背徳を浴びる鳥のうた――June

 大学で開かれた合同説明会に出席したら、見覚えのありすぎる整った顔がいた。腕まくりなんかして、できる男アピールだろうかと疎ましく思ってしまう。

 俺の視線に気付いたらしい。にぶいように見せかけて、なんて間の悪い……のは俺か。どこの企業が来るかちゃんと見ておけばよかった。小野山おのやまさんが参加しそうだと、避けられたのに。

 振り返った顔が、よく見なければわからない程度に微笑む。


妹尾せおくんじゃないか」

「あー、お久しぶり……でもないですね?」


 挨拶が中途半端になってしまった。

 社会人になった小野山さんとは先輩後輩の関係がなくなったはずなのに、月に一度は顔を合わせている。バイト先のコンビニに配達物を取りに来るお得意さんだからだ。

 俺の出勤日を狙うように荷物が届くから、嫌がらせかと疑ったこともある。たぶん、それはない。彼の場合、嫌みになると一ミリも思わずにやらかす性格だ。

 あーやだやだ。あだ名にしろ、不名誉な勘違いにしろ、小野山さんが現れるとろくなことが起きない。平穏だったはずの日常や思考が変な方に流れる。

 小野山さんのことは嫌いでもないし、苦手とまではいかない。そういうのは別にして、ただただ疲れてしまうのだ。色恋と勘違いされそうな大袈裟な言い方は言うまでもなく、距離をはかる俺に気付かずに、逆に距離をつめることもある。彼が大真面目にやることを真に受けては身が持たない。精神が削られてくたびれきった雑巾になってしまうのだ。

 大学生活も今年で最後だ。地元に帰るから、この顔を拝むのも最後だと思っても、全然これっぽっちも感慨深くならない。

 気乗りしないのに無理に来たせいで、言い様のない感情を抱えてしまった。ほとんど会話もしてないのに、思い出だけで腹や胸がいやな意味でいっぱいだ。


 嫌でも視界に入るスーツを軽く睨む。

 世の中はクールビズ。だが、会社の看板を背負う担当者は背広を着てたり、ネクタイ姿だ。

 小野山さんも背広は脱いでいたが、幾何学的模様の入った緑のネクタイが下がっていた。腕まくりをしてもきちんとした姿に見えてしまうのだから、俺は肩が重くなった。

 視界をはずせば、真っ黒な革靴がかすめた。会社の理念がはめ込まれたパネルにうっすらとリクルートスーツが映る。ダークグレーのいたって大衆的なデザインのスーツが。それを着ているのが俺であることを除けば、何ら問題のない格好だ。

 誰が来ても妥当だろうと言ってもらえるようなスタンダードな服装がどうして俺には似合わないのか。姉の元恋人兼夫からもらった青みがかったスーツもコレじゃない感が半端なかった。黒は論外だ。法事に無理矢理連れてこられた甥っ子感がにじみ出ていた。

 背はそこそこあるのに、童顔がいけないのか。少々明るいくせ毛が違和感を抱かせるのか。

 雨の日には、やけに主張する地毛が原因で中学、高校と無駄に怒られた。規則のゆるむ大学生になっても再び悩むとか、理不尽過ぎないか。

 俺の苦労なんてわからないであろう、真っ直ぐな黒髪の小野山さんは資料を渡しながら訊ねる。


「興味がある企業は何処なんだ」

「どんなのあるかなぁ、て顔だしただけなんで」


 気力があるな、君は、と感心している人相手に、スーツに慣れておこうと思ってとか本当の理由が言えるわけもない。

 面接は第一印象が大事だ。着せられている印象なんて持たせたくない。

 自然と沸いた感情だと思っていたが、考えてみれば必然かもしれない。

 とにもかくにも、母さんと姉さんが服装から髪型にいたるまで小うるさい。にこにことイマイチねと休日の朝一番に言われてみろ、へこんだ数は計り知れない。そして、母さんや姉さんになおしてもらった方が確実に似合っている。しかも、俺の好みまで踏まえてアレンジしてくるものだから、敵わない。

 大量生産のスーツでも似合う人を目の前にして嫌なことを思い出してしまった。

 一人暮らしを勝ち取るためにも就職しなければ。ひっそりとため息をついていると明るい声が飛んできた。


「あ、妹尾くんだ。この前はありがとねぇ」

「妹尾くん、知り合いか」


 物珍しそうに眺める小野山さんと、幅広い情報網を持つ同ゼミの渡瀬わたせさんの目が合う。


「わ、微笑み王子!」


 渡瀬さんの驚き声に、終わったと思った。小野山さんに黙っていたことが、ついにバレてしまう。見守るしか俺にはできない。


「微笑み王子は妹尾くんだろう」

「妹尾くんはスマイル王子です!」

「二人もいるのか」

「あなたもですよ!」


 小野山さんが長い睫毛を震わせて目を見開いている。

 微笑み王子は小野山さんに、スマイル王子は俺につけられたあだ名だ。命名者は常連のおば様達、三年以上の付き合いになる。

 それよりも、頭を抱えたくなる根も葉もない噂が――


「妹尾くん、まさかとは思うが、私達は付き合っていたのか」

「ただの噂を信じないでください。付き合ってないです。付き合う予定もありません」


 お願いだから、わずらしさを増やさないでくれないだろうか。

 スマイルなんて 消えていた。




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