していた。この極限のオーディションを控えた状況で、バリケード以外に心を許せる人間もいなく、さらに仲間が一人失格になってしまい心細い思いをしていたことが原因だった。

 児嶋は高橋の背中をバンバンたたきながら話し続ける。周りの白い目も気にせず大声で、極限下とは思えないほどの笑顔で。

 「ジブン二十三くらいかー? まだまだ若いなー! こんなオーディションに参加するなんてアカンよー!」「いえ……五年以上メジャーデビューを目指して頑張ってたんすけど、周りからの評価は夢追ってるだけのただのフリーターなんで……」「ええやんええやん! やっぱ若いってええなー!」そんなことを話していると、さっきまで笑顔だった児嶋がいきなり神妙な顔つきになった。

 「……猶更こんなオーディション参加したらアカンよ。ワシは二回目やさかい、このオーディションの『裏』っちゅーもんを知っとる。 ちょいと耳貸して……」と、高橋の耳に何か囁いた。


 「このオーディションで失格になった連中はな、借金返済のためにどこかも知らん外国に売られるっちゅー話や。その後は奴隷当然の生活を五、六か月続けるうちに、怪我か病気か、あるいは栄養失調かなんかでぽっくり逝ってまうらしいで」

 「……マジすか?」「……マジや」

 その言葉を聞いて、高橋は全身から生気が消えていく感覚を味わった。



四小節目 パーティー に続く

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