繋ぐ糸の色を教えて――May

 就活生にとって五月病なんて万年疾患だ。うつうつなんてもんじゃない。毎日毎時間毎分、だるいのなんの。叫びたいなんの!


「もー! はやく終わんないかなぁ!」


 ミサトが爆発したぁとか何だか言われてるけど、みんなだって、いつもの能天気さは何処にいった。目が死んでるし、ため息は低い。外はぽかぽかで講義もほとんどない今、就活さえ落ち着けば遊び放題のなまけ三昧なのに! なまけたいわけじゃないけど!

 ノートパソコンの上にぐりぐりとおでこを押し付ける。

 今週末は新幹線にしようか、鈍行にしようか。時間の有効利用か、お金の節約か。ホント、就活資金、馬鹿になんない! バイトしなきゃ! ああ、でも、やっぱり遊びたい! バイトしなきゃ!

 パソコンかわいそぉと半笑いされて、のそのそとおでこを顎に変えた。

 重たい瞼を少しだけど開ける。何人かいる研究室はパソコンに向かう人ばかりだ。卒論準備に就活サイトやスケジュールの照らし合わせ。きっと周りに相談したくて皆集まっている。

 誰も答えを持ってないだろうけど!

 涼しい顔をしてるのなんて、一人ぐらいだ。隣に座る妹尾くんの画面を盗み見れば卒論をしてるっぽい。

 そっと耳打ちしてみる。


「ねぇ、妹尾せおくん。しゅーかつ終わった?」

「いや」


 涼やかに返された言葉に私は首を傾げる。余裕そうに見えたけど、違った、かも。

 画面から視線を外さない妹尾くんはどこかつまらなそうだ。

 私の前から言葉が飛ぶ。


「妹尾ーぅ。このメール、どうやって締めくくればいいの」

「無難に『よろしくお願いいたします』でいいんじゃないかな」


 向けられた画面に目を通した妹尾くんは考えることもなく答えた。

 あっさりすんなりな姿に目を疑った。こんなに頼りになる人だったのか、妹尾くん。


「妹尾くんて、社会人経験者?」


 本音がこぼれ落ちた。頭を使わずに言ってしまったのは就活と研究室ホームのせいだ。うん、そうだ。

 たまに見せる残念そうな目で画面を見つめつつ、なんだかんだやさしい妹尾くんは答えてくれる。


「渡瀬さんと同期で、浪人も留年もしてないけど」

「こなれてない?」

「家族が自営だからビジネスマナーにうるさいだけ」

「何のお仕事してるの?」

「美容系」


 美容系なら、美容院それともエステ、それとも化粧品メーカー? 美容系インフルエンサー? 広告料金百万超えとかかな。


「美容院経営してる。姉さんはネイルサロン」


 わくわくとした妄想は妹尾くんの声で現実に戻された。

 ふと、先月号のネイル特集を思い出して、ふわりと笑う女性を思い出す。


「あ、もしかして、お姉さん、雑誌に載ったことある?」

「なにそれ、知らない」


 妹尾くんが珍しく面倒そうな顔を向けてきた。だいたいの面倒事をまぁいいよと柔和な笑顔で引き受けてくれる、あの妹尾くんが。 

 話し込む雰囲気ではないし、ちょいちょいと袖を引っ張って研究室の外へ誘導する。

 携帯でファッション雑誌の名前と『妹尾』で調べたら、一発だ。妹尾くんの笑顔より、ふにゃりと溶けたような女性が出てくる。


「名前が一緒で似てるな、と思ってたけど、まさかと思ったんだよね。ほら」


 携帯画面を凝視したまま、真顔になった妹尾くんはすぐさま自分の携帯を操作し始めた。何度かフリックとクリックを繰り返して、深くて深いため息をつく。


「コラボとかまた新しいの始めてるよ、あの人」

「面白そうだねぇ」


 面白いことなんかあるもんかとでも言うように、妹尾くんはため息混じりに教えてくれる。


「母さんと姉さんがやりたいやりたいって言うから、父さんが面倒見てるんだよ……あの人、母さん達に甘いから」

「おう――」


 妹尾くんと一緒だね、と続けそうになったけど、言わないでおいた。なんか、もっと落ち込ませそうな気がする。

 妹尾くんの口はきゅっと閉じられているけれど、目がどこか遠い。

 芽生えた興味をダメもとで言おうとして、


「会ってみたいとか冗談でも言わないでよ」


 先手を打たれた。えーと不満の声を上げても、妹尾くんは一歩も引かない様子だ。


「絶対、勘違いされるから」

「何に」

「彼女に」

「まっさかぁ」


 彼氏彼女の関係はよくわからない。付き合ったこともあるけれど、何となく三年たったら終わってしまうような関係ばかりだ。

 浮気とかなくて、お互いに友人みたいになっちゃって気になる人ができたから別れよっか、みたいな終わり方だ。遊び相手が減るな、と思ったぐらいそっちにはベクトルが向かない。

 高校卒業して少しの間は遠距離だったけど、互いに気を使うの疲れたね、で別れたし。

 移動し始めた妹尾くんに何となくついていく。妹尾くんはちらりと見ただけで足は止めなかった。


「飲み物買いに行くだけなんだけど」

「お供しますよ」


 妹尾くんに助けられてばかりだけど、ジュースを奢るぐらいなら私でもできる。遠慮される前にぺいぺいしようそうしよう。

 横に並ぶ妹尾くんがぽつりと呟く。


渡瀬わたせさんより手がかかるんだよな、母さん達は」

「それは大変だ」


 同意しただけなのに、生ぬるい目だ。なんで。


「渡瀬さんてさ、ずっと走ってそう」

「えっ、走るの苦手だよ?!」


 はは、とごまかす妹尾くんが角を曲がる。

 自販機が見えた! 隙をついて、ぺいぺいする。

 ガコンと音がしたのは隣の自販機だ。


「何買うの」


 と言う彼の手にはカフェオレが握られていた。

 仕方なく、間違ってぺいぺいした自販機に向き直ってかぼすジュースのボタンを押す。


「美容系の仕事に興味あるの?」


 普段通りの口調だったけど、目は冗談を言っていなかった。

 受け口からボトルを取り、考えながら口を開く。


「ある、といえば、ある、かな。なるべく気になるのは一通りチャレンジしてみようかな、て」


 渡瀬さんらしいな、とまた笑われた。これはイヤじゃない。

 妹尾くんがいつもの柔和な笑顔を見せる。


「頼りになりそうな人なら知ってるけど、紹介しようか?」

「さっき勘違いされるって」

「あぁ、大丈夫。カットやネイルのモデル募集してる人達にだから。モデルが嫌だっていうならアレだけど、渡瀬さんならやるかなって。その時に仕事のこと訊いてみなよ」

「するする! 助かる!」

「そ? 俺も就活で地元に帰るし、車出すよ。俺のスケジュールに合わせてもらうことになるけど」

「ガソリン代払うよ!!」

「じゃ、決まり?」

「どこまでもついてく!!」


 そりゃ前のめりだ。

 妹尾くんの目が生ぬるくなる。


「誰かに似たようなこと言われたなぁ」


 それって誰?! あまりのショックに言葉が出てこなかった。



(終)

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