いちごパフェ②
がらごろん
扉の鈴の音が響く。
革張りのソファや、使い古したテーブル。
外観と違わず、レトロな店だ。
古臭いところがなんだか親近感を覚えるのは、俺が古臭いからだろうか。
「いらっしゃいませ。こちらのソファ席にどうぞ」
そう声をかけてきたのは変わった服装のウェイトレスだった。
橙色の着物に白いひらひらのエプロン。
歩くたびにしゃらしゃらと鳴る赤い髪飾り。
二十四、五歳くらいだろうか。
ああ、いけないいけない。
女性の年を推測するなど、邪推にもほどがある。
首を振り、邪な考えを外に放ると、ウェイトレスは不思議そうに小首を傾げていた。
俺は恥ずかしくなって、知らんぷりしてソファに座り込む。
年季の入ったソファは、どっしりと座り込んでも包み込んでくれるようで、心地よい。
また大きく溜め息をして、ネクタイを緩めると、ウェイトレスがおしぼりとお冷を置いてくれた。
「もしご希望のものがありましたら、仰ってください。作れるものなら作るのが当店の自慢でございます」
にこりと笑う彼女。
私はといえばメニューを見ながら、悩む。
「とりあえずコーヒーと……どうしたもんかな」
何も考えずに入ってしまったものだから困ってしまった。
「ずいぶんお疲れのご様子ですね」
「ええ、生徒たちと折り合いが悪くて……歳のせいか若い人の気持ちがわからなくてね」
「あら、先生でいらっしゃるんですね」
突然、会話を持ちかけられ驚くが、そこは年の功。
なんでもないように返す。
彼女は素敵ですね、と続けるところころと笑っていた。
その微笑みがあまりにも優しかったからなのか、普段の私なら決して言わないようなことを口にした。
「何か若い人の気持ちになれるものなんかないかなあ、なんて」
生徒が来ないだろう、とたかを括ってふざけたことを言う。
ウェイトレスの彼女だって困ってしまうだろう。
そう思い、謝ろうと顔をあげる。
すると、彼女はにこにこと笑顔のままで言った。
「そうですねえ。今どき、というわけではありませんが、パフェなんてどうでしょう」
「ぱ、パフェ……男がパフェなんて……」
「あら、甘いものの誘惑は男女問わず勝てないものですよ」
――甘い物の誘惑には勝てないよねえ。
――そうそう!
生徒たちの、顔が浮かぶ。
唐突なフラッシュバックに驚く俺をよそに、パフェにしましょうそうしましょう、ときゃっきゃとはしゃぐウェイトレス。
そうして流されるまま、注文が決まってしまった。
チックタックと鳴る振り子時計の音。
わからないけどどこかで聞いたことのあるようなレコードの優しい音楽。
そういえば、昔、こういう喫茶店に生徒たちと来たのを思い出した。
特に慕ってくれていた生徒たちは、卒業式も終わったというのに俺のところで駄弁っていた。
腹が減った、というから喫茶店に連れて行ったんだ。
あれはどこだったか。
「お待たせしました。いちごパフェでございます」
気がつけば傍にウェイトレスがいて、銀の御盆に苺の乗ったパフェとコーヒーがあった。
それらは丁寧にテーブルに並べられていく。
苺のたっぷりと乗ったパフェ。
昔ながらのガラスの器。
瑞々しい苺の香りとクリームの甘ったるい匂い。
その横に置かれた、黒々としたコーヒーの香ばしい香り。
その見た目と匂いだけで、喉がごくりと鳴ってしまった。
「いや……なんだかやっぱり自分には似合わないような……」
パフェを食べるなんて男らしくない。
そんな思い込みは時代錯誤だってわかっているのに、そんな言葉が漏れた。
それこそ男らしくない様子でぐずっている俺に、ウェイトレスは言った。
「いいから、一口だけでも食べてみてください。ね、美味しいですから」
――ね、先生、一口だけでも食べてみてよ!美味しいから!
まただ。
そんなことを言われて、俺はあのときも……
「……いただきます」
「はい、召し上がれ」
長いスプーンを持って、一口掬い、口に運ぶ。
甘酸っぱい苺の酸味と生クリームのほどよい甘さが口に広がる。
鼻から抜ける、春の香り。
ああ、そうだ。
あの時、俺は喫茶店で生徒たちと同じように会話をして……
「ね、美味しいでしょ!」
目の前には、生徒たち。
「先生、本当に今まで食べたことなかったんだな」
見渡すと、男子も女子も、みんなパフェを食べている。
「どうしたの? 感動で声が出ない?」
「そこまでじゃあないだろ」
「だって、先生ったら目を見開いてるんだもん」
「ここのパフェ、美味しいからね。高いけど」
そうだ。
あの時、卒業式後だというのに慕って集まってくれた数人が、腹が減ったというので喫茶店に連れて行ったんだ。
こいつらときたら、腹が減ったというくせに甘いものを食べたがって、一人だけ違うのを頼むのもなんだから、一緒にパフェを頼んだんだ。
「……好きかもしれない」
若い頃の俺が言う。
「でしょ! 絶対気にいると思った!」
「先生、疲れがちなんだから、しっかり糖分取らなきゃな」
パフェを目の前にしてごねる俺に、生徒たちが勧めてくれたんだ。
「今どき、男だって甘い物好きでいいのよ」
「好きなもの好きって言って、誰に迷惑かかるわけでもねーしなあ」
そうだ。
時代と共に常識は変わる。
この頃は、バブル崩壊の影響を受けて日本中がてんやわんやしていた。
俺はそんな世の中に子どもたちを放ってしまうのが、なんだか辛くてよく悩んでいた。
「ここって、先生が払ってくれるんだよな?」
「ちょっと! 本当にデリカシーがないわね、男子は」
「生徒に払わせる教師がいるか。俺が払うから、食いたいもん食え!」
古臭い考えだったが、子どもたちにはいっぱい食べてほしかった。
「じゃあ、出世払いで返すから期待しててくれよ、先生」
「あんたじゃ対して稼げないわよ」
「なんだと!」
「こらこら、騒ぐな。期待しないで待ってるぞ!」
「先生まで! ひでえ!」
笑い合う俺と生徒たち。
ああ、確かにこの頃は、こうやって一緒になって笑うことが多かった。
いつからだろう。
生徒と一緒にいて、困った顔ばかりするようになってしまったのは。
「それにしても、俺たち就職大丈夫かなあ」
「なにいってんの。大丈夫に決まってるじゃない」
「不景気だって言うしなあ。実感ないけど」
「まあ、大丈夫だろ」
……そうだ。
……こんな会話をしたんだ。
「だって、困ったら先生に相談すればいいんだもん」
「先生、ちゃんとわかりやすく教えてくれるしな」
「ああ。最初は頭の硬いのがきたと思ったけどな」
「ちょっと! ほんとにデリカシーないわね!」
なぜ、忘れていたんだろう。
ひとつひとつ向き合って、自分と生徒は同じ人間だから、考えて。
そうして教師をしていたはずなのに。
生徒たちに煙たがられるわけだ。
自分の殻に閉じこもって、心の何処かであと数年で終わると言い聞かせて。
本気で子どもたちを思って話を聞いていたのはいつまでだろう。
ああ、ごめんよ。
俺は情けない大人になっていた。
「先生みたいな大人になりたいな」
ああ、ありがとう。
いつも、教えてもらうのは俺のほうだ。
時代の流行も、大事なことも、社会の変化も、諦めない心も、熱い情熱も。
全部、全部。
君たちからもらったものだった。
「「憧れ続けられるように、がんばらないと」」
過去の自分と、声が重なった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます