第4話 突然すぎて何もわからない

「今日このあと一緒にいてくれる?」


またもや俺の時間を奪っていく。

景色も奪っていく

目の前しか見えない。


素敵な小悪魔がそこにはいた。


おれはなにも考えられなかった。

何秒たったのだろうか。その感覚さえわからない。


「ドキッとしちゃった?......

 お姉さん、またいじめちゃったね」


はにかみながらシルさんは話しかけてきた。


「はい。ドキッとしました。でも心地よかったです」

素直に答えてしまった。


彼女であるくるみはからかうことも甘えることもしない。くるみは自立していてしっかりしている。俺たちはお互いに尊重し合っている関係だ。くるみとは男女の関係と言うよりも

人と人との関係のような気もする。


妹のじんのはお兄ちゃん大好きっ子で甘えてばかりくる。俺以外の男の人に懐いているのは見たことがない。訳あってじんのは俺が一生面倒をみるつもりだ。


そう、俺の人生の中で女性に意地悪されたり

からかわれたりしたことがなかった。


初めての経験に心地よさを感じたというのはうそではない。むしろシルさんから『甘えてもいいよ』って言われているような気がした。


「心地いいってじょうくん、M?」


面白おかしくからかうようにシルさんは言う。


「シルさんが素敵なSなんですよ」


「ふふっ、なにそれ。でも悪くないかも...」


「でも女の子はみんなMなんだよ......」


星空に吸収されるかのようにか弱い声でシルさんは何かを思い出すように言った。


その言葉がおれの脳に何度も聞こえてくる。


シルさんはSではなくてMなんだ。

本当のシルさんはどんな人なんだろうか。


「じょうくん、いまから少しだけお話しよっ」


「いいですよ。そのかわり、素敵なMも見せてくださいよ」


「いじわる......」


恥ずかしそうに、でもそういうの嫌いじゃないよというシルさんの気持ちがその言葉からは伝わってくる。表情は照れながらも少しうれしそうに見える。なんてかわいい声でかわいい表情をするんだろうか。


そこには『素直な小悪魔』がいた。


「じゃあ、お話ししよっ」


………………………………………


シルさんとはどれくらいの時間話したのだろうか。

シルさんが子供の頃、そこの団地に住んでいて

よくこの公園に来ていた話を聞いた。

お父さんと妹と3人で昼も夜も来ていたとのこと。今日、俺たちがシルさんのキャバクラに行った経緯を話したりもした。


他愛のない話をしていても楽しかった。

時々見てしまうシルさんの横顔。

楽しそうに笑いながら話してくれている。


「おれ、お店のシルさんより今のシルさんの方がすきだな」

ふとそんなことを言ってしまった。


「どうして?」


「お店にいるシルさんはどこか役を

 演じている感じがしてさ。

 そんなシルさんを良いって言う人も

 多くいそうだけど無理してるように見えて」


「私、お店では人気者なんだぞ」


「俺は人気者のシルさんよりも

 普段のシルさんの方が好きになるかな

 好きになる人は俺にとっての飾り物じゃ

 ないしね」


「ありがとう......」

聞こえるか聞こえないかぐらいの声でシルは答えた。


「ねえ、お店で私と約束したこと覚えてる?」


「えっ?何か約束したっけ」


「したよぉ。もう忘れちゃったのね。

 私の事なんてどうでもいいのね」


小悪魔モードで俺のことをからかう。


「なんだったっけ?でも約束したなら守るよ。

 約束したことは守りたい性格だから」


「高校生って言うことを黙っててあげるから

 今日だけお姉さんの言うことを

 聞いてもらう約束だよ」


「お店の中だけの話じゃないの?」


「まだ今日だよ」

シルさんは俺の顔をのぞき込むように甘えるようにでも意地悪な表情で迫ってくる。


「たしかにまだ今日だね。わかった。

 なにをすればいい?」


「腕まくらして」


「えっ...」


「わたしね、小さい頃お父さんに

 ここの芝生でよく腕まくらしてもらったの。

 腕まくらしながら星空を見るのが

 大好きだったの。

 ちょっとそれを思い出しちゃって

 したくなっちゃった」


表情を見ると恥ずかしそうに照れながら話しかけている。でも声の感じからは本当に腕まくらが好きなんだろうなと感じた。腕まくらはシルさんにとって大事な思い出なんだと思えた。


「いいですよ。腕まくらは妹に

 よくやっているので慣れてます」


「じゃあ、そこの芝生が私の一番好きな

 特等席。冬の星空はよく見えて好きなの」


シルは立ち上がり歩き始める。


「あっ!でも服が汚れますよ」


「いいの。今日はもう着飾る必要がないから」


シルは上半身だけ振り返りうれしそうに言った。すっきりした表情でニコッと笑っていた。


………………………………


「ほんとにじょうくん、うでまくら上手。

 お姉さんびっくりだ」


「ほぼ毎日妹を寝かしつけるときに

 腕まくらしているので」


「そんな優しいお兄ちゃんがいて妹さんが

 うらやましいなぁ」


「いろいろ事情があって......」


「そうだよね。みんないろんな事情がある

 からね。でもじょうくんの優しさは......」


「なに?」


「なんでもない」


「気になるよ」


手に力がはいる。


「腕まくらの心地が悪くなったぞ」


「ごめん。これでどう?」


「最高。少し星空見るね」


「もちろん。どうぞ」


優しく返事をする。


…………………………………


俺は気になって横で星空を見ているシルさんの横顔を見てしまう。

すごく澄んだ目で星空を眺めている。


シルさんにもいろいろと悩みがあるんだろうなぁと思う。10分くらいは経っただろうか。


腕まくらをするのは嫌いじゃないからシルさんがしたいだけ続けても良いと思っている。


「じょうくん、腕、痛くない?」


「ぜんぜん痛くないですよ。」


「無理してない」


「無理してませんよ。本当に」


「ありがとう」


「悩みが解決するまでどうぞ」


「いじわる。でもじょうくんの腕枕好きだよ」


俺の腕まくらは素敵な小悪魔と素直な小悪魔を生成するのか?

一気に胸がドキドキする。


ドキドキがばれないように小さく深呼吸して抑えようとする。

シルさんはあんなことを言って自分でドキドキしないのか。なんて小悪魔なんだろう。


シルさんが体勢を変えた。

また手に力が入ってしまってシルさんの心地が

悪くなってしまったのかと気にする。

手の力を抜くことに集中する。

ドキドキも抑えなければ。

やることがいっぱいだ。

おちつけ、おれ。

目をつむりバレないように静かに深呼吸をする。


「すぅー、ふぅー」

「すぅー、ふぅー」

「すぅー、ふぅー」

聞こえないように深呼吸をする。


ふと腕が軽くなった。シルさんの頭が腕から離れた。俺のせいで心地が悪くなったのかと思う。でも起き上がるような大きな動作には感じなかった。気になってシルさんの方を見る。


一瞬だった。


シルさんの唇が俺の鼻先に触れる。


『ちゅっ』っていうような音も無い、そっと触れるだけの、そして一瞬だけの鼻先へのキス。


なにが起こったのかもわからない。

でも何かが起こったのは確かだ。


唇にしてくれたらキスだってすぐに認識できるのに。

鼻にされたキスはどう認識すれば良いのだろうか......


なんだろうこれは、なんて表現したら良いんだろう。

なんて話せば良いんだろう。

シルさんの目的がわからない。

告白?好意?小悪魔?なにか助けて欲しい?

なんにもわからない。

でもわかるのは俺の心がシルさんでいっぱいになっていることだけだ。


シルさんはまた星空を見ている。

まるで何事も無かったように......


キスされたのは俺の勘違いで実際はなにもされていない?

俺はこのあとどうすればいい?


.......

俺はなにもできなかった。


もう何分経ったかわからない。長いのか短いのか。


なにも考えられなくて、

でも勝手に湧き上がってくるのはシルさんのことばかり。


シルさんが起き上がる。


「じょうくん、帰ろっか」


「うん」

なにも考えられない俺は返事しかできなかった。


近くの大通りまで降りていき、2人でタクシーに乗った。

俺の家の近くの大通りでタクシーから降りた。

シルさんはそのままタクシーに乗って帰って行った。


公園からタクシーを降りるまでほぼ会話は無かった。


帰り道、おれはずっとあの出来事を繰り返して思い返していた。


なぜ?

どうしたらいい?

どうして欲しいの?

なにが答え?

恋愛感情はあるの?

いじわるがしたかったの?

お姉さんの遊び?


シルさん?シルさん。シルさん!

頭の中はシルさんでいっぱいになっていた。


シルさんのことしか考えられない。

こんな気持ちになったのははじめてだ。

こんな気持ちでくるみと付き合っているのは失礼だ。くるみに申し訳ない。

シルさんとどうかなりたいとか思わないが

くるみとは別れないといけない。

くるみに顔を向けられない。


俺の心はくるみと別れることを決める。



………………………………………


あとがき


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