第7話

「……我ながら、貧乏くじを自ら引きに行った感がすごいよなぁ」


走っていく背中を見送り〝プランター〟に対しナイフを構えて立ち向かいながら、そうぼやく。今の僕は、いや今日の僕か。全体的にらしくないことばかりしている自覚はあった。

それもこれも、織部いさな、という少女の所為だ。濡れ羽色の長髪を揺らし、水槽の向こうを見て濃い紫色の瞳を輝かせる。そんな彼女の目に映る世界は、きっと色鮮やかなものなのだろうと思う。……自分とは、大違いで。






――――東風谷影真は、産まれてくることを誰にも望まれなかった子供だ。


母は暴漢に襲われて彼を妊娠した。だから、父の顔は知らない。

母が何故彼を産もうとしたのか、今となっては分からない。愛のない妊娠といえど、赤子を殺すことに抵抗を覚えたのかもしれないし、もしくは、一番最初の頃はきちんと育てる気だったのかもしれない。いずれにしても彼が物心つく頃に、どんどん血縁上の父に似ていく彼の姿を見て、発狂して自殺したらしいから聞けるはずもない。辛うじて彼が覚えている母に関することはと言えば、

「お前なんか産まなきゃ良かったんだ!!」

と、憎しみも顕わに我が子に呪詛を吐く姿だけ。

母が居なくなってからも、忌避されがちな出生理由と年齢に見合わぬ落ち着きを見せる彼に対し、周囲の人間は彼を疎んじた。母親殺し、と罵られることすらあった。そうして彼は親戚中をたらい回しにされ、何もしていないのに嫌われ、煙たがられるうちに、とある願いを抱くようになった。

『世界から消えてしまいたい』『皆から忘れ去られてしまいたい』、と。

彼を宿主とした寄生花やどりばながその願いに合わせて黒のチューリップの姿を取った状態が、今の東風谷影真だ。

現在の上司にあたる御船夏奈多が彼を対策課へと保護したときには既に、東風谷は何かに対して感動を抱くような感受性がほとんど失われていた。

水族館に連れ出しても、動物園に連れ回しても、博物館や美術館、プラネタリウム、映画館、観光旅行などに行っても、感想は全部「よくわからない」とだけ。感情がないわけではないものの、感受性にとことん乏しい少年、とは御船の評である。


そんな東風谷に変化が訪れたのは、織部と連れ立って水族館に来てからのこと。

彼とはあまりに違って様子で、きらきらと瞳を煌めかせて全身で世界を楽しむ彼女の姿に、もしかしたら世界は楽しいかもしれないと思い始めていた。

イルカショーがはじまる頃には、彼女の笑顔を曇らせたくないだなんて思っちゃったりなんかして。今、目の前で〝プランター〟と化している男の挙動がおかしいことに始めから気が付いていたくせ、彼女の笑顔を見るためだけに黙殺したりして。結果、逆に彼女を落ち込ませるような事態になって。その解決のため、格好付けて無理をして、ボロボロになりながらも敵に立ち向かう。

なんて、なんて馬鹿馬鹿しく、烏滸がましいというのだろう! これではまるで、自分が、生まれてきてはいけなかった自分が、ごく普通の、誕生を祝福された男の子のような情緒を感じているようじゃあないか!


中でも一等馬鹿らしいのは、打撲痕や切り傷を作り、血を流し、骨が折れて、それらを無理くり再生させながら、それでも尚、一人の少女のために戦うことを止めない今の自分を、自分自身、そう悪く感じていないことだった。


「はははっ、なんなんだ、これ」


自分が自分でないように感じているのに、それが不思議と心地良くって。

ああ、なんだか楽しいような気すらしてきた。ついに気でも狂ったのか。


「なんだっていいか、もう。彼女が笑ってくれるなら、なんだって」


刃が折れたナイフを投げ捨て、目にかかった血を拭って、予備のナイフを構え直す。

さあ、待ち焦がれた彼女の再登場まで、あともう少し。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る