ボーイ・メット・ガール

来生ひなた

第1話



「ボーイ・ミーツ・ガールがしたい」


赤ペンを動かす手を止め、数学とは無関係の願望を吐き出す。向かいに座った級友の大滝は、狐につままれたような顔で僕を見つめ、緩慢に頬杖を解いた。


「なに言ってんの、慎くん」

「ボーイ・ミーツ・ガールだよ。少年と少女が出会い、物語が始まる……シンカイ作品の共通テーマとしてもはや定着したと言っていいスタイルのいちジャンルだ。『君の名は。』はこないだ部室で一緒に見たろ」

「あーなんかあの、おっぱい触るやつ」


低俗なところにばかり着眼する。文学への感受性に欠けたやつは決まってこうなのかと嘆息した。いいだろう少し休憩とする。自作の小テストへバツ印を打つのにも辟易したところだった。僕は自分の眼鏡をくいっと持ち上げ、教養の足りないあほヅラめがけて研究テーマを詳らかとした。


「ボーイ・ミーツ・ガール、ボーイがガールとミーツするんだ。これほど端的に、かつストレートに全てを内包した呼称もなかなかお目にかかれない。出会うことは始まりであり、筋道を固定化する帰結でもある。宇宙の最小公約数は2というのは誰の言葉だったかな、ともあれ正しく、物語という宇宙――世界は、二人が揃うことで産声を上げるんだ」

「ごめんこれさんすうに関係してる? 追試の前に勉強見てくれるって話だったよね?」

「見てやってるんだ、少しくらい浪漫語りに付き合え」


僕が見捨てれば自分は補習漬け確定、夏休みに海へ行く話もパァだとアホにも理解できたようで、大滝はぐっと恨みがましそうに言葉を飲み込んだ。さて、静かになったところで続けさせてもらおう。


「文学とシネマをこよなく愛しているとはいえ、僕とて男子だ。カリオストロの城、ローマの休日……それらの美しい出会いと別れに疼かせる胸くらいはある。よって、僕も女の子と出会いたい」

「つまり、おっぱい触りたいと」

「下賎な肉欲の話に落としこまないと理解できないのか君は!? そうじゃあない、いいか、男には確かに性欲という異性への希求が力強く存在するが、それと『この子のためなら死ねる』は全くの別個なんだ! かつて、かの宮崎駿氏も劇場版風の谷のナウシカの舞台挨拶の際に…」

「オームになりたくない!のやつ?」

「それはもののけ姫!!」


こいつの脳みそにはエロティックなシーン以外残らないのか? らちがあかない、苛立つこめかみを抑えつつ、僕はペンを持ち替えてノートに棒人間を描いていく。


「いいかい? 僕は性的な興味の話をしているんじゃあない。僕という少年は日常を生きている…なんの変哲もない日々、これはいわば物語の始まる前で白紙も同然なんだ。ここに少女という外来の変化が訪れる! 二人の出会いをきっかけとして問題が巻き起こり、その解決のために奔走する……ほらストーリーが生まれるだろう?」

「問題起こしそうな女がすきなの? 慎くん世話好きだもんね」

「ちっがーーう!! ああもう、君に理解してもらおうとした僕が間違っていた…」


ペンを取り落として両手で頭を抱える。僕の苦悩などどこ吹く風と、級友は呑気に棒付きアメなどべりべり開封し始めた。勧められたので、いらん、と手のひらを突き返す。


「てか、女の子との出会い?だったら、慎くんこないだ言ってたじゃん。二年の浅野先輩」

「……ああ、階段で助けた子か」

「そーそー! 落っこちかけた女を受け止めるとか、むちゃドラマじゃん! そっから進展とかないの?」

「ない。それに、彼女は違う。そういうんじゃないんだよ」

「どういうんだよ、まったくわからん」


浅野あさの佳子よしこ、一つ上の学年で、僕と同じ中等部からの内部進学組。しし座のA型、成績は中の上、吹奏楽部でトロンボーン担当。好物は豆もやし。僕とてこれが運命の出会いかと期待した瞬間もあった。ゆえに、まあそれなりに調べたのだ、キモくならない範囲で。


「ボーイ・ミーツ・ガールとは、水面に波紋がたつかの如く、ことの起こりがさまざまなバタフライ効果を産むものなんだ」

「うんうん、それで?」

「僕はあのあと意図的に二年の学部棟を通りすがってみたり、吹奏楽部の練習風景を遠巻きに見学するなどしてみたが……何も起こらなかった!! あれが運命の出会いだったならトントン拍子に次のイベントが起こるはずだろう!!」

「ええ……それは…アニメの見過ぎじゃねえかなぁ…」


だいいち浅野佳子は身を挺して助けてやった僕のことを汚物でも見るような目で侮蔑した自意識過剰女だぞ。今では、あれこそが僕の運命の少女ではないかと浮ついてしまった自分を恥じるばかりだ。あと女の子って想像していたよりも重いし別に柔らかくもない。幻想を壊されてかなしかった。


「そこはほら、慎くんのアプローチがたりんとか。普通に、連絡先聞きゃいいじゃん。共通の友達とかおらんの?」

「ええい、そんな順当なお付き合いの手順を踏んで近づくののどこが“物語”だ!! ボーイとガールはミーツしたが最後、望もうと望むまいと惹かれあうものなのだ! 惹かれ合わないということは『そう』ではない証明! これ以上追いかけるだけ不毛というものだ!」

「ふつーに、脈なしだったから前向きに次の恋を探しますって言いましょうよぉ」


浅いところでしか男女の関係の機微を理解できんアホめ。こいつが異性から割合モテているという事実こそが僕には理解できない。


「君こそ、特定の人間と付き合うという話を聞かんが」

「ええ〜そこ聞いちゃう? たしかにコクられたりはするよ? するけど…あれよ、受け身ってどうも好きくないんだよね。好きになったらこっちからアプローチしたい派みたいな?」


ふむ、そういうものか。思い返せばこいつは根っからの行動派だった。小学校のオリエンテーリングの類も、自主的な班決めが許される時はいつもこいつから僕の首根っこを掴みに来たものだったな。


「出会ったらはじまるんだっけ? よくわからんけど、つまり慎くんは一目惚れがしたいってコト?」

「論点がずれている。別に、好みのタイプだから運命が始まるとかではないんだぞ。少年が少女を一目見て芯を焼くような電流を覚えるのは、容姿なんてうわべの興味ではなく…もっと内面から湧き出す魅力に焼かれるからなんだ」

「ちなみに見た目だけでいうならどういうコがいいの」

「三組の伊坂花奈夜いさかはなよ

「むちゃくちゃアイドル系〜〜〜結局慎くんも面食いじゃん」


うるさい、どうせなら可愛い子の方が嬉しいに決まってるだろ。それに、だいたいの場合ファムファタールっていうのはハッとするような美少女なんだ。男が放っておかない高嶺の花はまさしくそれっぽいではないか。


「あと、別に『出逢う』というのは初対面に限定されるわけではないぞ。幼少の頃、ひと夏だけ共に過ごした少女と高校で再会……主人公クン、私との約束覚えてる? なんて神秘的な雰囲気のクラスメイトから囁かれたりするのもボーイ・ミーツ・ガールだ」

「あ! それいいじゃん! 慎くん小五の時に転校しちゃったし、その方向いけんじゃね? たしかそんとき、私のこと忘れないでーみたいなこと言ってた女子居たよ!」


なんだって? まるで記憶にない。いや、そうして約束を男の側が忘却しているのも実に00年代文学ノベルゲーム風で良いではないか。残念ながら僕の方にはいくら探しても手掛かりが思い当たらないので、級友の記憶が蘇るのを固唾を飲んで見守る。ちゅぽん、と、舐めていた棒付きアメを吐き出して大滝が顔を上げた。


「えーと、あ! あれあれ、宇田うださんだ、宇田みきちゃん!」

「……わからん」

「覚えてない? お別れ会でむっちゃ泣いてくれてたじゃん!」

「……あー、わかった、記憶が飛んでる理由が。お別れ会って、君が一番号泣してたやつな。そのせいで全部霞んでるよ」

「ォーーゥウ…お恥ずかしい…」


人間の顔から一度にあれだけの水分が吹き出すことが可能なのかと、人体の限界に挑むような恐ろしい有様で泣きじゃくる親友に転校の寂しさもヒュンとひそまったのを覚えている。ついでに、名前を聞いてじわじわ思い出したが、宇田ってあれか。感動屋でやたらとズッ友とか絆とかの刻まれたプラ板キーホルダーを自作してはクラスにばら撒いてたあの女か。となると、僕に特別入れ込んで泣いてくれてたとかではないな、それは。


「つかさ、あの頃の慎くん、ふつーに好きな人いたじゃん。あの人のことはどうなったの?」

「………………よく覚えてるなあ、そんな子供のたわごとを」


江頭えがしら茉莉まつり、僕の生まれ故郷で小さなピアノ教室を営んでいた、初恋の女性。彼女は、鍵盤を叩くのが下手くそな僕を叱るでもなく、他にたくさんの長所を見出しては将来を楽しみに思ってくれた。末は博士か大臣かと、本の虫だった根暗坊主に明るい夢を持たせてくれた……僕はそんな彼女に報いるべく、近づくべく、都会に引っ越してから猛勉強を重ねて名門私立中学への滑り込み合格をもぎ取ったのだ。彼女なくして今の僕は居ないと言って過言ではない。たとえ彼女が今の僕に居ないとしても。


「二年前に結婚したそうだよ。祖母から聞いた話で、僕には式の知らせひとつなかった。そんなものさ」

「ふーん…振り向いてもらいたくて勉強がんばってたのに、なんか悲しいね」

「別に、僕が一方的に憧れていただけの人だから、裏切られたとかではないし……もっといい出会いを果たせばいいだけのことだからな!」

「前向きなのスゲーかっこいいけど、慎くんはそれができなくてぐだぐだ話してんだよねえ、いま」

「言ってて泣けてきた! あ゛ー女の子とミーツしたい!!」

「あははは」


大滝が顔をくしゃくしゃにして笑う。ええい、他人事だと思って。お前も努力が徒労に終わり、好きな人が遠く離れて新しい恋も見つけられない虚しさを一度知れば良いのだ。


「まあ、さぁ、そんなドラマチックなうんめー?とかは探してもなかなか見つかんないもんかもだけどさぁ、自力でチャンスを作ってくのはもうちょい簡単なんじゃないの」

「なんだ、知ったふうな口を」

「慎くん、けっきょくは浅野先輩にもピアノの先生にも、直接アプローチしに行かずじまいだったんでしょ?」

「……知ったふうな口を!!」

「いひゃいいひゃい、アメおひる」


馬鹿のくせに的を得た真理をほざきやがって。憎たらしくて頬をつねりあげる。しかし懲りずにへらへらと、この犬みたいな屈託のない笑顔に毒気を抜かれてしまえば、僕は真面目に怒るのが毎度あほらしくなるのだ。

きん、こん、と放課後の教室にチャイムの電子音が響く。……予定より無駄話が長くなった。さっさと碌でもない成績の小テストを採点しきって、追試の対策傾向を練らねば。大滝は、ただでさえ補欠合格で高等部に入学してきたギリギリアホ人間なのだ。腐れ縁とはいえ、古馴染みの僕が面倒を見てやらねばマジでやばい。それくらいの面倒を見るだけの愛着程度はまあ、こいつに対してちゃんとあるので。


「ふぁ〜〜、もう眠くなってきた」

「おい、股をおっ広げるな見苦しい。それ僕以外の前でやるなよはしたない」

「やらねーって。慎くんにだけよ、ウッフン」

「汚いものを見せるな」

「サービスしてやってんのに!!」


何一つ嬉しくない。贈り物どころか呪いの押し付けだ。大滝は臍を曲げた様子で立ち上がると、のしのし大股びらきで教室を後にする。まだ話は終わっていないし対策会議はこれからなのだが。


「便所便所、慎くん話なげーんだもん。オシッコくらいさせてよ」

「さっさと済ませて来い。カバンは置いていけよ」

「ちぇ!抜け目ねえなあ! あ、慎くんも連れションする?」

「できるわけないだろう、馬鹿言ってないで早く行け」


へえい、と気の抜けた返事で手を振られる。気を取り直して答案に視線を落とし、残る惨状と向き合うべく赤ペンを持ち替える。…………気配が消えない。顔を上げ直すと、教室の引き戸のところでニヤけた顔のアホが立ち止まってこちらを見ていた。そのまま漏らせばいいのに。


「なんだ」

「さっきの話、別に説教とかじゃないよ。慎くんに言いたかったのはさ、ボーイミーツガールだっけ? それがどーしてもほしいなら、運命任せにするよりもっと確実な方法があるってことよ」


もったいぶった笑みで、大滝は引き戸から半身を覗かせ夕陽の中ではにかんでいる。一陣の風が、うなじのところでポニーテールを揺らした。


なら、じぶんの足で好きな人の運命になりに行くよ」


ざあ、ざあ、初夏の湿った空気が若葉を擦り合わせて、この瞬間の情報量を濃密に満たしていく。コンマ数秒時が止まったみたいだったけど、その理由は言われた意味のわからなさから。なにいってんだろう、こいつ。


「……はあ…?」

「ひひひ、あー暑いですなぁー! ちょっくら水被ってくるわ!! わーわーわー!!」


急に、意味をはかりかねる理屈をほざいたと思ったら、今度は真っ赤になって錯乱。大滝――大滝おおたき沙也加さやかはかかとを踏んだ上履きで、廊下を器用にかっ飛ばして行った。校舎内で走るな馬鹿、何遍言ったらわかるのだ。


「…………なんだったんだ。マジでわからん」


馬鹿の脳には三角関数がそれほどの毒だというのか。あんまり哀れなものだから、僕は級友の消えたほの紅い廊下を見つめ神へと十字を切って彼女の救済を祈った。ついでに僕の未来の恋人が早く見つかるようにとも。


「ああ、まだ見ぬ運命の君よ、何処に居てもきっと見つけてみせるよ」


火花が散るような衝撃も、甘い夢の如き陶酔も僕はまだ書の中でしか知らない。だから本当のことを言うと、何をもって運命的な出逢いとなるのかなんて分かってはいないのだけれど。それでも機が満ちた瞬間にすべてがわかると確信がある。だって古今東西、物語を構築するメソッドは『そう』だろう。


「少年と少女が揃った時、物語は始まるのだから」


運命の少女。君が僕と視線を結んだその時こそきっと、ここに僕を主役としたお話が幕を開けるのだ。



〈了〉


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