第2話

館内に入ってすぐ様々な魚たちのお出迎えを受けたことで、初めての水族館に私の気分は有頂天になって、東風谷くんを振り回していた。

例えば、深海魚のコーナーでは。


「あっ、ねぇあれってこの間テレビで話題になってた深海魚じゃない? わぁ、テレビで見るより見た目が面白いな……」

「えっ……?」


また、アザラシを見つけたときには。


「アザラシ……! かわいーっ。えっ、今の聞いた東風谷くん? あっちでアザラシに触れるって!」

「ちょ、ま、待って、」


あるいはイワシのショーを見た際は。


「イワシってあんなに綺麗なんだねぇ……すごーい……! 見てる? 見えてる?」

「そ、そんな引っ張んなくても見えてる、見えてるからっ」


等々……。とにかく東風谷くんの手をグイグイと引っ張って奥へ奥へと突き進む。


「東風谷くん、これっ、このふわふわしたのっ、クラゲっていうんだよねっ? それがこんなにたくさん……! あっ、向こうにいる魚、あれは何だろう……! 行ってみよっ」

「お、織部さん、ちょっと落ち着いて……っ! 僕らがここに来た目的を忘れてない……?」


クラゲコーナーまで進んだ辺りで、堪らず東風谷くんが声を上げ、ようやく私は足を止めた。


「覚えてるよ。この水族館内に〝プランター〟が侵入したかもしれないから、その調査。場合によっては排除、でしょう?」

「そうだよ、だから僕らが見るべきは水槽じゃなくて人の方……」

「それはそれとして! せっかく来たんだから楽しまなきゃ損だよっ。またいつ来られるか……もしかしたら、もう二度と来られないかもしれないしっ」


そう言ってさらに進もうと東風谷くんの手をまた引っ張る。……が、彼は何故か動かないままだった。

不思議に思って振り返ると、東風谷くんはきょとんとした表情で首を傾げていた。


「東風谷くん?」

「……何で、もう来られないかもなの?」

「…………」


彼がその発言を気にすると思ってなくて、完全に予想外の質問。なのにどうしてか、心は凪いだまま。

傍にあったクラゲの水槽を眺めながら、私は静かに口火を切った。


「私が元々、封印物管理課にいたことは知ってる?」

「ああ、ええっと……〝プランター〟あるいは〝植木鉢〟によって生まれた副産物を管理する部署だっけ? 御船さんが言ってた」

「そう。管理している副産物の中には、管理する人を選ぶ物もあってね。特に危険な奴に多いんだけど」


背負っているリュックを見遣る。中には脇差の形をした副産物が入っている。

ちなみに、元を辿れば寄生花やどりばなという、一応は植物に分類される生物の力から生まれたものだからか、こういった副産物に対し金属探知機は反応しないらしい。私が持っているこれなんか、思いっきり見た目が金属製なのに。金属じゃないのだそうだ。


「私が管理しているこれは他の副産物より選り好みが激しい上に、管理課にある物の数多の副産物の中でも上位に入るくらい危険でね。私は、あー……何歳だっけ……七、八歳ぐらい? その頃に管理者に選ばれてから、滅多に外に出させて貰えなくて。多分、幼過ぎて暴走の危険が他より大きいと思われてたんだね。他の管理者はそこまで外出制限されてなかったし」


そこで一度言葉を切って息を深く吐く。目の前の水槽の硝子に映った自分の顔が、自嘲的な笑みを浮かべた顔が、ひどく不細工に見えた。

そんな私のすぐ前を、一匹のクラゲが悠々と漂いながら通り過ぎる。


「それを哀れに思った姉のような人……えっと、その人も私のこれと似たような副産物の管理者だったんだけど。その人に色々外のこと教えて貰って、水族館もその人に聞いたんだ……って、これは蛇足か」

「…………」

「だから、今回の私の異動も上がかなり揉めたらしいよ? 一応は異動を認めてもらったけど、でもまたいつ管理課に戻されるか分からない。戻ったら外出制限ありまくりの生活に逆戻り。だから、私は今のうちに楽しんでおきたいの」


話し終えた私は考え得る限りで一番の笑顔を浮かべて、東風谷くんの手を引く。彼が驚いたように目を見開いたのが前髪の隙間から見えた。


「そういうことだから! さあ、どんどん見て行こっ! 次はあっちの水槽ね!」

「わ、分かった、分かったから……! もう少し静かにしよう、じゃないと周りの人の迷惑になるから……!」

「おっと、そうだったそうだった」


慌てて空いている方の手で口を塞いで、小走りで目的の水槽に向かう。なんだろう、今ならスキップも出来そうな気分だ。


「見て、あの魚っ。……食べたら美味しいかな?」

「……織部さん、それ、毒があるやつだからね」


――――この時間は、今の私だけの特権だ。

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