七月の七分七十七秒のゆくえ――July

 さすがに悟っていた。今年も鰻の世話をするのは私だろうと。

 土用の丑の日は七月三十日の日曜日・・・。去年と同じ状況だ。

 実家がスーパーを経営するのも考えものだ。別の会社に就職したというのに、労働力として駆り出されてしまう。小野山おのやまくんがいるなら安心だという謎の信頼を寄せられているのも困る。が、まだまだ会社では確かな実績を上げられていない身としては頼りにされるのはありがたい。

 店舗先のテント下で、蒸し焼きのような暑さや、鰻をあぶる炭火の熱さに、体は悲鳴を上げている。思考がにぶり始める頭は警告を出しているのだろう。

 いくらベストで風を送ろうが、首筋を冷やそうが、服を湿らせる汗は後をたたない。

 予約分とノルマ分を焼いたら撤収するべきだ。熱中症になりかねない。明日も仕事だと億劫な気持ちをくすぶらせながら、焦げ目をつける鰻をひっくり返す。

 時計代わりに出していた携帯に通知音と共にメッセージが映し出された。

 『今から行きますね』の律儀な報告は真城ましろさんからのものだ。太陽は傾き始めたが、暑さはこれからが本番だろう。何も、この時間に来なくてもと思わなくもないが、夕方だったら確実に屍と化しているのでありがたい。


――今年も鰻を焼かれますか


と一週間前に送られてきたメッセージで、悩んでいた休日労働に乗り出したのだ。期待されているならと、簡単に調子に乗ってしまったと自覚はある。

 彼女とは同じ大学に通っていたのは一年以上前だ。とはいえ、学部も違うし、食堂で会った回数も片手で足りるぐらいだろう。スーパーオノヤマで会った数の方がはるかに上だ。

 大学を卒業した後も縁が切れなかったのはそれが所以だ。私が勤める会社のイベントに参加くれるということで、連絡先を交換したのもついこの前だったような気もする。

 最近ではわたしの勤める会社が作る缶詰の感想まで送ってきてくれる。そんな彼女の要望を無下にはできない。

 四年も鰻を買ってくれている常連の真城さんのためだ、と。来年はどうなるかわからないから、と理由をつけて網の前に立った。しかし、できうることならば、来年の土用の丑の日は、平日であってほしいものだ。

 彼女が予約してくれた鰻を焼こう。

 飛びそうになる思考を目の前の鰻に戻した。蒸された鰻の白い腹を上に、皮を網にのせて集中するために時間を数えてみる。


 一分。皮の端から脂がとけだす。

 二分。脂が小さな泡を形作る。

 三分。皮が焦げ始めた、返し時だろう。

 四分。熱気とともに、匂いが立ち上がる。

 五分。他の鰻の世話をして、頃合いを見計らう。

 六分。そろそろタレをつけるタイミングだろう。

 七分。甘くて香ばしい香りが充満する。端に寄せて様子を見る。

 五十、六十、七十、七十七。


 六十秒を越えて、無意味に数えていることに気が付いた。そろそろ引き揚げなくては。


「お、お疲れ様です」


 艶やかな髪を持つ真城さんが現れた。なぜか、両手で保冷バックを差し出している。


「これは?」

「差し入れです」


 さらに、保冷バックが迫ってきた。

 とりあえず受け取って、中身を確認する。視力検査に使うようなCの形をしたものは何に使うのだろうか。


「アイスリングご存知ありません? 二時間とかで力つきちゃうんですけど、首に保冷剤巻いてる感じで涼しいですよ」


 真城さんの商品説明は早口のわりになめらかだ。疎い私は知らなかったが、巷で話題の商品なのだろう。

 営業先で饒舌に話せない私も見習わなくては。

 あの、とひどく言いにくそうに彼女は続ける。


「焦げくさい気が……」


 鰻のことを思い出せば、案の定、焦げていた。口も尻尾も異様に黒い。

 やってしまったと気落ちしていると細い指が黒い鰻を指す。


「私、買いますよ」

「いや、これは私が食べる」

「私と話してて焦げてしまったわけですし……そ、それがいいんです」

「焦げて苦い鰻に金を払ってまで食べたいのか」

「お、小野山さんが焼いた鰻なので!」


 緊張しているのかうつむきがちに言った真城さんの顔が赤い。頭が日に照らされているせいだろう。


「まともに焼けたものを買ってほしい」


 話を早く切り上げなければと強めの口調で言わせてもらった。

 うぅと真城さんは眉を八の字にして残念そうな顔をしている。よく焼けた方が好みだとしても、これは焼きすぎだ。

 しばらく食い下がろうとしていた渋っていた彼女はやっと決心がついたようだ。残念です、と聞き取りづらい声で肩を落とした。

 あまりの落ち込みようにこちらの気も引けてくる。せっかく、差し入れをしてくれたのに、失礼なことをしてしまった。

 会話がないことがいたたまれなくて、ラップ作業に没頭するふりをする。

 きれいな分と黒いものと二つを包み終わっても、彼女は立ち直っていない。ゆっくりと財布を取り出して、ちょうどの代金を支払ってくれる。

 アイスリングを見下ろして、ふと真城さんが喜ぶかもしれないと思ったことを思い出した。これのお礼に、と前置きをして拳を握る。


「来週末の花火に行かないか」

「花火なんて、ありましたっけ」


 真城さんの言うことは間違っていない。

 私が言っているのは、二つ隣の市で開催されるものだ。


「竹関の花火だ。夏休みの思い出がないって言っていただろう。車を出す。都合が合わないようなら断ってくれてかまわない」


 私の弁はどうも固い。彼女は魅力を感じてくれるだろうか。

 真城さんの顔が驚きから喜びに変化したかと思えば、さっきよりも赤くなった。店先で倒れられては困ると店内に案内しようとした矢先、機敏に動き始める。


「あ、ありがとうございます!」


 叫ぶように言ったかと思えば、袋に入れられていないパックを持ち、駐車場から消えた。熱中症を心配しながら、残された鰻を見て、またやらかしたことに気がつく。

 顔を上げても、真城さんの姿も焦げた鰻もなかった。彼女が腹を壊さないようを祈るしかないようだ。



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